脱・洗脳史講座  ・・・ 2005年4月1日開始、一時休止後に再開  カウンターは2015年 5月 1日再スタート

脱・洗脳史講座



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歴史観を決定づけた「残 虐 行 為」


 昭和の初めから日本の敗戦(1945=昭和20年8月)に至るまで、つまり昭和前期を中心とするかつての日本は、中国をはじめとするアジア諸国を「侵 略」 しつづけ、1千万人、2千万人という膨大な住民を殺害、しかも殺害にいたる過程に至っては、吐き気をもよおす「残虐行為」  の連続であったとされました。
 このことは、新聞、テレビなどメディアを通じ、また学校教育などもろもろの経路をたどって、国民に深く浸透していったがために、「あの時代の日本は何もかも悪かった」「恥ずべきものだ」 とした捉え方が、普通の日本人が持つ歴史イメージ( ≒ 歴史観 )であろうと思います。
 こうした歴史観、歴史イメージを私たちが持たされた過程において、罪悪感も同時に醸成されたため、今日なお、日本という国家はもちろん、われわれ自身の言動が何かにつけ拘束されつづけています。

     パール博士の見解と危惧

 1952(昭和27)年10月、サンフランシスコ講和条約の発効によって、日本の独立が回復した半年後にあたりますが、インドからパール博士(1886〜1967年)が来日しました。
 パール博士は東京裁判における11人の判事のうちの1人で、インドを代表して裁判にかかわりました。博士は11人の各国判事のうち、ただ一人の国際法に精通した学者でした。その博士1人が、日本の国家行動は国際法に照らして無罪であると終始主張、また「東条 英機」(とうじょう ひでき)以下の被告全員を無罪とする判断を少数意見ながら表明したのでした。
 そのパール博士は日本の侵略の問題、あるいは日本人の罪悪感などについて、以下のように述べています。

〈 要するに、彼ら(連合軍)は
日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、
自らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、
日本の過去18年間のすべてを罪悪であるとの烙印を押し、
罪の意識を日本人の心に植えつけることが目的であったに違いない。・・・ 〉

〈  日本の子供たちが歪められた罪悪感を背負って
卑屈・頽廃に流されていくのを、わたしは見過ごして平然としているわけにはいかない。
 彼らの戦時宣伝の欺瞞を払拭せよ。誤れる歴史は書きかえられねばならない。 〉

 

 この短い文章に、日本を取り巻くあの時代の「真 実」が凝縮されていて、「洗 脳」された日本人が繰り返し読むべきものと信じます。
   引用の前半にある18年間というのは、東京裁判で審議対象となった期間、つまり昭和3(1928)年〜昭和20(1945)を指しています。また後半の引用(日本の子供たちが・・・ )は、「日本は国際犯罪を犯した」 「日本は侵略の暴挙を敢えてした」 と子供たちに教えている日本の現状を知ったうえでの発言でしょう。
 

     残虐行為、残虐事件 が歴史観を決定づける

 パール博士の来日から、すでに60余年の月日が流れました。パール博士が望んだ「誤れる歴史は書きかえられねばならない」は、多少とも進展したのでしょうか。
 実態はといえば、日本軍・民の常軌を逸した数々の「残虐行為」 は、朝日新聞を筆頭とするメディア等によって暴かれ、日本の国家行動は悪逆非道な「侵 略」 の歴史であったと断罪されました。今は成人、あるいは初老に入った当時の子供たちの心に、漠然にしても抜きがたい歴史イメージが刷り込まれていきました。つまり、日 本=極 悪、連合国=善 という単純な歴史観が広まりを見せたのでした。
 このような日本=悪 とした歴史観を大した抵抗もなくわれわれが受け入れた理由は、アジア諸国を「侵 略」 したことに主な原因があるのではなく、日本軍および民間人が行ったとされる「残虐行為」 に因っているのだと私は思っています。

    ・   アウシュビッツ強制収容所が証明
 このことはナチス・ドイツが周辺諸国を侵略したことで非難されるより、アウシュビッツ収容所 に象徴されるユダヤ民族抹殺という想像を絶する非人道的行為に、今なお、多くの非難が集中していることを考えればこと足りると思います。
ダッハウ収容所の遺体  左写真は連合軍によって撮影されたドイツ南部のダッハウ強制収容所の一場面です。
 この収容所を撮影したフイルムは、ナチス・ドイツを裁いたニュルンベルク法廷において、被告・傍聴人らの前で映し出されました。あまりの凄まじさに法廷は静まり返ったそうです。
 これらを見れば、傍聴人ならずともこの実行者に対して、それこそ「吐き気をもよおす」嫌悪感と怒りをおぼえるに違いありません。
 つまり、残虐行為は戦時下であっても許されない、いわば「絶 対 悪」 と大多数の人が考えるために、この問題は永続性を持ちつづけます。
 ですから、ドイツによるユダヤ民族の迫害ぶりは、ドキュメンタリー映画(番組) にとどまらず、娯楽映画にもしばしば登場します。ドイツ人が内心、どう思っているのかわかりませんが、こうした状況は永くつづくことでしょう。

    ・   「 吐き気をもよおす」 日本軍の所業
 一方の日本軍の残酷な所業について、アメリカのラントス下院議員(故人)は「吐き気をもよおす」 と非難したことがあります。
アイリス・チャン  ラントス議員は下院外交委員会委員長など要職にあった有力者で、ハンガリー出身、第2次大戦後にアメリカに帰化、ナチス・ドイツによるユダヤ人抹殺の生き残りとして知られているとのことです。
 「吐き気をもよおす」とした感想は、『ザ レイプ オブ ナンキン』(アイリス・チャン著、写真多数 ) を読んでのことと思われます。
 また、「南京大虐殺」 に関する知識を得ようとする英語圏の人は、 この書を読むしかありませんので 、政治家、歴史学者、ジャーナリストとを問わず、ラントス議員と同様の感想を持ち、「sex slave」と非難された慰安婦問題など他の出来事とあいまって、日本に対する歴史イメージを形成していったに違いありません。
 ですから、こうした日本軍・民の残虐行為の問題を克服できなければ、われわれ日本人はもちろん、欧米人の日本に対する歴史イメージは変えられないし、また「変えようがない」 というのが私の基本的な見方です。
 言葉を換えていえば、人間の所業とは思えない行為の数々、しかも膨大な犠牲者をともなう「残虐行為」の存在こそが、「侵略問題」に対する疑問や異論が存立できないほどに決定的な影響を及ぼしてしまったのだと思います。しかも、日本の「悪 行」 が悪質であればあるほど、過酷な植民地運営、人種差別政策、原爆投下等を行った欧米諸国にとって、決して悪い話でないだけに、克服の困難さは倍加するでしょう。

    ・   「死傷者3500万人」 とその根拠
 日中間、日韓間では、「残虐事件、残虐行為」が常に政治問題化します。前者の代表が「南京大虐殺」、後者の代表は「従軍慰安婦」でしょう。
 2014年3月29日、ドイツ訪問の習 近平 ・中国国家主席はベルリン市内で講演。日中戦争中に、

〈 日本の軍国主義によって3,500万人の中国人死傷者が、
南京大虐殺では30万人以上が殺害された 〉

 などと、日本を非難しました。
 さらに、2015年9月28日、ニューヨークで開催された国連総会で、習主席は「中国は死傷者3500万人の犠牲のうえで、日本軍国主義の主力を破った」 などと演説しました。死傷者3500万人の宣伝と定着を狙ったものでしょう。
 「南京大虐殺30万人」が中国の主張と多くの日本人は知っているでしょうが、「死傷者3、500万人」 の方は案外、知らないのではないかと思います。
 これから先を考えれば、この中国の公式見解「死傷者3、500万人」により注意を向けておく必要があるでしょう。
 中国が発表する日中戦争における中国側犠牲者数が、時を経るごとに増加してきたことは、ご承知のことと思います。
 1989〜1995年まで、盧溝橋の記念館に掲げられていた数は 2,168万人 ( 死亡932万、負傷947万、行方不明289万人) 、1995年以降は江 沢民のモスクワでの演説(戦勝記念50周年)をもって、一挙に死傷者数 3,500万人 に増えました。
 ちなみに、蒋介石の中華民国政府が東京裁判に提出した公式数字は、死者131万9,958人、負傷者176万1,335人、行方不明13万126人の計321万1,419人 でした。ただし、この数字は軍人だけとのことです。
 中国の主張する人数は、根拠のハッキリしない政治的数字が一般ですが、この死傷者3500万人についても、内訳および急に増えた理由の公式な説明がないまま今日に至っています。

     糾弾される「残虐事件」

 これから先、中国が力を入れると思われる「残虐事件」は、以下の記事が示唆しています。「抗日戦争勝利66周年に思う」とした新華軍事評論家・鄭 文浩の一文で、2011年8月16日付け 「中国網日本語版 (チャイナネット) 」 に掲載されたものです。

  〈 1945年8月15日、日本ファシズムは無条件降伏を宣言した。
だがドイツファシズムが完全に滅びたのに対し、日本の降伏は軍国主義の輩を一掃しなかった。
悪名高い靖国神社にA級戦犯の位牌が残っているのがその一例だ。
日本人の多くは、当時日本が宣言したのは「終戦」で、「降伏」とは距離があると思っている。
 2011年8月15日、日本ファシズムの暴行を証拠付け、糾弾するため、体験者の記憶をまとめると、
平頂山事件、南京大虐殺、万人坑、細菌戦、重慶大爆撃、三光無人区など
日本ファシズムの数々の暴行が白日の下に晒されている。その歴史を我々は忘れてはならない。 〉

 そして終戦70年にあたる2015年8月の時点で、南京大虐殺に加え、重慶大爆撃(ブルース・ウイリス主演の映画化も)、731部隊、さらに万人坑問題にも力を入れつつあるようです。
 そして4年前に指摘されていなかった「sex slave」 問題にも、中国は力を入れはじめました。むろん、韓国との共闘が狙いでしょう。

    ・   「 『 もういい 』 というまで謝るしかない 」
 ノーベル文学賞受賞か、と毎年のように話題になる村上 春樹 のインタビュー記事を最近、何度か見かけました。
 私が目にした最初のものは毎日新聞(2014年11月頃)だったと記憶しますが、2015年4月18日付け、韓国の「中央日報」(日本語、電子版)は、「安倍首相、村上春樹氏の良心の声に耳を傾けるべき」とする社説で以下のようにつたえました。

〈 日本の世界的な作家、村上春樹氏が17日に報道された共同通信 のインタビューで、
「 日本は相手国が『 もういい 』 というまで謝るしかない」
と強調したのは、良心勢力を代弁する勇気ある発言だ。
ノーベル文学賞候補にも挙がっている村上氏がこのインタビューで、
「歴史認識はとても重要であり、しっかりと謝罪することが大切だ」と述べたことは、
日本にも歴史問題に正しい認識を持つ知性人が少なくないことを見せてくれる。 〉

 また、中国の人民網日本語版(電子版)でも、同様の内容を19日付けで報じました。
 日本でも、共同通信に加盟するブロック紙、地方紙もおそらく報じたことでしょう。村上がどのような根拠をもとに、このように考えて発言したのかはわかりません。ただ、ちょっと引っかかることがあります。
 1994(平成6)年、月刊雑誌「マルコポーロ」(文藝春秋、廃刊 )に「ノモンハンとハルハ河 」 という現地訪問記を村上は書いています。ソ連と満州(現・中国東北部)の国境に近いハイラルに、日本軍は対ソ連用の要塞を設けました。
 このとき、強制的に集められた中国人労働者(工人=こうじん)は苛烈な労働条件のもとで突貫工事を余儀なくされ、その過程で多数の労働者が命を落としたのだと、村上は現地係員から説明を受けます。
 さらに、「なんとか生き延びた人々も、要塞の完成時に機密を守るために(つまり口塞ぎのために)、集団で抹殺された」との説明があり、以下のように死の連行が語られます。

〈 日本の兵隊は工人たちの首に針金を通してそこに連れていって殺したんです。
掘り返すと、首のところに針金がついたままみんな骨になっているんです 〉

 明らかになっただけで遺体数は約1万人といいますから「大虐殺」でしょう。村上はこれらを日本軍の行為だと推定できるというのです。
 私には合点がいきません。確かな証拠があるのでしょうか。たとえば、工人たちの首に針金を通して連行という場面が思い描けないからです。首のどこに針金を通したのでしょう。何のためにこんな行為をするのでしょう。
 もっとも、日本人約200人が犠牲となった凄惨な通州事件(1937年7月)などでは、銃剣で手の平に穴をあけ、針金を通して連行するなどの異様な行為が続出していますので、首に針金という例が中国にあるのでしょう(鼻に針金はあります)。
 このハイラルの「口封じ事件」は調査してあり、結論は「デッチ上げ」 (下記注)といって間違いないと思います。村上春樹の 〈 「もういい 」 というまで謝るしかない 〉とした認識は、私の推測ですが、このように見聞きした「日本軍の残虐行為」 が積み重なり、自らの「歴史認識」に大きな役割を果たしたのではと思うのです。
 (注)  この話の検証は、小著 『 検 証 旧日本軍の「悪 行」 』 (自由社)のなかに収めてあります。

     「歴史問題を永遠に話せ」

 中国・韓国(それに北朝鮮も)は半永久的に歴史問題を取り上げるに違いありません。
 江 沢民・元国家主席は1989年8月、海外の駐在大使などを集めた会議で、日本に対し、

〈 歴史問題を終始強調し、永遠に話していかなくてはならない 〉

 と指示していたことが明らかになりました。
 また、「日本軍国主義者は非常に残忍だった。中国人の死傷者は3500万人に達した。戦後、日本の軍国主義は清算されていない。軍国主義思想で頭の中で満たされている者が存在する」などの認識を示しています。
 こうした指示どおり、歴史問題を通した日本非難がつづき、収束の気配はありません。南京の虐殺記念館を筆頭に、中国各地に建つ抗日記念館は200ヵ所を超えています。
 ここにアメリカ、カナダなど欧米諸国の学者、社会科教師らを招いて宣伝につとめ、「吐き気をもよおす」 残虐行為を証言した元日本兵のDVDを持ち帰えさせれば、僅かな費用で絶大な効果を発揮するに違いありません。カナダが「南京大虐殺記念日」の制定を検討していることも、こうした中国の「地道?な努力」の成果でしょう。
 また、2015年8月15日、米サンフランシスコ市の中華街に「抗日戦争記念館」を開館、海外の反日宣伝の拠点づくりに精を出すのもその例でしょう。当然のことながら、ここでも日本軍の「残虐行為」に焦点が当てられます。
 一方では、世界第2位の経済力を背景に航空母艦をはじめとする海軍力、核兵器、ミサイルなどの軍備を増強しています。片手に「軍事力」、片手に「歴史認識」 の2本立てで日本を窮地に追い込み、海洋をふくむアジアの覇権獲得に狙いを定めているのでしょう。

     虚偽を逆手に「歴史イメージ」回復を

 歴史問題が彼らの国家目標を有利に運ぶ政治手段であってみれば、謝って収束できるものではありません。歴史問題は長期化するものと腹をすえ、しっかりした戦略のもと、「事実」をもって事態を改善することが緊急の課題と思います。
 このことは慰安婦問題での「吉 田 清 治 証言」 が示しています。吉田清治をさんざん持ち上げた朝日が、いやいやながらも「虚偽証言」と認めるまで、実に30年もかかりました。国内にしてこうなのですから、あれこれの問題について米欧諸国の認識を是正しようとすれば、長期戦を強いられるでしょう。
 海外の日本人がいやがらせを受けるなどの影響が出ていることでもあり、先々を考えれば歴史問題は日本人の安全にとって重要な事柄のはずです。そして日本人への影響を最小限にするために、その国の国民に歴史問題の実態を知ってもらうことが肝要と思います。
 ではどうすればよいのか、私は2つの方法を同時進行させることが必要と思っています。
 一つは日本人が残虐な民族である(あった)という「歴史イメージ」 の回復を狙ったもので、主に英語圏の一般の人たちに向けたものを想定しています。ですから、分かりやすいことが何よりも大切で、その分かりやすい虚偽事例(たくさんあります)をもって、日本に対する残虐イメージが「虚偽」の積み重ねでできていいることを、体系的に説明します。言葉を替えれば、相手の虚偽を逆手にとって、誤解を解こうというものです。
 もう一つは慰安婦問題、南京問題など個別問題に対して、すでに行われている実証的、論理的に証明された事実の内外発信です。両者のどちらも大切でしょうが、前者の例、つまり一般向けが少ないように思います。

 このホーム・ページの目的は、メディア等によって報じられた「残虐事件、残虐行為」が事実かどうかを検証することにあります。同時に、朝日新聞を筆頭とするメディア、歴史学者、文化人たちが果たした役割にも焦点をあてること、これがもうひとつの目的です。
 軽い気持ちというか、HPとはどんなものか、体験してみないことにはという興味本位ではじめたのですが、10年の間にかなりの量になってしまいました。整理する必要は分かっているのですが、手が回りません。
 そこで、全体としてどんなことが書かれているか、手っ取り早く知るために、⇒ こちら をご覧になってください。別冊正論26『「南 京』斬り 』 (2016年3月発行)に書いたもので、題名を「中国に洗脳された中帰連の宣伝と協力者」としてありますが、諸氏に知っておいて欲しいことの概略は書いてあります。また、「相手の虚偽を逆手に」についても、私の考えは少し触れてあります。大雑把なことは分かるかと思いますので。





   著作 『毛沢東の対日戦犯裁判  中国共産党の思惑と1526名の日本人』 批判


 2016年11月、大澤 武司・熊本学園大学外国学部准教授の手で『毛沢東の対日戦犯裁判』(中公新書)が発刊されました。
 日ソ中立条約を一方的に破ったソ連は、60万人という膨大な数の日本人将兵を連行のうえ、過酷な労働を強いたことはご存じの通りです。そのうち、選別された900余人が中国に送られ、「撫順戦犯管理所」という名の監獄に収容されました。1950年7月のことです。ですから、約5年に及んだソ連抑留の後になります。
 これとは別に、中国山西省に駐留していた第1軍の将兵ら約140人が、他の理由から「太原戦犯管理所」に囚われの身となりました。経過等については、当ホ−ムぺージの各章をご参照ください。

 この2つの監獄に収容された約1100人が「中国(中共)戦犯」 といわれる人たちで、ほとんどの人は中国で約6年間、ソ連の分と合わせれば11年間という長期にわたって自由を拘束されたことになります。
 上記本はこの「中国戦犯」が、ソ連から中国に移された経過・背景、戦犯管理所内での「学習」にはじまり「自白・認罪」にいたる過程、そして起訴・裁判、さらに起訴免除となって帰国した彼らが組織した「中帰連」の活動等に焦点をあてて記述されています。
 
 「証言」の信憑性が核心
 この「中国戦犯」にかかわる問題の核心は、彼らが中国に書き残してきた「自筆供述書」「手記」ならびに帰国後の著作を含む「証言」が事実かどうかの問題にあります。「中国戦犯」問題を語るとき、この信憑性についての言及は必要不可欠、避けて通れないテーマです。
 というのも、「信頼できるか」、あるいは「虚偽が多数含まれているか」で、「学習」「自白・認罪」へと誘導された6年間の管理所生活、中国の狙い等の解釈(評価)が一変してしまうからです。
 ところが、この書は彼らの供述書、証言等に疑問をはさむこともなく、「事実」であることが「自明」であるかのように素通りしています。そして多分、先入観のなせる業なのでしょう、彼らの証言等から調査しやすいものを選んで調査し、その上で「虚偽」と書いた私に対し次のように記します(229ページ)。

 「新しい歴史教科書を作る会」で知られる藤岡 信勝・東京大学教授らが1995年、「自由主義史観研究会」を発足させ、
〈 既存の歴史教科書が「自虐史観」に毒されていると批判活動を始める 〉 とし、以下につづけている。

〈 さらに1996年10月、評論家の田辺敏雄が、産経新聞社発行の月刊誌『正論』誌上に
評論「『沈黙』が支える日本罪悪史観のウソ」を発表し、中帰連の『三光』や『新編 三光』、
『天皇の軍隊』(朝日新聞社)などを名指しで「日本罪悪史観の最大の根源」であると批判すると、
中帰連はこの挑戦を受けて立つことを決意した。かねてから田辺は、
南京大虐殺や平頂山事件をはじめとする日本軍による残虐行為の存在を否定する論陣を張っていた。


 読まずに書く杜撰
 私が評論家というのもどうかと思いますが、まあそれはよいとして、これを読めば、田辺は「平頂山事件」の存在を否定するとんでもない人間と思うでしょうし、「南京大虐殺」否定の論陣をも張る奴だから、私の書いたものは信用できない、読むまでもないと思うことでしょう。ですが、これは間違いというより、根拠なき中傷です
 およそ学者・研究者にふさわしくない大間違いといってよいでしょう。誰にでも間違いはあるもので、それをいちいち咎める趣味は持ち合わせておりません。ですが、これはケアレス・ミスとか筆がすべったなどという間違いと性質が異なります。
 私が『追跡 平頂山事件』を出版したのは1988年ですから、もう30年近く前になります。ここで事件を「日本軍の蛮行」と明確に認め、犠牲者も「400〜800人」 と推定しました。ですからこの後30年の間、この事件を否定したり、それらしきことを書いたことは一度もありません。無論、書くはずもありません。その内容はこのホームページをお読みになれば分かることです。一体、誰から(どこから)こんな話を聞き、何ゆえに信じたのでしょう。
 「南京大虐殺」にしても同じことです。もちろん、この事件について興味を持っていますが、「事件そのもの」について書いたことはありません。というのも、すでに多くの研究者もいることから研究テーマから除外していました。したがって発表するようなオリジナルなものをほとんど有しておりませんので、「南京大虐殺」否定の論陣を張るなどできるわけがありません。もちろん、したこともありません。ただ、多少は勉強しましたので、その結果として、犠牲者「なかった説」「ゼロ説」を私がとっていないことは、当ホームページでも確かめられるはずです。
 どうしてこんな間違いをするのでしょう。問題はむしろこちらの方かもしれません。ろくに読まずに書いたことは間違いないのですが、それだけでしょうか。やはり、彼ら戦犯の「証言」等が間違いだと指摘すると、「平頂山事件も南京大虐殺も否定しいているに違いない」と反射的に思ってしまうのかもしれません。いずれにしても、著者の強度の先入観がなせる業だと思っています。

 かかる事実無根の中傷を看過することはできません。茶で示した上記一行強の削除を要求します。
同時にこのように書くに至った経緯を明らかにするよう合わせて要求します。

 なお、「中国戦犯」問題の核心については、上記に示した別冊正論26『「南 京』斬り 』 (2016年3月発行)に書いてありますので、こちらもお読みになってください。この書に対する批判にもなっていると思いますので。




   『戦場体験者 沈黙の記録 』 (保阪 正康、筑摩書房)
に見る「平頂山事件」記述

 ノンフィクション作家の保阪正康が、朝日新聞に上記『毛沢東の対日戦犯裁判 』の書評を書いたことをネット上で知りました。その書評の一部を見ただけですのでハッキリしたことは言えませんが、好意的な内容だったようです。
 たまたま、氏の『戦場体験者 沈黙の記録 』(2015年刊)に「平頂山事件」の記述があること、これもネットから知りました。
 「40数年間に延べ4000人から聞き取り調査を行ってきた」 というのが(出版社の)売り文句でしたので、この事件についても関係者から聞き取り調査をしたうえで書いたものかと思われました。
 ですが同時に、保阪が聞き取り調査をしていれば、「私の耳に入っていたはず」とにわかに信じる気になれませんでした。というのは、この事件については、事件現場にいた軍関係者、また舞台になった撫順炭鉱の勤務者らに(私は)幅広く聞き取り調査をしていましたし、毎年開かれる事件に関係した部隊の「戦友会」に1986年頃から解散する2008年頃まで、欠かさず出席していたからです。かりに、メディアや個人の調査が行われれば、よほどの事がないかぎり私の耳にとどいたはずだからです。
 そうはいうものの、私のまったく知らない事件関係者から調査した可能性がゼロとは言い切れません。とにかく読んでみようと思い、本を入手しました。他は飛ばして「平頂山事件」のところを読んだのですが、呆れるほど酷いものでした。

 45年前に後もどり
 まず、「加害者」である日本側証言者が一人も出てこないのです。聞き取り対象4000人のなかに事件を知りうる立場の人が皆無ということになり、何だかはぐらかされた感じを受けました。では、何に基づいて事件について書いたのでしょうか。
 2000年8月、保阪を団長とする訪中団が旧満州を訪れ、平頂山事件の現場や731部隊跡などを見て回ったと書いてあります。ですから、このとき中国側から得た知識が基らしいということは分かります。
 問題は、中国側の説明を鵜呑みにしていて、加害者側である日本側の資料、証言等が反映されていないのです。
 犠牲者3000人と簡単に書きますが、1932(昭和7)年11月末、有名な「リットン報告書」 を審議する国際連盟理事会の場で、中国代表が表明した数字「死者700余名、重傷者6、70名、軽傷者約130名」 は考慮の対象にならないのでしょうか。あるいは、この事実を知らないのでしょうか。
 また、「住民抹殺」が関東軍守備隊、憲兵隊、炭鉱管理者が集まる「幹部会議」 で決定されたとありますが、これは「フィクション」です。そのほかの記述についても間違いはいくつも指摘できます。
 私の『追跡 平頂山事件』は1988年、その後も重要な資料がいくつか発掘されていますし、公表もされています。ですが、これらを知っていたのかどうか。
 そこで想起されるのが1971年、朝日が連載した「中国の旅」です。筆者は当時、花形記者だった本多 勝一 で、連載冒頭に平頂山事件がでてくるのですが、これも中国の説明通りで、日本側の裏づけ取材が皆無です。
 この書の発行年の2015年から数えると、「中国の旅」は約45年前になります。半世紀近く経った今も、「中国の旅」と同じことを繰り返している、そう思わざるをえませんでした。
 誤解があるといけませんので、念押ししておきます。事件の発生自体、間違いありません。特異な背景を持った事件といってよく、「だから他の日本軍も」と一般化できませんが、事件が日本軍の蛮行であり、非難に値すると思っています(この項、2017年2月25日up)。

  (追 記)
 この保阪の本の102ページに、K大尉の強制連行にかかわる証言が以下のごとく取り上げられています。

 〈 中帰連の埼玉支部で活動を続けていたK氏は、東京外語出身のの学徒兵であったが、昭和十九年、二十年初めに
中国の東北地方で強制連行のために中国人青年の「狩り」を行ったことを克明に証言している。
K氏によると、この作戦は「うさぎ狩り」といわれていて、・・・ 〉

 K大尉というのは、小島 隆男大尉 (階級は終戦時)に間違いありません。日本各地で、あるいは中国で自ら強制連行を実行したと証言のうえ謝罪し、また他にもいくつかの日本軍の「大罪」を積極的に証言しています。また、NHKテレビに出演し、また朝日などメディアにも取り上げられました。
 ですから、匿名にする理由があるとも思えませんが、問題は小島証言が事実かどうかです。このホームページの「731部隊コレラ菌散布事件」「8000人強制連行」をご覧になってください。裏づけのない「証言」が、いかに危険であるかが分かると思いますので。


― 2017年 2月16日更新 『毛沢東の対日戦犯裁判 』 批判を加筆 ―

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