毒ガス写真事件

― 暴力団顔負けの学芸部長 ―

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 23連隊にかかわる事件のわずか3ヵ月後に、またも起こった誤報事件について報告します。こちらも「守秘義務」のために真相が隠されてしまいました。「情報源の守秘義務」というのは、新聞社にとって実に都合のいい逃げ道になっていることがよく分かります。

     1    朝日新聞の報道

 1984(昭和59)年10月31日付、朝日新聞は、一面の真ん中に入道雲のようにもうもうと沸きあがる煙りの写真とともに、

〈 「これが毒ガス作戦 」 と元将校 〉

 との大見出しのもと、「毒ガス作戦」の模様を報じました(下写真)。

    ・   「現場にいた」 「光景に見覚えが」 と元将校
〈 当時、中国戦線の第101師団に所属していた神奈川県在住の元将校Aさん(70)が、 このほど、朝日新聞社に「私は毒ガス攻撃の現場にいた」 と 当時の撮影写真を提供した 〉
 とし、次のように報じました。
 この写真は、中国戦線における戦闘場面などを収めた「 支那事変記念写真帳第二輯 」 のなかの1枚で、Aの所属部隊が作成し佐官級(少佐、中佐、大佐の総称 )の将校に配られたものだといい、

〈 南昌攻略作戦の一コマで、(昭和)14年3月21日午後、
中国・南昌市の北約50キロ、修水県城近くで撮影されたものと思います。
写真の光景にはっきり見覚えがあり、手帳に日時も記入していた 。
当時、写真集をもらってこのページを見たとき、あの作戦だ、とすぐわかった。 〉

 と説明、全員が防毒マスクをつけて待機、ガス係が点火して写真のような光景になった、と具体的に証言しています。さらに、

 〈 これまで誰にも見せられなかったが、
最近、当時の日本軍の行為を正当化するような動きがあり、
義憤を感じたために、公表することを思い立った。 〉

 と公表の動機も説明しています。

    ・   大学教授のお墨つき
 となりますと、残るはこの写真が本物かどうかという点と、本物ならばこの作戦によってどのような被害を出したのかという点に絞られるでしょう。
 朝日記事は写真が本物であることを裏付けるために、「 実際に中国戦線に従軍し、最近では日中戦争での化学戦の実証的研究を進めている 」 という藤原 彰・一ツ橋大学教授の次の説明を記し、本物の写真に間違いないと太鼓判を押します。

 〈 写真を見ると、発煙筒ではなく、毒ガスに間違いないと思う が、
放射筒が写っていないので、写真だけからガスの種類を特定することはできない。
私自身、日中戦争での毒ガス実写写真を見たのは初めてだし、公開されるのもこれが初めてだろう。 〉

 と、もっともらしく解説を加えました。陸軍士官学校出身で中国戦線の経験を持つというエライ大学の先生がいうのですから、一部の変わり者は別にして、信じないなんて考えられません。

     2    ニセ写真と判明

 朝日読者のほとんどは、第1面に掲載されたこと、元将校Aの説明のもっともらしさ、本多勝一記者とともに「南京大虐殺」などでおなじみの大学の先生が、しかも化学戦の実証的研究も手がける学者が、「毒ガスに間違いない」 とコメントしているのですから、この毒ガス作戦を素直に信じたことでしょう。
 ここにまた一つ、日本軍の悪行を知らされ、底なしのともいえる悪辣さに一層、日本軍への嫌悪感を読者はつのらせたはずです。
 ですが写真をよく見ればわかるように、まるで火災でも起こったように煙状のものが上空へとはいあがっています。毒ガスならガスが地面を這うように流れないのはおかしいのでは、といった疑問は素人でもでてくると思いますし、現にそういう指摘が玄人筋からありました。
 というのも、毒ガスが空気より重いだろうということは中学生でも想像がつくからです。

    ・   煙幕だった
 やはりこの写真は撮られた場所も日時もAの証言とはまったく異なり、単なる煙幕 を写したものだったことが判明したのです。
 産経新聞(1984年11月11日付)は、Aが朝日に持ち込んだのと同じ『支那事変記念写真帳第二輯』 を入手、毒ガスとされた写真が南昌作戦の項になく、南昌作戦の半年後に展開された「かん湘作戦」に入っていること、またこの作戦で毒ガスを使った事実がないことなどを根拠に、〈 「毒ガス」 実は「煙幕」? 〉 などの見出しを立てて報じました。
 この写真集を入手し、記事を書いた石川水穂・産経記者は、「この煙幕の写真を以前にどこかで見た記憶があったため、この種の本をあつかう神田の古書店ではなかったかとたずね、同じ写真集を入手した」と私に話してくれました。

     3    朝日学芸部長、産経に殴り込む

 朝日報道は間違いと指摘され、佐竹 昭美 朝日学芸部長は怒り心頭に発したのでしょう、産経新聞社に乗り込んだのです。そこで吐いたセリフはヤクザ同様の勇ましさでした。

〈 天下の朝日に喧嘩を売るとはいい度胸だ。
謝罪して訂正記事を載せないと新聞社ごと叩き潰してやる 〉

 それにしても、知性のカケラもないアンチャンまがいの言。まさか「天下の朝日」の学芸部長がと思うかもしれません。ですがこの話、間違いないはずです。というのも、応対に出た産経新聞デスク・高山 正之 (後、帝京大学教授)が明らかにしたものだからです。
 朝日が書くことに間違いはないのだ、産経ごとき2流、3流新聞が「天下の朝日」にタテつくのは許せん、潰そうと思えばいつでも潰せるのだという思い上がり。朝日OBの稲垣 武 (「週刊朝日」副編集長などを歴任)は、

〈 当時の朝日は「朝日にあらずんば新聞にあらず」くらいに思い上がっていましたからね。
その朝日を批判するのは不敬罪なみの扱いだったんでしょう 〉

 と指摘します。

    4   朝日降参、「取材源の秘匿」がはばんだAの正体

 さらに、この写真が「かん湘作戦」のものに間違いないという証拠をつきつけ、産経は1日おいた11月13日付で追い討ちをかけました。
 毎日新聞社発行の 『決定版昭和史』 第9巻のなかに、従軍カメラマン撮影の写真が収録されていて、そのうちの1枚が朝日掲載の写真と同じ光景を写したものだったのです。その写真説明には、

〈 (昭和) 14年9月23日・・・洞庭湖に流れる新墻河(しんしょが)で
対岸の敵に猛射を浴びせる第6師団の砲撃 〉

 と明記されていて、101師団に所属し南昌作戦に作戦したというAの証言を真っ向から否定したものでした。

    ・   謝罪ナシ、大学教授の釈明ナシ
 ここまでくれば「天下の朝日」も白旗をあげざるを得ず、「日本軍の『化学戦』の写真、かん湘作戦とわかる」 (11月14日付け)との見出しをつけ、毒ガス作戦を報じた写真が間違いであったことを認めました。
 しかし、わずか29行のベタ記事のうえ、「お詫び」 の言葉はありませんでした。また、「 化学戦の実証的研究を進めている」 と紹介され、「 毒ガスに間違いないと思う」 と解説した藤原 彰・一ツ橋大学教授の「釈 明」 もありません。
 そして、ニセ写真を持ち込んだ肝心のAについて、

 〈 写真を提供したAさんは、
「 南昌攻略の際の修水河渡河作戦で私が目撃した毒ガス作戦の光景と写真帳の写真はあまりにもよく似ていた。
しかし、写真が別の場所で撮影されたと分かった以上、私の記憶違いだったと思う 」
といっている。 〉

 と書いています。
 ですが、こんな釈明が通るわけがありません。Aは「写真の光景にはっきり見覚えがあり、手帳に日時も記入していた 」といって朝日に持ち込んだはずです。Aがニセ写真と承知のうえで持ち込んだのは疑いの余地はありません。
 となれば、朝日はAを徹底的に取材し、このような写真を持ち込んだ目的、朝日がなぜ紙面に取りあげたかを含め、その詳細を読者に「お知らせする義務」 があったはずです。ですが、Aが誰であったのか、朝日は「取材源の秘匿」を理由に明らかにしませんでした。まったくいい気なものです。
 朝日OB・稲垣 武は、

 「 あの写真と記事は社の役員に近いところから持ちこまれたものだから、
整理部もスイスイ通してしまったんだ。うちの新聞は馬鹿だから、いい薬だ。・・・ 」

 と、朝日新聞社のある幹部(名前?)が吐き捨てるような口調で稲垣に話した内幕を書いています。
 揚げ足をとるようですが、幹部氏のいうように「うちの新聞は馬鹿だから」という理由からこの記事が報じられたのではありません。「日本軍の悪行」 であれば何でもよかったのです。それは1971(昭和46)年連載の「中国の旅」以来つづいている朝日のスタンスなのです。
 日本軍を叩くことが中国への友好の証になるとの思い、日本に社会主義政権誕生を期待する朝日新聞社のスタンスこそが、たび重なる暴走を許したのです。
 ですから、この誤報道が朝日にとって「い い 薬」になるはずもなく、途切れることはありませんでした。

   (注) 「かん湘作戦」の「かん」の字は、江西省を表す漢字ですが、文字化けを起こすため、「ひらがな」表記にしてあります。


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