忍びよる安全への脅威

―われらの安全は保てるのか―



 日本と中国の間のギクシャクはとどまる気配はありません。
 前々から問題になっていた尖閣諸島の領有権問題、日本の排他的経済水域内における中国の天然ガス開発の問題、海洋調査船のたび重なる領海侵犯、中国原子力潜水艦による日本領海潜入事件、靖国参拝問題など、政治問題のタネはつきません。さらには空母建造、進水が象徴するように、核兵器、長距離ミサイルを有する中国の軍事力増強は、日本はもとより南沙諸島など南シナ海における領有権問題をかかえる東南アジア諸国にとって深刻な不安材料になっています。


  1  切られつづける「歴史カード」

 2004年暮れ、しばらく途切れていた日中首脳会談が行われました。
南京抗日記念館  まず、ラオスでの小泉 純一郎首相(当時)と温 家宝・中国首相の会談で、小泉首相がこれまで日中友好に協力してきたことを話すと、温家宝首相は「今の話を忍耐を持って聞いた」、「日中戦争で中国人が何人死んだか知っているか。しかも、中国は損害賠償を請求していない」 とのいわゆる「歴史カード」を振りかざしてきました。
 これより前、チリでの胡 錦涛・国家主席との首脳会談でも、日中間の「政治的障害は、日本の指導者が靖国神社を参拝していることだ」と、胡主席は起こったばかりの中国原潜の日本領海侵犯への善処を要望する日本に対し、謝罪するどころかここでも「歴史カード」をテコにこういってのけたのです。
 胡 国家主席(右側)と温 首相(左)  小泉首相以降、日本の首相は誰一人として靖国神社に参拝しておりません。では、それで中国との関係は進展したのでしょうか。また、賠償請求はしていないと中国は偉そうにいいますが、実質的賠償の色彩が濃い政府開発援助(ODA)が一体、何兆円にのぼっているのか、彼らは知っているのでしょうか。
   日本の抗議に対し、中国指導者がまともに答えようとせず、「日中戦争で中国人が何人死んだか知っているか」、よくそれでわれわれに抗議をするものだと逆にたたみかけられたとき、日本の指導者はどう答えるのでしょうか。おそらく何も答え(られ)ず、沈黙するのが落ちでしょう。
 このように、答えに窮するのは首相をはじめとする指導層ばかりではなく、ほとんどの日本人も同様といって誤まりはないと思います。
 若い層は「もう昔の話ではないか」と答え、戦前を知る層は「白髪三千丈の国だから」などと答えるのが精一杯で、それ以上の答えは出ないのではと思います。それというのも、表面をどう取りつくろうとも、われわれに巣くった中国、韓国などに対する罪悪感は根深いのだと思います。
 中国にとって見れば、「歴史カード」を振りかざせば、黄門さまの「葵のご紋」よろしく首相以下、日本人は平伏するのですから、こんな都合のよいものはありません。中国がこのカードを手放す気づかいなどまったくありません。
 日本にとって深刻な問題です。国益を侵されて抗議すれば、逆にねじ伏せられるのですから、国家としての尊厳などあってなきが如く、独立国といえるかどうかさえ怪しくなってきます。


  2  「 そうなったら戦争だ、軍艦を出す」

 中国(毛沢東以下)の明確な国家戦略のもと、核兵器の所持 をすでに達成、加えて遠距離ミサイル、ステルス戦闘機、あるいは通常兵器の開発を進めてきました。今日では、空母部隊を基幹とする海軍力を急ピッチで増強、南シナ海はもとより遠洋に目を向けています。
中国空母「ワリヤーグ」  2011年8月、ウクライナから購入し手を加えた空母ワリヤーグ(排水量約6万7、000トン)の試験航行が開始されました。また、国産空母の建造が計画される(米国防総省報告)など、急速な軍備拡張を進めています。
 日本の“戦力”(意思と能力)を見て自信を持ったのでしょう、外交交渉の場で実力行使をチラつかせるなど、あからさまな態度を示すまでになりました。
2008年1月14日付け産経新聞より  懸案の東シナ海のガス田開発問題で、日中の海岸線から等距離にある「中間線」をもって日中境界線を主張する日本が、中間線にまたがる地域での共同開発を打診していた2007年11月、日中間の協議がさっぱり進まないため、境界線の内側、つまり日本側での試掘開始を示唆したところ、「そうなったら戦争だ。軍艦を出す」 と中国は複数回にわたって発言するなど、脅しをかけてきました。日本の足許を見ての威嚇発言でした。
 その中国はといえば、中間線付近の開発を進める一方、左図が示すように、共同開発する地域は中間線の日本側海域のみとし、中国側海域は一切認めない という中国特有というか共産主義国に共通する図々しさというか、臆面もない回答を突きつけてきました。これを受けて日本が日本側海域での試掘開始を示唆したところ、中国は「軍事力行使」 という脅しをかけてきたのです。
 ガス田問題に限らず、尖閣諸島などいろいろな場面で今後、「 歴史カード」 に加え、空母を武器に「軍事力カード」 をチラつかせ、威圧してくるに違いありません。それにもかかわらず、日本は「中国を刺激したくない、波風を立てたくない」 の一点張りで事にあたっているのです。
 となれば、相手の理不尽な行動や要求にも謝罪と譲歩を繰りかえさざるを得ないでしょう。現にそうなっていますし、「押せば押すだけ日本は必ず譲歩する」 というのが日本との外交交渉術のいわば世界の常識だそうですから、中国に限った話でないでしょうが。
 日中中間線の中国側では、パイプラインが敷かれるなど既成事実化が進み、ますます不利な状況に追い込まれても、日本の対応に変化は見られません。かくして、日本がどこまで譲歩するかが次の焦点となり、中国にいかにご納得いただくかに解決がかかってくるという、情けない状況のまま推移しそうです。
 かつて李鵬元首相がオーストラリアを公式訪問したときに、「30(20?)年もすれば日本は消えてなくなる」と公言したことが報じられました。この発言は無礼かつ傲慢には違いないのですが、彼らの深層にある願望があからさまに出たものであり、日本の無力化を狙っていることへの意思表明だと受け取るべきと思うのです。


  3  敵意の増強

 日本の敗戦から数えて60年が経過した2005年、戦勝国の一つ中国は数々の対日戦勝60年記念行事を計画、実行しました。
 行事のテーマといえば、日中戦争時における「日本軍の残虐行為」を軸にしたテレビ番組や映画などで、ストーリーに違いがあっても、日本軍の残酷ぶりをこれでもか、これでもかとばかりに腕にヨリをかけ、国民に訴えるのは共通しています。
 そして、「南京事件70年」 にあたった2007年12月に合わせ、「南京大虐殺記念館」 が大改装のうえオープンしました。展示床面積は実に12倍、写真点数は6倍 になったとのことです。
731部隊・“生体解剖”  この記念館を見た中国人は確実に日本人嫌いになるそうですし、おそらくこの見方は当たっていると思います。
 さかのぼれば、盧溝橋(ろこうきょう・北京郊外)にある「中国人民抗日戦争記念館」 に「日本軍暴行館」 が増設されたのが1997年、日本軍の侵略と残虐によって苦悶する中国人民の巨大なブロンズ像を展示した「抗日記念彫塑公園」 の増設が2000年のことでした。
 左写真は「暴行館」に展示された人形による731部隊・生体解剖の場面 です。
 これらを見た中国人が、自分たちの親、兄弟がこのような残酷な仕打ちを受けたことを知って、日本人に激しい憎悪と敵意を持ったとしても、当然のことと言わなければなりません。「いつか日本人に復讐を!」 と仲間うちで、あるいは一人ひとりが心中ひそかに誓ったとして、なんの不思議もないでしょう。
 もっとも、このようになったのは今に始まったわけではなく、日本と中国との国交回復が取りざたされていた1970(昭和45)年代に入ったころからすでに始まっていました。
 日中間の節目の年、例えば終戦30周年(1975年)、40周年、あるいは日中戦争の発端になった盧溝橋事件(1937=昭和12年)から40周年(1977年)、50周年、さらには日中国交回復10周年などの節目の年を迎えるたびに、日本軍による残虐行為の糾弾と断罪が年中行事となりました。
 ここで、注意しなければならないことがあります。これら糾弾と断罪は必ずしも中国主導で行われたのではないということです。

  (1)   お先棒をかついだ日本のメディア
 むしろ、過去糾弾の先導役は日本のメディアであり、中国はそれに便乗した といった方が事実に即しているでしょう。先導役の最右翼はいうまでもなく 朝 日 新 聞 です。
 「朝日」は日本軍・民の残虐行為を中国などから聞き出してきては、加害者とされた日本側の調査をまったく、あるいはほとんどすることなしに報道し 、自国の断罪に力を入れたのです。他のマスコミ群も負けてはならじと同調、あるいは追随し、糾弾一色に染まっていきました。
 中国にしてみれば、予測をはるかに越えた成果にほくそ笑んだことでしょう。日本軍民の残虐行為というエサ をまけば、ほぼ例外なく日本のメディアは食らいつき、さらに歴史学者、作家、いわゆる文化人らも過去糾弾が さもさも良心的な行為 のごとく同調したのですから。しかも、検証をろくにすることなしにです。中国がこれに味をしめないわけがありません。
 江 沢民 が中国国家主席となった1991(平成3)年に入ると、この傾向が一層、顕著となりました。「抗日記念館」の建設、増設もそう、「愛国教育」 という名の組織的「反日教育」 もそうです。

  (2)   クリストフ記者からの警鐘
 ニューヨーク・タイムズ の著名なコラムニスト・記者であるニコラス・クリストフ は、2002年1月、「新中国シンドローム」と題した論評記事のなかで、

 「 中国の日本に関する歴史教育は次世代の中国人に日本への憎しみを植えつけることが目的である 」

 と指摘しました。
 江 沢民 クリストフ記者 は同紙の東京支局長を歴任。前任地の北京で「天安門事件」(1989年)に遭遇、その報道と分析が評価されて、ピュリッツァ賞 を受賞しています。
 東京支局長時代、日本兵の人肉食という根拠薄弱ないかがわしい記事 を書くなど、日本側から厳しい批判を受けたこともありました。ですが、このことをもって、中国の反日教育を「日本の悪魔化」 だとする同記者の指摘を軽んじることなく、警戒の念をもって受け取るべきだと思います。
 さらに江主席は、中国人民の人的損害、経済的損害が 「死傷者3500万人、経済損失6000億ドル」 にのぼったとする根拠不明の膨大な数字を出すなど、国家指導者が前面に出て対日批判に力を入れてきました。
 海洋を含めアジア一帯を覇権下におくため、対抗勢力になりうる日本の無力化を狙って「歴史カード」の増強という挙にでたのでしょうが、柳の下に何匹もドジョウがいるとわかっているからこそ一層、拍車をかけるのでしょう。もっとも日本の急激な経済的地位の低下と、自国で自国を守る意思があるかさえも疑われる昨今、とても対抗勢力になれるとも思えませんが。
 ともあれ、「歴史カード」が政治目的を達成するための手段であってみれば、この手段が逆効果をもたらすものと分からないかぎり、日本人への敵意の増強を止めようとはしないでしょう。また、遠い将来、かりに止まったにしても、すでに回復困難な段階にまで事態が悪化しているかもしれません。
 このような状況にありながら、われわれ日本人の感度の鈍さを残念に思っています。日本と日本人の将来の安全にとって大問題と思うのですが、本来、担(にな)うべき日本政府はどこ吹く風とばかり、ダンマリを決め込んでいるのです。


  4  たった一冊の 『 レイプ オブ 南京 』 で

 日本にとって厄介な問題が起こりました。
 1997(平成9)年、アメリカで出版された『 THE RAPE OF NANKING 』 の登場です。著者のアイリス・チャン は、出版当時28歳という若い中国系アメリカ人で、その後、自殺によってこの世を去りました。
『レイプ オブ 南京』 アイリス・チャン  この本は、発売当時から日本はもちろん、アメリカでも評判になり、50万部が売れたと新聞報道で見た記憶があります。その後のことは知りませんが、80万部、100万部と部数を伸ばしているかもしれません。
 原題は左写真の通り、「THE RAPE OF NANKING」 ですが、表紙横に小さく「THE FORGOTTEN HOLOCAUST OF WORLD WAR U 」 とあり、南京虐殺を「ホロコースト」だとしています。なお、RAPE の意味はいわゆるレイプの意味も含まれるのでしょうが、概念の広い「暴虐」の意だそうです。
 本の内容は虐殺数を「30万人以上」 だとし、殺害、強姦など「悪魔のような」日本軍の残虐ぶりを際立たせたものといってよいでしょう。

   (1)  この蛮行、信じますか
 とにかく、目についた日本兵の残虐行為を抜いて見ましょう(6ページより)。これはほんの一例です。

 〈 中国人の男は銃剣の訓練と首切り競争に使われた。推計で2万人から8万人の中国人女性が強姦された。多くの兵隊は強姦だけではなく、女性の内臓を取り出し、胸を切り刻み、生きたままで壁に釘で打ちつけた。父親は娘を、息子は母親を家族の目の前で強姦するように強制された。生き埋め、去勢、内臓を切り刻み、人々を焼くことなどが通常のこととなっただけでなく、もっと悪魔的な拷問、たとえば舌を鉄のカギに吊るし たり、人を腰まで埋めてドイツセパードがバラバラにするのを眺めることもした。その様は吐き気を催すもので、街にいたナチスも恐怖に陥れ、1人はその虐殺を"野獣の所業"と公言した 〉

 お読みになって、ばかばかしいと思ったでしょうか。それとも日本兵のあまりの残虐さに嫌悪感を覚えたでしょうか。これらの話の出所はある程度見当がつきますので、原 文 と合わせて、別項( ⇒ 3 膨大な日本の加害(2) )で触れることにします。

   (2)  強烈な印象を残す写真
 この本には40余枚の写真が収められています。そのうちの4枚を下記に紹介します。
 一見したところ、ほとんどの写真は「南京大虐殺」は疑いのない事実だとし、また日本軍の残虐さ、残忍さが異常な域に達していたことを雄弁に訴えていると思えそうです。ですから、これらを見た欧米人はもちろん、多くの国の人たちは、日本軍の吐き気をもよおす残忍な行為 を素直に信じたと思います。
『レイプ オブ 南京』 『レイプ オブ 南京』 『レイプ オブ 南京』 『レイプ オブ 南京』

 かつての日本軍はかくも非道な行為を行った、日本はまれに見る残虐な民族であったなどとする非難は、原 爆 投 下 という後ろめたい感情を持つアメリカ人にとって、表向きはさておき、むしろ歓迎しているに違いありません。心理的にも自国の数々の行為(例えば日本の都市の無差別爆撃)を正当化できるからです。
 また、過酷な植民地支配をつづけたイギリス、フランス、オランダなどヨーロッパ諸国にとっても、日本という国家の悪行の暴露は、内心ではアメリカ同様に歓迎しているはずです。アジアにあった日本の軍隊をヤリ玉にあげることによって、遅れたアジアに恩恵をもたらしたとする植民地化政策を正当化しやすくなるからです。
 上記写真についても、別項( ⇒ 3 膨大な日本の加害(2) )で取り上げます。

   (3)  アメリカで絶賛
 実際、『レイプ オブ 南京 』に対するアメリカ大手マスコミ、テレビの論調で目立ったのは、
 〈 南京虐殺は民間人殺害の数では広島、長崎の原爆投下の犠牲者合計や欧州戦線での英、仏、ベルギー3国の死者合計を上回り、世界史でも最悪の蛮行 〉
 であり、また、
 〈 民間人殺害や婦女暴行の残虐性という点ではユダヤ人虐殺に勝るとも劣らない 〉
 というものだったと報じられています。
 1997年12月14日付けニューヨーク・タイムズ は、上記の残虐行為をそのまま引用した オービル・シェル教授(カリフォルニア大学ジャーナリズム大学院院長)の書評を載せたとの報道がありました。こうした日本軍の残忍な行為は読者の目を引きますから、しばしば引用されては日本人の残酷さが強調されます。シェル教授もこの種の残虐行為に少しの疑いも抱かなかったのです。
 こうした中世期風の残虐行為の “事 実” の前には、どのような論を展開しても読者の通りはよくなります。また反論が困難になります。反論すればするほど逆に日本人は狡猾にも事実を隠蔽し、歴史に誠実に向き合っていないとの評価を受けてしまうからです。
 ですから、「残虐行為」こそが歴史イメージ(歴史観)を決定づけるもの、つまりアメリカや英語圏の人を中心に日本(人)観が形成されてしまうのだという私の危惧が、ここでも明示されているのだと思っています。
 もう一例は、米有力紙ワシントン・ポスト に掲載されたコラムで、ここでもほぼ同じ所を引用させながら、論が進められています。
 1998年2月19日付け同紙は、〈 「悪意ある沈黙」を破って 〉 と題したジョージ・F・ウイルの人気コラムを掲載、以下に一部を抜粋します(塩谷 紘訳、「諸君!」1998年5月号の同氏論文)。筆者のウイルは保守派で知られ、テレビや雑誌で絶大な人気を持つ言論人だそうで、『レイプ オブ 南京 』を絶賛した内容になっています。
 まず、日本兵は「降伏した多数の中国軍兵士と、ほぼ確実に30万人を越す中国人の非戦闘員を殺害している」 として「30万人大虐殺」を盲信、広島・長崎の原爆投下による被害者21万人、1939(昭和14年、第2次大戦勃発)〜1945年までにイギリス、フランスで戦火の犠牲となった市民の総数16万9千人より多いとし、いかに日本軍による虐殺が多数にのぼったかを際立たせています。しかも南京の大虐殺では、日本軍はこれらの蛮行を隠そうともせず、サディズムに駆り立てられたリクリエーション的な殺人だったとし、『レイプ オブ 南京 』の説明を丸ごと認めた内容になっています。
 そして、上記引用したほぼ同一内容の以下の記述につながります。

〈 中国人は日本兵の銃剣訓練や打ち首の競争に使われた。また、彼らは生きたまま火炙(あぶ)りにされたり、鉤(かぎ)で舌を貫かれて吊り下げられたり、体を切断されたり、凍てつくような池に叩き込まれて溺れ死んだり、腰まで地面に埋め込まれて軍用犬のジャーマン・シェパードに食い殺されたり、首まで生き埋めにされて馬車やタンクに轢き殺されたりしたのである。
 女性たちは幼女までも、場合によっては数日間もベットや柱に縛り付けられて、日本人兵士に手当たり次第強姦されたが、そのうえ中国人の父親たちは自らの娘を、そして息子たちは自らの母親を犯すことを強要されたのである。(以下 略) 〉

   (4)  アメリカ人学者から反論
 このコラム掲載の2週間後の3月5日付け同紙に、アメリカン大学名誉教授、元国務省アジア担当官であったリチャード・B・フィンの「編集長への手紙」とした反論が掲載されました。反論掲載は非常に珍しい例とのことです。
 フィン名誉教授は 『 レイプ オブ 南京 』 は 、「1937年の暮れに当時の中国の首都を侵略した日本軍によって犯された、身の毛のよだつような残虐行為を鮮烈に描き出しています 」 とし、次につなげます。
 〈 しかし私は、このコラムで著者が下している厳しい判断を吟味するに当たり、ウィル氏とチャン氏が挙げているいくつかの点に敢えて検討を加えるものです。
 すなわち、殺された人々の総数、当時の日本の指導者がこの事件の中で果たした役割、そしてこの悲惨な事件が残したものの持つ意味、の3点です 。 〉

 フィン名誉教授は東京裁判(一般判決の約20万人)、事件当時南京に在住したジョン・ラーベの死者「5万人〜6万人」をあげ、推定被害者総数に大きな幅があることを指摘、南京虐殺をユダヤ虐殺600万人のホロコーストと同じレベルで論じることは、妥当なのかと疑問を呈します。
 また昭和天皇の命で虐殺が行われたとする点について、著者(アイリス・チャン)がアメリカ人学者・デビット・バーガミニの『天皇の陰謀』 に依拠しているが、この書について「一流の歴史家」はこぞって懐疑的だとしています。なお、『天皇の陰謀』の評価は日本でも実に低く、肯定的に取り上げる人はまれでしょう。
 第3点については、チャンの主張とは逆に、日本の教科書で無視されていることはなく、中国に関する「悪意ある沈黙」など存在しないとし、「多くの日本人はいま、かつての日本軍がいまわしい行為に出たことを認めており、その償いをしたいと考えているのです」と記し、反論を締めくくっています。
   以上のことが示すように、フィン名誉教授の反論は身の毛のよだつ「残虐行為」が事実に立脚したものかどうかについて一切、言及していません。裏返して言えば、フィン自身がおおむね事実と信じていたか、あるいは直感的に疑問に思っても反論する手がかりを有していかったため、何も言わなかったのかもしれません。

   (5)  アメリカの知識人の固定概念に
 ワシントン・ポスト、NYタイムズ の好意的な書評から分かるように、「近代史に例を見ない日本軍の大残虐」(NYタイムズ) が、アメリカの知識人たちの通念になっているのはほぼ間違いと思います。このことは、アメリカ下院での慰安婦問題の 「対日非難決議案」 の審議過程で、ニューヨーク・タイムズなどが、「事実は違う」とする日本への批判を繰り返したことにつながっているはずです。今後も起こるであろう慰安婦問題と類似の「日本軍の残虐行為」糾弾のさいにも、この通念が影を落とすことになるでしょう。
 また、『レイプ オブ 南京』を土台にした映画がすでに完成、アメリカで上映されていますし、さらに何本かが製作中という話がつたわっています。事態は深刻なのです。
 この書の発行は1997年末ですが、これより8ヶ月前、「THE RAPE OF NANKING」 という同じ書名の写真集がアメリカで発行されました。約400枚の写真に英語と中国語のキャプションをつけたもので、著者は2人の中国大陸出身者です。例によって、おなじみのニセ写真が数多く含まれています。チャンはこの2人と関係のあったことは事実のようで、写真の提供やら、多くの協力を得たのは間違いないのでしょう。
 また、日本の団体や個人の協力者があったのも間違いなく、日本国内で報じられた「日本兵・日本軍の残虐」情報を実によくつかんでいます。この書は日本発の「残虐話し」なしに成立しなかったに違いありません。
 巻末の「INDEX」を見ると、日本人の名前が多数でてきます。本多勝一、小俣行男、東史郎、田所耕三、永富博道、大田寿男などなど。ですから、日本側の資料、当の日本人の証言も十分に調べてあるがゆえに、「この書の信頼性は高い」とアメリカのメディアや読者は受け取ったことでしょう。
 この書を読んだアメリカなど英語圏の人、しかも指導層の人たちに、「近代史上、例を見ない日本軍の残虐性」 を信じ込ませたという点で、まさに 「歴史的な本」 といえるでしょうし、日本側の不甲斐なさをあらためて認識させられた一冊だと思っています。


  5  またまた増えた危険のタネ ・・・ 慰安婦問題で対日非難決議

 われわれの将来の安全にとって、また一つ、危険のタネが増えました。
 ご承知のとおり、2007年6月末、アメリカ下院外交委員会で可決され、7月30日に下院本会議で採決された慰安婦問題にかかわる「対日非難決議案」 がそれです。この決議案自体に法的拘束力はないそうですが、将来にわたって「反日勢力」に利用され、影響を持ちつづけるでしょう。
ラントス下院外交委員長  テレビで見たのですが、壇上の外交委員会の一人(トム・ラントス下院外交委員会委員長?)が手にしていた分厚い 『レイプ オブ 南京』 が、非常に印象的でした。
 これにより、「慰安婦制度は日本政府による軍用の強制的な売春で、20世紀最大の人身売買の一つ」と断定されてしまいました。
 さらには、「日本政府は現在および将来の世代にこの恐ろしい犯罪を伝え、元慰安婦に対する国際社会の声に配慮すべきだ」 というのですから、「国際社会」の名をかりて、中国、韓国などは日本政府に対し、いつでも教科書記述、あるいは賠償など、ことあるごとに不誠実、不履行などと言い募ることができます。
 事実関係がこれほどハッキリしているにもかかわらず、この体たらく。しかも、日本政府は「静観の構え」というのですから、サンドバッグよろしく殴られても反論一つできない国家だということをあらためて示しました。
マイク・ホンダ下院議員  この決議案の仕かけ人は、アジア系の多く住むカリフォルニア州選出のマイク・ホンダ下院議員 (左写真)で、その背後に中国系反日団体があることは多くの報道から明らかです。「南京大虐殺記念館」のアメリカ開設 を狙う団体など、多くの組織が全米規模で後押ししているのです。
 今回の決議案は、『レイプ オブ 南京』と同様、将来、起こるであろう日本人への迫害の口実に利用され、また起こった際の言い訳、正当性の主張に使われるのは、ほぼ間違いないだろう と憂慮しています。
 さらに詳しくは( ⇒ 従軍慰安婦「沈黙と無策のツケ」 ) をご覧ください。


  6  忍びよる安全への脅威

 2004年夏、西安、済南で行われたサッカー・アジア杯で、日本選手とかけつけた日本応援団に対する中国国民のブーイング、また北京の日本大使館の公用車が襲われて損傷し、その模様がテレビなどで繰りかえし報じられました。
 また2005年4月、「愛国無罪」 を旗印に、中国全土で同時多発的に反日デモが起こりました。今度は日本大使館や総領事館だけでなく、和食レストランや日系企業がターゲットとなります。
朝日新聞  しかし、中国政府は「愛国無罪」 を叫ぶ暴徒を阻止するどころか、「責任は日本にある」 と公言したのです。このデモが官の後ろ盾のある「官製デモ」 なのは見え見えでした。
 例によって、「新しい歴史教科書をつくる会」が作った中学用の歴史教科書の検定合格 や、日本の国連安保理の常任理事国入り に反対する「国民感情」などを持ち出していました。念のために記しておきますが、朝日新聞はこの教科書に反発、否定報道をしつづけてきました。
 今度ばかりは、中国人の異常とも思える反応、雰囲気を日本人は身近なものとして感じたことでしょう。
 政治問題に鈍感な日本人も、多発する中国人の粗っぽい犯罪を身近に感じ、治安の悪化が切実な問題になっている今日、上記の問題でも謝罪するどころか、カサにかかった中国の態度を見て、日本人の中国に対する好感度が急落したのもうなずけます。
 こうした出来事はたまたま起こったわけではありません。起こるべくして起こったのです。「愛国教育」=「反日教育」 の当然の帰結でしょうから。
 また、アメリカを中心のする英語圏を主要な舞台にして、過去の日本をヤリ玉にあげる情報戦、宣伝戦が活発化する ことでしょう。
 そうなれば、ナチに匹敵する日本人の残虐性、世界にもまれな残虐な民族という評価が深化、定着します。国益はもちろん、日本人の安全にとって危険な状況になると憂慮されます。はっきりいえば、われわれおよび後の世代が、世界のどこかで迫害をうける可能性が高い と考えておかなければと思うのです。その可能性を少なくするためにも、日本の英語での発信力が一層、重要になるのですが。


  7  中国漁船衝突事件 ・・・ 風前の灯火 尖閣諸島

 2010(平成22)年9月、尖閣諸島沖の日本領海内で起こった漁船体当たり事件は、中国がどのような行動をとる国家なのか、また、日本という国家がどのように対応するのかを端的に示した点で、われわれ日本人に警告し、再考を強く促した出来事ではなかったかと思います。
尖閣諸島  表面上の事実関係は簡単です。
 9月7日、尖閣諸島・久場島(くばじま)付近の日本領海内に中国漁船(166トン)が侵犯したため、海上保安庁の巡視船「よなくに」(1349トン)、「みずき」(197トン)が停船を命じながら追跡しました。ところが漁船はカジを急操作し、「よなくに」「みずき」に体当たりを繰り返したのでした。
 このため、海上保安官の職務執行を妨害したとして漁船の船長(41歳)を逮捕、身柄を那覇地検石垣支部に移し(8日)、3日に証拠の保全が終わったとして、船長以外の14人の乗組員と漁船を中国に返還しました。
 この返還は即時釈放を迫る「中国の軟化を期待」しての政府の処置だったと報じられました。しかし、船長の釈放を要求するなど軟化どころか、一層、強硬な態度で要求を突きつけてくることになったのです。
 さて船長を逮捕したものの、どう扱かったらよいか日本政府の腰は一向に定まらず、ただ中国の顔色をうかがうばかり。毎度のごとく、迷走をつづける醜態を国民の前にさらけ出したのでした。

  (1)   嵩にかかる中国 ・・・ 事実関係はそっち退け
 中国は、「尖閣諸島は中国固有の領土」だとし、「日本の漁船が故意に衝突し 、不法に漁船、船長、乗組員を拘束、海上保安官が船長らを殴った 」 「日本の外務省は現場で何が行われたのか知らない」のだと丹羽 宇一郎・中国大使を呼びつけ日本側の責任を追及しました。
おなじみの姜・外務省報道官 TBSテレビより  丹羽大使への抗議は衝突の起こった8日にはじまり、19日までのわずか12日の間に5回も中国外務省に呼び出され、うち1回は深夜の呼び出しだったそうです。
 あげくに、中国は高飛車に 「謝罪と賠償」 を日本へ要求するという挙に出たのでした(9月25日)。
 西側の国家ならまず、事実関係を調べ、脇を固めた上で外交上の行動に出るのでしょうが、中国という国は事実関係と関係なく、とにかく相手に全責任があると大上段に出て、次いで責任を取らなければ断固たる対抗措置を取るなどと威嚇、さらに「謝罪と賠償」を要求するというのが常套手段、とくに日本向けのパターンになっています。もちろん、日本が引き下がることを見越しての恫喝です。

   ・  毒入り餃子事件
 千葉、兵庫の両県で中国製冷凍ギョーザを食べ、10人の被害者を出した例の「毒ギョーザ事件」 でも同じ様な展開だったことが想起されます。ちょっと寄り道して経過をたどっておきます。
 2008(平成20)年1月30日、冷凍ギョーザから致死量に相当する有機リン系殺虫剤・メタミドホスを検出したと日本の警視庁は公表(1月30日)、さらにメタミドホスは日本国内で流通していないことなどから、国外製と断定しました(2月13日)。
「毒入り餃子」  ところが中国公安当局は記者会見(2月28日)で中国国内でメタミドホスが混入した可能性を全面否定、日本での混入を示唆します。ギョーザを製造した河北省の天洋食品工場長は「わたしたちが最大の被害者だ」と主張、ネット上では「日本人の自作自演」とする書き込みが多数あったと報じられました。
 こうして日本人犯行説が中国国内で定着していったのです。中国側は表向きは捜査に協力するとしながら実質的には非協力、事件解明は暗礁に乗り上げそうな様相を呈しました。
 ところが、天洋食品の売れ残ったギョーザ10万食 を地元政府の斡旋で地元企業に売却したため、あらたな食中毒事件を引き起こしてしまいました。こうなればいくら中国でも隠しおおせるものではありません。8月6日には中毒症状になった中国人の存在が日本で報じられました。日本の報道は中国のインターネットに流れ、「日本人犯行説」に揺らぎが出てきます。
 こうなれば中国政府はこれまでの態度を変え、軟化せざるを得なかったのでしょう。7月初め、この事実を日本政府に連絡しました。つまり、殺虫剤混入が中国国内で行われたことを中国政府は認めたというわけです。ところが日本政府(福田康夫首相)は連絡を受けながら、この事実を1ヵ月もの間、報道で明るみにでるまで国民に説明しなかったのです。「中国側の(捜査の)取り組みに協力するということだ」と福田首相は述べ、中国側の公表しないで欲しいという要求に配慮したとの説明でした。
 中国政府の軟化の背景には中国製食品の日本の売り上げが急激に落ち込む一方、チベット騒乱(2008年3月)が起こったことなどから国際社会も中国への批判を強め、目前に迫っていた北京オリンピックの開会式をボイコットする動きもでてきました。
 なんやかんやで中国首脳部は「中国人の犯行」と認めざるを得なかったのですが、汚染ギョーザの横流しで発症事件が起こらなければ、また国際社会の圧力がなければ、おそらく軟化することもなく事件は「日本人犯行説」のまま終わったことでしょう。

  (2)   オタオタする日本
 漁船体当たり事件に話をもどします。
 中国は丹羽大使を外務省に呼んで再三、再四の抗議をつづける一方で、予定されていた日中間の「ガス田共同開発」の条約交渉締結を延期すると日本側に通告(9月11日)、大手健康食品メーカーの「訪日旅行1万人中止」(17日)、レアアースの輸出規制などとつづき、菅 直人首相が申し入れた日中首脳会談も拒否(9月22日)してきました。
 国連総会に出席のため、ニューヨークに滞在中の温 家宝首相は21日、
 「不法拘束中の中国人船長を直ちに無条件で釈放することを日本側に求める。日本側が釈放しなければ、中国はさらなる対抗措置を取る用意がある。その結果について全責任を日本側が負わなければならない」
 といつもながらの強硬な発言で日本政府に揺さぶりをかけてきました。そして「謝罪と賠償」 の要求(25日)へとエスカレートしていったのです。
 時期がたまたま満州事変の発火点になった柳条湖事件(1931=昭和6年9月18日)を目前にしていたため、北京、上海などで反日抗議デモも発生、「日本人は釣魚島から出ていけ」などと気勢をあげていました。

  (3)   ズルスル後退また後退
 船長を逮捕したもののさて、どうしたものか、処分を保留にしたまま日本政府の腰は一向に定まりません。テレビに映る菅首相の目は心なしか焦点が定まらず、空ろに見えました。もっともこう感じたのは私だけではなかったようですが。
菅 直人首相  那覇地検は9月24日、処分保留のまま船長の釈放を決定します。その説明がなんとも振るっています。
 「わが国の国民への影響や、今後の日中関係を考慮すると 、これ以上、身柄を拘束して捜査をつづけることは相当ではないと判断した」 というものでした。外交当局ではあるまいし、地検が日中関係を考慮して逮捕者を釈放するのは、「司法の独立」を自ら放棄したことであり、多方面から批判が出たのは当然のことでしょう。
 もっとも、地検が独自に判断を下し、このような説明にでたと信じる人は少なく、日本政府の圧力に那覇地検が押し切られたという見方が一般的です。当初は「わが国の法律に則(のっと)って厳正に対処する」と大見得を切っていた菅首相も中国側の圧力にアッサリ屈したのですから、実に情けなくもみっともない話でした。
 翌25日に釈放となるや、中国は間髪をいれず「謝罪と賠償」を要求するという手際の良さを示しました。そりゃそうでしょう。日本への圧力がまたまた功を奏し、船長釈放という果実を得、そのうえ漁船、乗組員の拘束は不法だったことを日本政府が認めたと強弁できる手がかりができたのですから。
 これに対し、菅首相は「尖閣諸島はわが国固有の領土だ。謝罪や賠償にまったく応じるつもりはない」(26日)と明確に拒否しました。

  (4)   アメリカの援護射撃でホッ
 菅 直人首相の拒否は当然のことで、「よくぞ言った」と思った日本人も少なくなかったしょうが、少し詮索すればそう喜んでもいられないことが分かります。というのは、アメリカの応援あってのことだと思うからです。
 9月23日夜(日本時間)、前原 誠司外務大臣はニューヨークでクリントン国務長官と会談、「東シナ海に領土問題はない」と日本の立場を説明、クリントン国務長官は尖閣諸島について「 明らかに日米安保条約が適用される」 とアメリカ政府の立場をあらためて明確に語りました。その上で衝突事件を日中の対話で早期に解決をはかるように注文をつけたのでした。
米太平洋艦隊司令長官の発言にホッ  おそらく、日本政府は内心、胸をなで下ろしたのではないでしょうか。国民だって同様だったに違いありません。いくら左傾した内閣とはいえ、いざとなれば頼れそうな国はアメリカ以外にないことを、いやいやながらかもしれませんが、認めざるを得なかったでしょう。
 そこで菅首相の強い発言につながったのだろうと思います。もし、アメリカのバックアップがなければオタオタはつづき、尖閣領有に赤信号が灯っただろうと思います。アメリカに対して「好き嫌い」はあっても、これが現実だということを認めなくてはなりません。
 そのうえで、自らの国土、国家を守るためには相応の軍事力が必須であることを知るべきと思います。

国後島初のロシア大統領(2010−11−1)  2010年11月1日、ロシアのメドベージェフ大統領はサハリン州知事を連れて、ここぞとばかり国後島に足を踏み入れ、北方4島はロシア領であるとの強いメッセージを日本に送りました。その後も国防相ら政府高官が立てつづけに北方領土を訪れ、実効支配をアピールしています。
 こうした強い行動に出るのも、ロシアにとって日本は軍事的にも政治的にも取るに足らない国でしょうし、また天然ガスなどの資源を必要とするのは日本だから、ロシアへの投資が減ることはないという読みがあるとの見方もあります。
 残念ながらロシアの読み、当たっていると思います。そして弱みを見せればつけ込まれるのが、日本の置かれた国際環境なのだということを念頭に、対策を立てなければと思います。
 力なきままに観念論を並べても自国の平和さえ守れないくらい、どこの国の人たちも当たり前のことと受けとめています。一人日本人だけが現実から遊離したキレイごとの上に安閑としているのは滑稽ですし、それによるツケはこれまで同様、将来にわたって払わされることでしょう。それに私たち日本人に国土、国家を守る意思が希薄であれば、地政学的変化に応じてアメリカが将来、態度を変えることは十分あり得ることです。
   尖閣諸島への安保適用はアメリカの一貫した主張というわけでもありませんでした。クリントン政権時代にモンデール駐日米大使が「尖閣諸島が第三国に攻撃を受けても米軍は防衛には当たらない」 という趣旨の発言をしたこともあったのです。
 そういえば、「日米安保条約解消」 は朝日新聞の年来の主張でした。多分、今も変わらないのでしょうが、解消していたら尖閣はとうの昔に中国領になっていたことでしょう ( ⇒ 朝日は何を、どう報じてきたか)

  (5)   ビ デ オ 隠 し
 日本政府は衝突の原因が中国漁船の体当たりにあったことを早い時期から知っていました。というのは、巡視船「よなくに」「みずき」から撮影したビデオが存在し、何度か体当たりしてくる中国漁船が鮮明に写っていたからです。
 ところが政府は初公判前の証拠公開を禁じた刑事訴訟法をたてに公開を拒みつづけました。ですが、これは表向きの理由で、ビデオを公開すればこれを見た日本人が、〈 「中国人ふざけるな」と国民感情が燃え上がってしまう 〉(政務3役の一人)ということになるのは必至なため、日中関係の悪化を恐れての処置でした。
 自衛隊を「暴力装置」と呼んだ全共闘運動の闘士・仙谷 由人官房長官 が主導したとの見方が有力です。ですから、「中国への配慮」が政府、外交当局の唯一絶対の基準で、政府も民主党も公開する気はさらさらなかったのです。
 途中経過は省きますが、予算案の審議を円滑にと政府はビデオ(6分間に編集されていた)を国会にしぶしぶ提出、一部議員らだけが見られる限定公開となりました。国民はビデオを見た先生に取材したメディアを通じて、その断片を映像ではなく言葉で教えていただくという「主権者」らしからぬ扱いを受けたのでした。

  (6)   ビデオ ネットに登場
 ところが、ビデオ映像が11月4日、突然インターネット上に現れ、日本中が大騒ぎになりました。
体当たりする中国漁船、巡視船「みずき」から  公開は海上保安官・一色 正春 の職を賭した勇気ある行動でした。
 一色は「なぜ秘密になったのか、皆が知りたがっている」「国民のためと思い決断」したとし、youtubeに投稿、公開に踏み切ったことを日本外国特派員協会で真意をあらためて説明(2011年2月14日)しました。
 ビデオには中国漁船が執拗に巡視船に体当たりする様が、巡視船乗組員の声、かん高いサイレンの音とともにハッキリ録画されていて、テレビ各局は繰り返し放送を重ねました。これを見た日本人の多くは、日本にとって決定的に有利となる証拠をなぜ国民の目から隠そうとするのか、日本政府に胡散臭さを感じ取ったことでしょう。
 菅内閣の支持率が急降下したのもうなずけます。この映像は中国でもネットにのり、多くの中国人が事件の核心を目にしたに違いありません。
日本外国特派員協会で講演する一色 正春・元海上保安官(2011−2−14)  それでもなお、ビデオは今日の時点(2011年9月初め)で全面公開されていません。
 朝日新聞は2010年11月6日付け社説・「尖閣ビデオ流出 ― 冷徹、慎重に対処せよ」で、日本政府のビデオ非公開を支持する論を展開しましたので、次項で紹介します。
 なお、一色海上保安官は国家公務員の守秘義務違反で書類送検され、後に起訴猶予処分となりましたが依願退職し、「退職は組織のルールを破ったけじめなので後悔していない」と述べています。もし、一色保安官なかりせば、国民が正確な事実を知る機会を失なっていたことでしょう。

  (7)   非公開を支持した朝日新聞
 社説は「政府の情報管理は、たががはずれているのではないか」と冒頭で難詰、政府の意に反し、ビデオが流出したことは許されないのだといいます。
 そして、「もとより政府が持つ情報は国民共有の財産であり、できる限り公開されるべきものである。政府が隠しておきたい情報もネットを通じて世界中に暴露されることが相次ぐ時代でもある」としながら、「外交や防衛、事件捜査など特定分野では、当面 秘匿することがやむをえない情報がある」との認識を示します。
 「当面」というのが曲者でして、「当面」が昔になった今(2011年9月)、朝日は政府にビデオ全面公開を迫ったのでしょうか。
 笑わせるのが、「映像を公開し、漁船が故意にぶつけてきた証拠をつきつけたとしても、中国政府が態度を変えることはあるまい」という下りです。「泣く子と地頭には勝てぬ」から中国の意に添えとでもいうのでしょうか。
 そして、日中首脳会談がキャンセルされるなど緊張がたかまったことなどに触れ、「日中両政府とも、国内の世論をにらみながら、両国関係をどう管理していくかが問われている」との高尚な見解を示して、「ビデオの扱いは、外交上の得失を冷徹に吟味し、慎重に判断すべきだ」 と結論し社説は終わっています。つまり、「ビデオ公開」に反対というわけで、中国に擦り寄ったいつものながらの朝日新聞というわけです。社説全文は( ⇒ 朝 日 社 説 ) をどうぞ。

  (8)   ここにも歴史問題が
 この衝突事件で日本政府の対応を主導したのは仙谷 由人官房長官だったとの見方が一般的でした。この見方、間違いないだろうと思います。中国漁船の船長を「今後の日中関係を考慮」のうえ釈放した那覇地検への圧力、またビデオ公開をしぶるなど、どこの国の政府かわからない対応に終始しました。
仙谷 由人官房長官  民主党幹事長代理・枝野 幸男が2010年10月2日の国内の講演で、中国を「悪しき隣人だ」 などと批判、「中国とは、法治主義が通らないとの前提でつき合わないといけない」 との認識を示しました。
 衝突事件の経過を見れば、枝野の認識は国民の多くが感じた当たり前の見方で、とくに変わった見解ではなかろうと思います。ところが、仙谷官房長官は早速、反論を加えました。
 「歴史の俎上に載せれば、そんなに中国のことを(悪く)言うべきではない」と枝野見解を否定、さらに「日本も後発帝国主義として参加して、戦略および侵略的行為によって迷惑をかけていることも、被害をもたらしていることも間違いない」と過去の日本の加害を強調すると同時に、中国側の行動を擁護したのでした。

    (9)   反日デモの危険度
   2010年10月に入り、尖閣諸島を自国領と主張する反日デモが中国各地で起こりました。
 「大規模な反日デモが起きたのは、2005年4月、日本の国連安保理事会理事国入りの動きや、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝に対する反発が広がった時以来」(10月17日付け朝日)という次第で、歴史問題、靖国、理事国入り、教科書検定、尖閣諸島、ガス田などなど、デモのタネは中国政府のサジ加減ひとつでいくらでも出てきます。
河南省鄭州市の反日デモ(2010-10-16)  16日、四川省成都で同時多発的に発生、西安、寧波、鄭州(左写真)にも飛び火しました。翌17日には綿陽市(四川省)でも周囲の群衆を含め3万人が集まり、その一部が暴徒化、日系店舗をまた日本車を破壊する行為に出たのでした。さらに武漢で20万人規模(18日)、重慶で1千人規模(26日)といった具合でした。
 この一連のデモはネットの呼びかけに応じた大学生が中心だといいます。
となれば、2005年4月に起こった反日デモと大学生主導という点で共通点があります。大学生主導となるとより計画的に行われるだけに、デモの規模が大きくなり日本にとって、とくに中国進出の日本企業にとって厄介な問題に発展しかねません。
 学生中心のデモは、中国社会に対する不満をテコに「反体制」に向かいやすく、中国当局が神経を配るとのことです。が、政府の意向で一端ほこ先を日本に向かえさせれば、危険度は一気にたかまるでしょう。
 2005年4月の反日デモのとき、バーにいた日本人に「お前は日本人か」と確かめた後、いきなりビールびんで頭を殴ったという報道がありました。その前には日本人留学生を3階に連れ出し、飛び降りるよう脅迫した事例もあります。こんな例は珍しくなくなるかもしれません。
 今後、中国は一層、強大な軍事力を背景に尖閣諸島、ガス田問題など、ことごとく高圧的な態度をとるでしょうし、沖ノ鳥島の問題も浮上するかもしれません。そして、尖閣をめぐる日中関係あるいは北方4島にかかわる日露関係は、つまるところ軍事力、経済力、技術力などの「国力」と「歴史問題」に深くかかわっていて、日本がこのことを蔑(ないがし)ろにしていたがために、今日の優柔不断な日本になったのだと思います。

 終わりに、最近の世論調査( 非営利団体「言論NPO」と中国英字紙チャイナ・デーリーの2011年合同調査 )の集計をご覧に入れましょう。
 中国に対して「良くない印象を持っている」とした日本人は78.3%で、8割近くが中国に対し否定的印象を持っています。この数字は前年比6.3%増で、この数年高止まりしたまま推移しています。
 これに対し、中国人の日本への「良くない印象」も65.9%(前年比10%増)でした。


― 2008年 2月 16日より掲載 ―
― 2011年 9月 16日、大幅に加筆の掲載 ―



⇒ 2  決定的な一冊