脱・洗脳史講座  ・・・・ 2005年 4月 1日開始       (カウンターは2006年7月31日スタート)

脱・洗脳史講座

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現代史の見直しは望み薄か

 昭和前期を中心とするかつての日本は、中国をはじめとするアジア諸国を 「侵略」 しつづけ、ここかしこで膨大な数の住民を殺害するなど組織的かつ悪質な「残虐行為」 をはたらきつづけた歴史であり、 「あの時代の日本は恥ずべきもの、触れたくないもの」 とする捉え方が、漠然としたものにせよ、ごく普通の日本人が持つ歴史イメージ( ≒ 歴史観 )だろうと思います。
 この歴史観、歴史イメージは、深いところで私たち日本人の罪悪感、贖罪意識(しょくざい・いしき)とつながっているため、今日なお、国家はもちろん、われわれ自身の言動を何かにつけ拘束しています。


  1   「残虐行為」が歴史観を規定

 このような歴史観、歴史イメージをわれわれが持つようになった決定的理由は、他国に対する侵略問題にあるのではなく、日本軍および民間人が行ったとされる残虐行為の一点にある と思います。
 「侵略」問題の方は、当時の日本の周辺国を見渡せば、インド、ビルマ、インドネシア、ベトナム、フィリピンなどなど、ことごとく白人列強国の植民地であり、独立国といえるのは日本、タイ の2国くらい。中国はといえば、大小軍閥が各地に割拠し、国民党の蒋介石はこれら軍閥と戦い国内統一を目指し、やがて新政府を樹立(1928=昭和3年)したものの、アヘン戦争(1840年)以降、列強による権益はそのまま、国内の不安定さも同様でした。なにより列強の持つ軍事力は圧倒的であり、植民地指向も依然強く、太刀打ちできる相手ではありませんでした。
 日本も手をこまねいていれば、他国と同様、植民地にされるのは火を見るより明らかです。ですから、日本という国家の 「生存をかけた戦い」 であったという主張は、そう理解されにくくないはずで、現に理解を示す欧米の歴史学者も少なくないと読んだ記憶があります。
 ところが、これを帳消しにしたうえ、日本のイメージを最悪の状況に引き込んだのが日本軍の「吐き気をもよおす残虐行為」 (米ラントス下院議員、故人)の存在です。ですから、この残虐行為をクリアできなければ、われわれ日本人はもちろん、欧米人の歴史観、歴史イメージは変えられないし、また変えようがない というのが私の基本的な見方で、このホームページを含め、機会あるごとに書いてきました。
 このことはナチス・ドイツが周辺諸国を侵略したことで非難されるより、アウシュビッツ収容所 に象徴されるユダヤ民族抹殺という想像を絶する非人道的行為に、今なお、多くの非難が集中していることを考えればこと足りると思います。
 つまり、残虐行為は戦時下であっても許されない、いわば 「絶対悪」 と大多数の人が考えるために、この問題は永続性を持ち、日中間、日韓間などで、相反する利害が表面化するたびに、両国からここを突かれては謝罪を繰り返し、日本の国益が揺らぐというしだいです。
 われわれ日本人がしっかりとした対応を示さないかぎり、半永久的に国家間における 政治的武器 として利用されつづけ、日本は後退を強いられることでしょう。


  2   よってたかって自国を悪者に

 1970年代の初め、つまり今から40年ほど前のことです。日本のメディアは「現地ルポ」などと称して中国などに出かけ、日本軍・民の残虐行為、残虐事件を聞き出しては、これでもかこれでもかと報じ、日本の過去を断罪しました。
 先頭に立って煽ったのは間違いなく 朝日新聞 です。もちろん毎日新聞なども同様、ブロック紙、地方紙の多くも追随しました。
 さらに、NHK 以下のテレビが加わります。そして、これらが報じる残虐事件、残虐行為を事実と決めつけた大学教授・文化人ら によって、過去の断罪に一層の磨きがかかったのです。
 報じられた日本軍の残虐さがわれわれの想像を絶していたがゆえに、日本人は集団ヒステリーにかかったような状態となり、日本軍と日本の国家行動に対する「謝罪と反省」 を迫る空気のまえに、日本人の多くはこれに従いあるいは口をつぐんだのです。
 それら日本軍の行為がまた中国、韓国、アジア諸国などに跳ね返えっては既定の事実と化し、さらに日本非難の声が大きくなる悪循環を引き起こします。「南京虐殺」「従軍慰安婦」 はこの代表例といってよいでしょう。
 このように、日本軍となるととにかく叩く悪癖が40年以上もつづき、日本のマスメディア、学者らにとって日本軍叩きは“正 義” となったのです。このような状況下にあって、われわれの歴史観、歴史イメージが歪まなかったとしたら、むしろおかしいでしょう。


  3   輝かしい教育の成果

 「平和教育」 の名のもと、過去の日本を否定する「日 教 組」は、これら一連の報道に飛びつきました。残虐行為ほど生徒に分かりやすいものはなく、効果を期待できると踏んだからです。
 戦後の日本の平和運動は「反米親ソ」路線をとってきましたが、1970年代になってスターリンの犯したケタ外れの悪逆に見られるごとく、ソ連社会主義の実態が暴かれるにつれて、ソ連への幻想が失われていきました。かれらにとっていわば心の故郷の喪失です。
 1980年代に入ると、日教組は戦争被害を教えるだけでは平和教育の目的は達成できず、加害の事実を教えること、つまり日本軍国主義の悪を教え込むことに力点を移していきました。「反 米」 から「反 日」 へのシフトです。日本軍による残虐行為は報道されただけでも山のごとくあるのですからネタには事欠きません。
 そんなとき、「教科書誤報事件」 (1982=昭和57年)が起こりました。事件というのは、高校用歴史教科書の文部省検定で、検定前の教科書に「侵 略」 とあった記述を「進 出」に書き換えさせたとして、日本のメディアが集中非難したものでした。
 ですが、書き換えの事実はなかったのです。にもかかわらず、中国、韓国の抗議に屈した日本政府は、教科書記述にあたっては中国、韓国など近隣諸国の批判に十分配慮するとした「近隣諸国条項」 が検定基準に加えられ、学問的に裏づけのない残虐事件も事実上フリーパスとなりました。
2001年6月27日付け産経  このような動きに教科書出版会社が反応しないわけがありません。南京虐殺、三光作戦、強制連行など残虐行為を競うように取りあげ、教科書売り込みのセールスポイント になったのです。ですから、日本の歴史教科書と教師用の「虎の巻」(「指導書」)は残虐事件記述で溢れかえりました。
 大阪やほかの各地に建設された「平和博物館」 (=平和祈念館)だって視点は同じです。全国自治体に平和博物館を建てようと1983年、「平和博物館を創る会」が発足しました。
 呼びかけ人は永井 道雄 (朝日新聞論説委員、三木内閣で文部大臣)、家永 三郎 (教育大学教授)らでした。そこでの展示は、歴史教科書と同様、日本軍による加害を強調したものでした。
 こうした教科書、あるいは「平和博物館」を通じ、日本の過去断罪、国家否定という刷り込みが教室内で日常的に行われているのです。
 その結果が国旗を踏みつける中学生 の出現です。産経報道(写真)によれば、「卒業式終了後、生徒たちが国旗を降ろし、雪に埋めて踏みつけていたことが分かった。式自体も、教職員らが国旗掲揚と国家斉唱を妨害するなど大混乱になった」 というのです。
 こんな例もありました。
 2000年3月の卒業式で、東京都・国立市立小学校の生徒が掲げた国旗を降ろすよう校長に要求。あげくに興奮状態になった学 童 は校長に向かって「あやまれ」「土下座しろ」と迫り、なかには泣き出す生徒もでてきたとのこと。そのうえ、保護者までもが「子供たちに謝ってほしい」と校長に向かって言い出す始末。
 世界のどこに父兄も参列する厳粛な卒業式で、自国の国旗を踏みつける生徒がいるでしょうか。また世界のどの国に校長に土下座を要求する小学生がいるでしょうか。判断力のない生徒たちは左がかった教師にそそのかされ、正しい行為のごとく錯覚し、ことにおよんだに違いありません。なんという輝かしくも愚かな教育の成果でしょう。
 卒業式での国旗掲揚、国歌の斉唱時に起立をしない(「不起立闘争」というのだそうで)ばかりか、気勢をあげるなどの妨害行為に出る教師が後を絶ちませんでした。その数も、例外などといって済まされない数に達しているのです。


  4   海外に飛び火

 こうした国内事情が海外の論調に及ばなかったとしたらむしろ不思議でしょう。戦後60年余りも経た2007年6〜7月、アメリカ下院外交委員会および 同下院本会議 で採択された「慰安婦」 に関する「対日非難決議案」は、このことをはっきりと証明しているはずです。
 同決議案によれば、「慰安婦制度は日本政府による軍用の強制的な売春で、20世紀最大の人身売買の一つ 」 と断じ、日本政府に「公式謝罪」 を求めてきました。その事実がなかったにもかかわらずにです。
 さらには、カナダ下院本会議でも、「公式かつ誠意ある謝罪」を求めた決議案が、またオランダ下院の本会議でも、元慰安婦に対する「謝罪と補償」を求めた決議案が採択されました。この動きはキッカケ次第でいつEU諸国に広がっても不思議ではありません。
 慰安婦強制連行の大元をたどれば、ひとえに「朝日新聞」 の捏造ともいうべき事実をねじ曲げた報道にあり、さらに誤りを認めないどころか、依然と強弁をつづけているところに行き着きます。
 ですが一体、「朝日」読者の何人がこういった事実を知り、かくまで貶(おとし)められた国家と傷ついたわれわれ国民の名誉をどう考えるのか、ぜひ知りたいところです。
 もちろん、裏づけ調査をろくにしないまま、「慰安婦強制連行」を認めてしまった日本政府(「河野談話」)の責任も追及されなければなりません。事実関係がハッキリしているにもかかわらず、日本政府の「静観の構え」とやらで、アメリカに抗議一つしようとはしませんでした。国家が日本の名誉を守らずに、一体、誰が守るというのでしょう。
 慰安婦問題にかぎらず、南京大虐殺など一連の歴史問題は、情報戦、宣伝戦という国益をかけた戦いであり、しかも仕かけられた戦い なのだという認識が、政府も国民も希薄なのでしょう。


  5  増強、増設される「抗日戦争記念館」

 中国に目を転じれば、北京市郊外の「中国人民抗日戦争紀念館」はすでに増強され、「南京事件」70周年にあたる2007年12月、敷地面積を3倍にして再オープンした「南京大虐殺紀念館」
人民抗日戦争記念館 南京大虐殺記念館  200ヵ所以上もあるといわれるこのような「抗日戦争記念館」 の中身が、ことごとく日本軍の残虐ぶりを強調したものであり、残虐行為の強調こそが、中国人民の「愛国教育」という名の「反日教育」に、また中国を訪れた外国人の「反日感情」の醸成に、効果のある宣伝方法と中国が認識しているからにほかなりません。
 もちろん、外国人の中には日本人も含まれ、修学旅行で「南京大虐殺紀念館」等を訪れる高校生らは大きなショックをうけ、「日本人であることが恥ずかしい」 との感想を持つに至ります。このショックは一生涯つづくはずですから、抜群の効果に違いありません。
 中国は「南京大虐殺記念館」を「世界遺産」 に登録されるよう働きかけるなど、日本軍が史上類を見ない残虐な軍隊であったこと、いかに中国人民が惨禍をこうむってきたかを、とくに 米・欧諸国など英語圏に狙いを定めた宣伝 に一層、力を注ぐはずです。
 現に、上記アメリア下院における「対日非難決議案」の採択は突如として起こったことではなく、在米の中国系反日団体 による米議員への資金援助など、息の長い活動があってのことです。
 また、アメリカで南京虐殺関連の映画多数が作られるのも同じ流れですし、南京にかぎらず、今後「バターン死の行進」「731部隊」 などを材料に、反日活動の継続、活発化は予想できることです。そしてこれら反日団体の背後に中国政府があることは、公然の秘密といってよいでしょう。
 また、主だった国から歴史、社会科教師を招待し、南京大虐殺記念館を見学させるなどして宣伝につとめ、日本が依然として、「反省も謝罪も補償もろくにしない非道徳国家」であることを強調し、その認識を広めることによって、日本にダメージを与えるなどは、少し考えれば誰にでも思いつきそうなことです。
 すでに、カナダにその例が見られますし、相当な効果を発揮していると思われます。日本を押さえ込むのに、こんな安上がりの手段はないでしょう。コスト・パフォーマンスが抜群に高いはずです。
 これらは過去の話ではなく、現在も進行中のこと。しかも、国家の明白な意図があってのことですから、日本にとって終りの見えない由々しき問題になっているのです。
 このような状況下にあってもなお、窮地を脱出するこれといった戦略もなく、ただ「友好第一」を唱えるだけで、裁判官の前に引き出された「罪人」よろしく、その場しのぎの卑屈な日本でよいのでしょうか。


  6   日本軍・民の残虐行為は本当か

 では、日本軍民を告発・断罪する残虐行為、残虐事件はしかるべき調査をし、細部に多少の違いがあるにしても、大筋では間違いのない事実と確認されたものなのでしょうか。

 信じられないかも知れませんが、まったく違うのです。なすべき裏づけ調査をなさず、検証と呼べるような調査をしないまま、中国など相手のいうことをマル呑みにして報道、その結果、事実とされてしまったものが大部分なのです。

 にもかかわらず、日本軍の行った悪逆非道な行為は、ナチス・ドイツのあの人道に背いた組織的犯罪と同等視されてしまいました。いや、日本軍の行為はナチスの蛮行を上回るとする日本人学者がいるくらいなのです。
 このような事態を招いた責任は、第1に 朝日新聞、NHKを中心とするマスメディア、次いでこれに追随した 歴史学者、文化人など“ 有識者 ” と名指して間違いないはずです。


  7   なぜ見直しは望み薄なのか

 それならば、このような愚かな歴史観から一日も早く脱出しなければなりませんが、脱出は可能なのでしょうか。残念ながら、難しいように私には思えるのです。
 脱出するにはまず、われわれの持つ歴史観、歴史イメージがメディアなどによって刷り込まれた怪しげな「 洗脳史観 」 であることを、多くの国民に気づいてもらうことが必要不可欠でしょう。そのためには、メディアがまき散らした日本軍の残虐行為という「ウイルス」に対して、効果のある「ワクチン」 が用意されなければなりません。
 ここでいうワクチンとは、ウイルスの多くが、虚偽または誇大 なものであることを実証的に明らかにしたものと定義しておきます。
 このようなワクチンを数多く開発し、多くの人に知らせることによって、われわれの持つ歴史観(歴史イメージ)が思い込まされたものであったかに、気づいてもらうことだろうと思うのです。
 でも、効果のあがるワクチンの開発は簡単ではありませんし、かりにワクチンができたとしても、このような歴史観を広めてきた当事者、つまりウイルスの散布者 である朝日新聞、NHKなどほとんどの日本の報道機関が、ワクチンの存在を報じるわけもありません。ですから、ワクチンの存在自体を日本人が知る機会が少ないことになります。
 さらに、大きなカベ が存在します。
 というのは、このようにしてできた歴史観を大した抵抗もなく日本人が受け入れたのも、国民性 と深くかかわってのことと思いますし、脱却を困難にしているのも国民性ゆえだと思うからです。
 この国民性を一つ挙げれば、偽善に陥りやすい体質 だろうと思いますし、多分、われわれ日本人の大多数が善き人たち、つまり本質的、伝統的に善人であることと関係が深いのではと考えます。ですから、メディアが流す一見、良識そうな意見やもっともらしく見える善に対しては簡単に同調し、みずからも「良識ぶる」「善人ぶる」 のだと思います。それも無意識というか習慣化したものだけに厄介な問題です。
 中国で、朝鮮で、また東南アジアでかくかくの残虐行為を働いたと日本(軍)叩きに狂奔する朝日、NHKをはじめとする日本のメディアを、日本人がさぞ嫌悪するかと思いきや、そうでもないようなのですから。
 「告発される前に、自らの手で告発した良心的な報道、良識あるメディア」 とばかり、逆に評価があがるといった風なのです。でなければ、世界に例を見ない800万部などという巨大部数を持つ新聞社が存続できるはずがないでしょう。
   今日の「あの時代の日本は何もかもが悪かった」 とする見方は、メディアや学者、文化人だけの責任ではなく、メディアがとる音頭そのままに、踊った国民の責任も大きい はずです。
 国民も同調した末の話なのですから、たとえ思い込まされたものにせよ、こうまで浸透した歴史観、歴史イメージを変えることは、期待薄と思わざるを得ないのです。
 

  8   脱出のための神頼み

 では、脱出することは半永久的に出来ないかというと、そうではないと思います。脱出は可能です。ただ、自力でできないだけであって、風向きしだいでは、大して意識しないうちに事が成る可能性はあると思います。
 われながら面白くもない結論だと思うのですが、脱出可能なシナリオは一つ と思っています。
 別に学問的なウラづけがあるわけではありません。ただ多少、人間を長くやってきましたので、少しは世の中を見てきました。私も日本人ですから、平均的な日本人がどう考えるかはおおよその見当がつきます。まあ、皮膚感覚からきた直感とでもしておきます。
 われわれ日本人は不利益が目に見える形で自らに降りかかる、あるいは降りかかりそうにならないかぎり、良心的に見える側に同調する傾向が強いのだと思います。その方が多数の側で安心できますし、なにやら、自分が高尚な人間になったような自己満足に浸れるから だろうと思います。
 ですが、ひとたび具体的な不利益がみずからに降りかかるとなれば、「高尚かつ良心的な考え」 など、一瞬のうちに吹き飛んでしまいます。自分の意見が他者にどう見てもらえるか、いかに自分が良い人間と見られるかを主な判断基準として自己の意見を形成するのですから、当然の結果に違いないと思っています。これは歴史問題に限った話ではなく、財政危機、国防問題、社会問題(治安悪化など)、福祉の問題などへの対応も共通するのでしょう。
 というようなわけで、私の考える脱出シナリオはいたって簡単です。
 日本人の多数にとって、具体的な不利益が自身に降りかかってくる状況になれば、反応は一変し、われわれの歴史観は刷り込まれた不当なものだという話に耳を傾けやすくなるでしょう。そのときが、脱出の機会だと思います。
 端的に言えば、ショック療法になるような出来事によって、あるいはショッキングな状態にまで追いつめられることによって、覚醒の発端になるのだと、残念ながらそう思います。
 あの方法もダメ、この方法もムリと堂々巡りの結果、行き着いた脱出の可能性がこれとなれば、索漠たる思いを禁じえません。



  ・ このホームページについて

 このホームページは、効果のほどはわかりませんが、私の考える「ワクチン」を提示いたします。
 具体的には、報じられた「残虐行為」がどの程度信頼できるものなのか、その全体像を知るために、系統的にできるだけ多くの検証例をとり扱おうと思います。
 とうに知っていたこともあるでしょうし、初めて聞く話もあることでしょう。何より 事実を重視 します。ですから、起こったことも隠さず、そのままおつたえします。先入観をできるだけ排し、素直に考えることを心がけたいと思います。
 開発途中ですが、どうぞご覧のうえ、お考えいただければと思っています。

― 2011年 8月 6日 ―



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