脱・洗脳史講座  ・・・ 2005年4月1日開始、一時休止後に再開 カウンターは2015年 5月 1日再スタート

脱・洗脳史講座


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 このホームページは開始時からパソコンを想定しており、スマホ読者を考慮しておりませんでした。そのため、スマホではレイアウト等が崩れ、大変読みにくくなっています。直せるところは少しずつ手をつけていますが、時間がかかりそうです。スマホを横向きにご覧いただければ、多少とも読みやすくなると思いますので、お試しください。


歴史観を決定づけた「残虐行為」

 昭和の初めから日本の敗戦(1945=昭和20年8月)に至るまで、つまり昭和前期を中心とするかつての日本は、中国をはじめとするアジア諸国を「侵略」しつづけ、1千万人、2千万人という膨大な住民を殺害、しかも殺害にいたる過程に至っては、吐き気をもよおす「残虐行為」 の連続であったとされました。
 このことは、新聞、テレビなどメディアを通じ、また学校教育などもろもろの経路をたどって、国民に深く浸透していったがために、「あの時代の日本は何もかも悪かった」「恥ずべきものだ」とした捉え方が、普通の日本人が持つ歴史イメージ( ≒ 歴史観 )であろうと思います。
 こうした歴史観、歴史イメージを私たちが持たされた過程において、罪悪感も同時に醸成されたため、今日なお、日本という国家はもちろん、われわれ自身の言動が何かにつけ拘束されつづけています。

 パール博士の見解と危惧

 1952(昭和27)年10月、サンフランシスコ講和条約の発効によって、日本の独立が回復した半年後にあたりますが、インドからパール博士(1886〜1967年)が来日しました。
 パール博士は東京裁判における11人の判事のうちの1人で、インドを代表してこの裁判にかかわりました。博士は11人の各国判事のうち、ただ一人の国際法に精通した学者でした。
 その博士1人が、日本の国家行動は国際法に照らして無罪であると終始主張、また「東条 英機」(とうじょう ひでき)以下の被告全員を無罪とする判断を少数意見ながら表明したのでした。
 そのパール博士は日本の侵略の問題、あるいは日本人の罪悪感などについて、以下のように述べています。

〈 要するに、彼ら(連合軍)は
日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、
自らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、
日本の過去18年間のすべてを罪悪であるとの烙印を押し、
罪の意識を日本人の心に植えつけることが目的であったに違いない。・・ 〉

〈 日本の子供たちが歪められた罪悪感を背負って
卑屈・頽廃に流されていくのを、わたしは見過ごして平然としているわけにはいかない。
彼らの戦時宣伝の欺瞞を払拭せよ。
誤れる歴史は書きかえられねばならない。〉


 この短い文章に、日本を取り巻くあの時代の「真実」が凝縮されていて、メディアや学者、文化人(有識者)らによって思い込まされた、つまり「洗脳」された日本人が心して読むべきものと信じます。
 引用の前半にある18年間というのは、東京裁判で審議対象となった期間、つまり昭和3(1928)年〜昭和20(1945)を指しています。また後半の引用(日本の子供たちが・・・)は、「日本は国際犯罪を犯した」「「日本は侵略の暴挙を敢えてした」 と子供たちに教えている日本の現状を知ったうえでの発言でしょう。

 残虐行為、残虐事件 が歴史観を決定づける

 パール博士の来日から、すでに60余年の月日が流れました。パール博士が望んだ「誤れる歴史は書きかえられねばならない」は、多少とも進展したのでしょうか。
 実態はといえば、日本軍・民の常軌を逸した数々の「残虐行為」 は、朝日新聞を筆頭とするメディア等によって暴かれ、日本の国家行動は悪逆非道な「侵 略」 の歴史であったと断罪されました。今は成人、老人となった当時の子供たちの心に、漠然にしても抜きがたい歴史イメージが刷り込まれていきました。つまり、日本=極 悪、連合国=善 という単純な歴史観が広まりを見せたのでした。
 このような日本=悪 とした歴史観を大した抵抗もなくわれわれが受け入れた理由は、アジア諸国への「侵 略」が主な原因ではなく、日本軍および民間人が行ったとされる「残虐行為」に因っているのだと私は思っています。
 中国が重視する「残虐事件」は以下の記事が示唆しています。「抗日戦争勝利66周年に思う」とした新華軍事評論家・鄭 文浩の一文で、2011年8月16日付け 「中国網日本語版 (チャイナネット) 」 に掲載されたものです。

〈 1945年8月15日、日本ファシズムは無条件降伏を宣言した。
だがドイツファシズムが完全に滅びたのに対し、日本の降伏は軍国主義の輩を一掃しなかった。
悪名高い靖国神社にA級戦犯の位牌が残っているのがその一例だ。
日本人の多くは、当時日本が宣言したのは「終戦」で、「降伏」とは距離があると思っている。
 2011年8月15日、日本ファシズムの暴行を証拠付け、糾弾するため、体験者の記憶をまとめると、
平頂山事件、南京大虐殺、万人坑、細菌戦、重慶大爆撃、三光無人区など
日本ファシズムの数々の暴行が白日の下に晒されている。その歴史を我々は忘れてはならない。 〉


 このほかに、この時点で指摘のなかった中国人慰安婦問題中国人労働者強制連行も韓国と協調しながら中国は力を入れています。また、毒ガス使用の問題もあります。

 このホーム・ページの目的は、メディア等によって報じられた「残虐事件、残虐行為」が事実かどうかを検証することにあります。同時に、朝日新聞を筆頭とするメディア、歴史学者、文化人たちが果たした役割にも焦点をあてること、これがもうひとつの目的です。
 重慶大爆撃を除いて、平頂山事件、南京大虐殺、万人坑、三光政策と三光無人区などについて、不十分ながら言及しました。また、中国に抑留された日本人戦犯(中国戦犯=中共戦犯)の「証言」も記してあります。
 軽い気持ちというか、HPとはどんなものか、体験してみないことにはという興味本位ではじめたのですが、10余年の間にかなりの量になってしまいました。整理の必要は分かっているのですが、手が回りません。
 そこで、全体としてどんなことが書いてあるのか、手っ取りばやく知りたい方は、⇒ こちらをご覧になってください。別冊正論26『「南 京』斬り 』 (2016年3月発行)に書いたもので、題名を「中国に洗脳された中帰連の宣伝と協力者」としてありますが、諸氏に知っておいて欲しいことの概略は書いてあります。

 南京事件については「南京大虐殺」文書がユネスコの「世界の記憶」(世界記憶遺産」に登録されたこともあって、世界的に知られていますし、731部隊(細菌戦)も同様でしょう。南京虐殺、731部隊、それに慰安婦にかかわる問題は、これから先も日本が過去に犯した残虐ぶりを米欧諸国に認知させるために、中国は次々と手を打ってくることでしょう。
 さらに、中国は新しい問題を出してくると思います。中国人強制連行に関連づけて「万人坑問題」がクローズアップされる可能性も大きいと思いますし、また、終戦後、中国に囚われた日本人戦犯(=中国戦犯)の証言集(供述書など)が多量のフイルムとともに「世界の記憶」の登録を目指してくるだろうと推測しています。

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電子書籍発行のお知らせ

1 『中国の巨大なウソ「万人坑」―歴史戦にまた敗北か

 中国各地に建つ展示記念館の中は、一方には整然と並ぶ人骨が、一方では頭部や脚部が雑然と山をなし、参観者に日本人の残酷さを印象づけます。
 これら人骨は、ろくな食事も与えられずに苛酷な労働を強いられた中国人労働者が、ケガや病気、栄養失調などで働けなくなると、生きながらも捨てられた大きな穴、万人坑(まんにんこう)の発掘跡なのだそうです。
 これらの万人坑は、中国東北部(旧満州)を中心に、日本人が経営する鉱山や大きな工事現場に必ずできたといい、万人坑の数が約30ヵ所、犠牲者30万人の撫順炭鉱をはじめ、犠牲者7万人以上(13万人とも)の阜新炭鉱などがあります(左写真は遼源炭鉱の発掘現場で謝罪する日本人僧侶)。
 言葉では実感がわかないでしょうから、どうぞ「万人坑」を検索し、アップされている写真(集)をご覧になって下さい。こんなにもあるのかと、さぞビックリすることでしょう。世界がこれらを事実と認知すればどのような結果を生むか、よく考えて欲しいと思います。
 私たち日本人が万人坑の存在を知ったのは、1971年、朝日新聞連載の「中国の旅」を通してでした。連載は平頂山事件、万人坑、南京事件、三光政策の4部に分かれて報じられ、中国を舞台にした日本軍・民の常軌を逸した残虐行為が一大反響を巻き起こしたのです。この連載こそが、言われるところの「自虐史観」が形づくられた原点だと私は思っています。
 万人坑を事実とするには疑問があるため調査し、その結果を論文および単行本に著しました。この結果でしょう、日本の高校用歴史教科書から記述が消えるなど一定の成果があったかと思います。
 それ以来、万人坑が報じられることはほとんどなくなりました。ですが、これで終わったわけではなく、問題はこれから先と思います。
 というのも、今日なお中国はこれら万人坑を「発掘」しつづけ、全国各地に展示記念館を建てているからです。中国はいつでも好きな時に、これら発掘跡をもって、日本の「旧悪」を世界に向けて糾弾することができます。その時に、おそらく日本のメディア、学者、文化人の少なくない人達が、中国の主張に同調するだろうと思います。
 そのとき堂々と論陣を張って粉砕できればいいのですが、研究者がほとんどいないために、「物量」の前に押し切られてしまう可能性が高いと思います。つまり、不戦敗と変わらぬ無残な敗戦というわけです。
 そこで、出版後に知りえた事実を加えて再吟味し、また調査の済んでいた阜新炭鉱、鶴岡炭鉱をあらたに加え、ここに電子書籍として出版した次第です。ここには、大量の万人坑への対処として、いくつかの「共通する事実」をもってすれば対処可能であることも記してあります。
 2019年9月末発行、価格は215円です。ぜひ読んでいただければと思っています ⇒ こちらへ

2 『(続)追跡 平頂山事件 ― 守備隊長不在説が「瓦解した」の愚説

 『追跡 平頂山事件』を出版したのは1988年ですから大分前になります。事件というのは、旧満州の撫順炭鉱を舞台に起こった軍部による住民殺害事件です。今はこの出来事を知る人も少なくなりましたが、1971年に朝日新聞に連載された「中国の旅」の冒頭に取り上げられた事件で、大きな問題となったものです。
 ところが、重要な部分で私の記述に間違いがあるとの指摘がでてきました。指摘したのは井上 久士・駿河台大学教授で、2004年発行の〈 季刊『中帰連』第30号 〉に掲載されました。この号は、「平頂山事件」を特集したもので、ほかに傳 波・撫順市社会科学院院長らも書いています。
 私の間違いというのは、事件の発端となった抗日勢力が撫順炭鉱を夜襲したとき、守備隊長であった川上大尉が隊員の過半数を率いて討伐出動中であったとした点で、実際は川上守備隊長は撫順にいたことが2点の新発見資料で明らかになったというのです。
 事件は実際に起こったのですから、守備隊長が撫順にいようが(在隊説)、討伐出動中であろうが(不在説、出動説)大した問題ではないと思うかもしれません。ですが、在隊説、不在説の行方によって、中国側の公的報告書『平頂山大屠殺惨案始末』の評価が決定づけられることになるなど、大きな影響を持つのです。
 つまり、在隊説をとるこの報告書は、守備隊長が事件時に出動中であったことが証明されれば、中国側の主要な証言者・于慶級(通訳)をはじめ、多くの証言は大嘘であり、報告書自体がウソで固めた内容であることが確定するからです。
 さらに、井上教授らが編んだ大版600余ページの『平頂山事件資料集』(柏書房、2012年、2万4000円)という大冊は、「解題」はもちろん、恣意的な資料の選択等の偏向ぶりが浮き彫りになり、資料集としての信頼性が揺らいできます。
 井上論考に対する私の反論は、このホームページに掲載してきましたが、もっと丁寧に書き残しておく必要があると判断し、井上論考は誤りで、「不在説」が正しいことを電子書籍版『(続)追跡 平頂山事件』で明らかにしました。
 井上教授は不在説は間違いで、在隊説が正しいと講演などでさかんに発言しているようです。
 一例をあげれば、2017年6月に行われた「撫順未来実行委員会」主催の講演会で、井上教授は「平頂山事件研究の第一人者」として、次のように紹介されています。

〈 井上先生の業績といえば、平頂山事件実行部隊の責任者である撫順守備隊長・川上精一大尉の不在説が流布される中で、川上精一が確かに撫順にいたことを証明する「撫順新報」号外や「月刊撫順」を発掘したことで知られています〉

 「撫順新報」号外は新発掘ではありませんが、「月刊撫順」は新発見資料といって間違いないと思います。問題なのは、おそらく日本側関係者から直接話を聞いていないために、「生きた知識」が不足しているからでしょう、井上教授は中国側の証言、資料をはじめ、これら新発見資料の問題点を見抜けていないことです。
 副題の〈 守備隊長不在論は「瓦解した」の愚説 〉が電子書籍の内容です。
 アマゾンから、2018年5月末に発行(加筆版)しました。価格は200円です。関心をお持ちの方に、ぜひ読んでいただければと思っています (⇒ こちらへ)
 少し硬い内容かも知れませんが、偽証を崩す「推理もの」として読んでいただいても面白いかもしれません。
 なお、事件の概要を知りたい方は、(⇒ こちら)(⇒ こちら)をご覧ください。



気にかかった一冊

 『戦場体験者 沈黙の記録 』に見る平頂山事件、中国人強制連行の記述

 たまたま、ノンフィクション作家・保阪正康の『戦場体験者 沈黙の記録 』(2015年)に「平頂山事件」の記述があることを知りました。
 「40数年間に延べ4000人から聞き取り調査を行ってきた」 というのが売り文句でしたので、この事件についても関係者から聞き取り調査をしたうえで書いたものかと思われました。
 ですが同時に、保阪が聞き取り調査をしていれば、「私の耳に入っていたはず」とにわかに信じる気になれませんでした。というのは、この事件については、事件現場にいた軍関係者、また舞台になった撫順炭鉱の勤務者らに(私は)幅広く聞き取り調査をしていましたし、毎年開かれる事件に関係した部隊の「戦友会」に1986年頃から解散する2008年頃まで、欠かさず出席していたからです。かりに、メディアや個人の調査が行われれば、よほどの事がないかぎり私の耳にとどいたはずだからです。
 そうはいうものの、私のまったく知らない事件関係者から調査した可能性がゼロとは言い切れません。とにかく読んでみようと思い、本を入手しました。他は飛ばして「平頂山事件」のところを読んだのですが、呆れるほど酷いものでした。

 45年前に後もどり
 まず、「加害者」である日本側証言者が一人も出てこないのです。聞き取り対象4000人のなかに事件を知りうる立場の人が皆無ということになり、何だかはぐらかされた感じを受けました。では、何にもとづいて書いたのでしょうか。
 2000年8月、保阪を団長とする訪中団が旧満州を訪れ、平頂山事件の現場や731部隊跡などを見て回ったと書いてあります。ですから、このとき中国側から得た知識が基らしいということは分かります。
 問題は、中国側の説明を鵜呑みにしていて、加害者側である日本側の資料、証言等が反映されていないのです。
 犠牲者3000人と簡単に書きますが、1932(昭和7)年11月末、有名な「リットン報告書」 を審議する国際連盟理事会の場で、中国代表が表明した数字「死者700余名、重傷者6、70名、軽傷者約130名」 は考慮の対象にならないのでしょうか。あるいは、この事実を知らなかったのでしょうか。
 また、「住民抹殺」が関東軍守備隊、憲兵隊、炭鉱管理者が集まる「幹部会議」 で決定されたとありますが、これは「フィクション」です。そのほかの記述についても間違いはいくつも指摘できます。
 私の『追跡 平頂山事件』は1988年、その後も重要な資料がいくつか発掘されていますし、公表もされています。ですが、これらを知っていたのかどうか。
 そこで想起されるのが1971年、朝日が連載した「中国の旅」です。筆者は当時、朝日の花形記者だった本多 勝一 で、連載冒頭に平頂山事件がでてくるのですが、これも中国の説明通りで、日本側の裏づけ取材が皆無です。
 保阪の『戦場体験者 沈黙の記録 』の発行年、2015年から数えると「中国の旅」は約45年も前になります。半世紀近く経った今も、「中国の旅」と同じことを繰り返している、そう思わざるをえませんでした。
 念押ししておきますが事件の発生自体、間違いありません。特異な背景を持った事件といってよく、「だから他の日本軍も」と一般化できませんが、事件が日本軍の蛮行であり、非難に値すると思っています。

 (追 記)
 この保阪の本の102ページに、K大尉の強制連行にかかわる証言が以下のごとく取り上げられています。
 〈 中帰連の埼玉支部で活動を続けていたK氏は、東京外語出身の学徒兵であったが、昭和十九年、二十年初めに中国の東北地方で強制連行のために中国人青年の「狩り」を行ったことを克明に証言している。K氏によると、この作戦は「うさぎ狩り」といわれていて、・・ 〉

 K大尉というのは、小島 隆男大尉に間違いありません。日本各地であるいは中国で、自ら強制連行を実行したと証言のうえ謝罪し、また他にもいくつかの日本軍の「大罪」を積極的に証言しています。また、NHKテレビに出演し、また朝日などメディアにも取り上げられました。
 ですから、匿名にする理由があるとも思えませんが、問題は小島証言が事実かどうかです。このホームページの「731部隊コレラ菌散布事件」「8000人強制連行」をご覧になってください。裏づけのない「証言」がいかに危険で国益を害するかが分かると思いますので。
 念のために記しておきますが、小島大尉の中国東北地方、つまり満州での強制連行証言は、かれの軍歴からも有りえないことなのです。

― 2019年9月27日改訂 ―

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