句あれば楽あり ?

病 の 句

至遊(しゆう)



 次に病の句である。これも病む俳人には句を詠むこと位しか許されないためか、例を引くには事欠かない。ここでも芭蕉がらみの句から取り上げたい。

   うずくまる薬の下の寒さ哉     内藤丈草

 芭蕉が臨終の床にあったとき(臨終の前夜とも言われている)、看護の心境を弟子の各々が出し合った。丈草のこの句だけが、芭蕉に「丈草、よく出来た」と褒められたらしい。芭蕉のために薬草を煎じるときの様子だが、悲しさは「うずくまる」という言葉で表している。そこが深刻になり過ぎない「かるみ」があると芭蕉は認めたのであろう。自分の病ではないが、悲痛さは伝わってくる。

   いくたびも雪の深さを尋ねけり   正岡子規

 子規の代表的な句の一つである。「病牀六尺」で分るように、子規の動ける世界は蒲団の上だけだった。外界の様子は家人や見舞い客、それに手紙や印刷物で知るしかない不自由な状態である。雪だと聞いても、芭蕉のように「雪見に転ぶところまで」自分では行けない。そこで何度も家人に、どの位積もったかを聞くことになる。ここには悲しさはない。聞きたくなる自分を客観視して詠んだ句と言える。ところが

   秋の蠅叩き殺せと命じけり     正岡子規

になると、不自由さ、痛さに耐えかねた感情の爆発が出ている。それも自分ではもう生命力のない秋の蠅一匹殺せないのだから、余計に悔しいに違いない。病床にありながらあれだけの大仕事をした子規が、普通の人間に戻ったような安堵感を逆に感じてしまう。

   腸に春滴るや粥の味        夏目漱石

 漱石も子規に俳句の手ほどきを受けた一人である。しかし俳句の力では子規を上回っていたと評する人も居る。漱石は修善寺で危篤に陥る。大量の吐血をしたのである。「思い出す事など」の中に詳しい。この句もその中に収められている。初めて粥を許されたとき、この世にこんな美味いものがあったかと思ったそうである。

   朝寒や生きたる骨を動かさず    夏目漱石

 身体を動かさないというのは普通の発想である。それが「生きたる骨」となるとインパクトが違ってくる。普通我々は骨を生きているものとしては意識しない。しかし確かに生きているもので、使わなければ急速に弱ってくるものである。漱石はそれを実感できたのであろう。

   洞然と雷聞きて未だ生きて     川端茅舎

   夏痩せて腕は鉄棒より重し     川端茅舎

 前号でも紹介した、病床の俳人と言えば取り上げざるを得ない人である。もう半分厭世観のようなものも垣間見られる。分類上病気の句だけ紹介しているが、よくも同じ窓からこんなに豊富な句材が見つかったものだと感心させられるし、美しい句も結構多い。

   朴散華即ちしれぬ行方かな     川端茅舎

 この句も一見美しく見える。昭和十六年夏も朴は茅舎の病室から見える位置に、立派な花を付けた。その花が咲いている間は、比較的元気だった。しかしいきなりそれが見えなくなって、花も行方知れずになったが、自分の魂も行方知れずになったようだ。朴の花を見送ってすぐ、七月十七日に永眠する。

   煤掃のすめば寂しきやまひかな   石田波郷

   冬日の妻よ吾に肋骨無き後も    石田波郷

 石田波郷はいかにも女性には好まれそうな、美しい句を沢山詠んでいる。江東区に最近波郷の句碑が出来たことでも、最近の人気がわかる。ただこの人の句は健康だった時の句と、清瀬の病院に入院してからの句は、輝きが違っている。勿論掲句は清瀬時代の句である。慌しい年迎えの準備が済めば、周りが静かになる。その静けさが病の身には寂しくてならない、という心境はよく分る。また旧約聖書では、女は男の肋骨から作られたことになっている。その自分に肋骨が無くなっても、妻は静かに看病してくれている。その妻も冬日の中で心なしか元気がない。病床にあってもしっかりした観察力である。

   病む母のひらがなことば露の音   成田千空

 実際にはお母さんの死を詠んだ句である。ただ句の言葉はまだ病の時期である。むずかしい理屈は言わず、平易な言葉しか知らない母には千空も「ひらがなことば」で返事をしていたのだろう。「露の音」でもう死期が迫っていることが分る。千空は草田男の後を継いで、「万緑」の代表になっている。ただ決して主宰にはなっていないところが、この人らしい。

   水枕ガバリと寒い海がある     西東三鬼

 この句は別に瀕死の床での句ではない。亡くなるより四半世紀ほど前の作である。三鬼は無季新興俳句に属して作句活動をしていたが、「寒い」という言葉で、十分有季にもなる。水枕をすると確かに動く度にガバリというような音がする。そこから「寒い海」へ発想が飛んでいくあたりが、私との違いであろう。私の場合は悪寒でもしていないとここまで感じないし、本当に悪寒がすると俳句どころではなくなってくる。情けない。

   冴返る「癌です」と医師こともなげ  江國滋(滋酔郎)

   死にたいと呟きやっと夜の秋     江國滋

 作者の癌闘病俳句集「癌め」の最初の方と最後の方から抜き出したものである。親友だった小沢昭一が「とても読めない」と言った本である。作句の日付順になっているので、日記にもなっている。最初に感じたのは未だに日本の癌治療がいかにお粗末かということだった。特に句の説明は要らないと思うがやっと諦めたというのが二句目である。亡くなる二日前に「おい癌め酌みかはそうぜ秋の酒」と詠んで、立秋を過ぎたばかりの八月八日に永眠した。

   咳の子のなぞなぞあそびきりもなや 中村汀女

 そこまで深刻な病ばかりではない。少し軽くこの稿を終えたいと思う。軽い風邪の子供にとっては、病は母親に甘えられる絶好のチャンスなのかも知れない。だから出来るだけ自分の枕許に引きつけておきたいし、母親としてもそれ程心配はしていないが、不憫でもある。そう冷たくはしたくない。ただ実際には家事もしなければならないし、色んなことが気にはなっている。母子の微妙な心理がすんなりと頭に入ってくる句である。