句あれば楽あり ?

桃源郷を行く

至遊(しゆう)




 平成14年4月13日、午前8時半、新宿発の「かいじ」に予定していた人は皆無事に乗り込んだ。次いで三鷹で1人、八王子で1人乗り込めば列車の仲間は全部揃う。他に東京からは車が1台2人、信州上田からは車1台4人が向っているはずである。向う先は石和温泉駅。だからと言って温泉に浸かりに行く訳ではない。桜が異常に早く咲いてから、約1ヶ月やきもきしながらこの日の桃の花見の吟行計画を進めて来たのである。
 ここですでに吟行は始まっていた。

   通過する無人の駅の山桜     諸橋英次

 Internetが今回の計画の主役だったかも知れない。幹事役は青嵐さんと私の2人で役割分担を決めていたが、御坂町の小河内さんという方がHomepageを通じて情報を提供して頂かなかったら、途中で桃見は諦めたかも知れない。もっとも最初3月末に決めていた予定を4月に延ばしたのもそのHomepageだった。前年の実績が写真で分ったのである。4月の10日過ぎが多分最高で、3月では早すぎるとみて、計画を後倒しした。

 それが誤算の出発点だった。季節がすべて前倒しになったような年になってしまい、暖かい日を恨み、冷え込む日があると喜ぶという、寒がりの私としては全く逆の心理状態になってしまった。小河内さんが提供して下さる情報に一喜一憂していた。そして開花情報があちこちから伝わり、聞くだけではなく、写真で提供されるので疑いようもなかった。桃の花が低い畑から段々と上に登って来る様子が日々見えた。

 出発の土曜日の3日ほど前から、本格的に情報整理に入った。小河内氏に直接メールでお伺いすることもあった。そこで13日には、先ず一番高い、戸倉・十郎地区は花が残っているだろうということが推定できた。そこで十郎地区へ向うことに決めた。殆んど河口湖町との境界に近く、標高にすれば750メートル程度らしい。前日になって戸倉も散り始めたという情報が入る。傍とはいえ、十郎に決めておいてよかった。

 メンバーは合計15人。石和温泉でワゴンカーを1台手配して貰っている。ここで多少の手違いはあったが、手配を終えてようやく出発。先頭を切っている申牛さんの車が変な道に入り込む。青嵐さんが地理的には私より詳しいはずなので、そこはお任せしているうちに何とか大通りに出る。ただ目指していた通りではない。街路樹として植えられたものや庭木や、ともかく花水木が目立つ。運転しない身の気軽さで、これらに目を楽しませながら行く。

   笛吹の川匂うまで花みずき    大村錦子

 先ず笛吹川を渡らねばならない。花水木は香りはさほど強くない。しかし車の窓から見ている限りでは、それでも川を香が満たしてもおかしくない程の花盛りである。

   花水木の花の白さを甲斐の雲   諸橋英次

   水木街道先端よぎる初燕     諸橋英次

   心にも鮮度がありし紫木蓮    福山至遊


 それでも何とか先ず桃源郷公園に着いた。本来ならこの辺が桃を見るのに格好の場所のはずである。しかし花水木はあるものの桃は全く無い。傍の畑では摘花作業をしている。それでもこの公園はそれなりに見どころがあった。

   
序の舞を踊り終えたる桃の花   若泉真樹

 先生の句だから当然と言えば当然だが、この日の吟行句の中で出色の出来栄えであった。「序」は能でいう序・破・急の序。実際にはこの後咲き誇っているところを見てから詠まれたらしいが、踊り終えた情景にはこの桃源郷が似合う。先生が若い頃バレーをやっていらしたのも「踊り」に結び付けられた何らかの動機があるかも知れない。

   
桜散る鯉の回遊左廻り      遠塚青嵐

 確かにそうだった、と皆納得の句である。典型的な吟行句でそこに居なければ分らないだろう。

   人見知り忘れて桃の開花聞く   矢代美桝

 本当に美桝さんが、ここで桃の花のことを誰かに聞いたかは見てはいない。でもこの散り去った桃畑を見れば誰も不安がよぎるに違いない。幸い結構人出は多かった。でも美桝さんが「人見知り」とは「虚」である。

   水子地蔵笑みし背の白木蓮    西澤恒泉

   公園の滝に水なし花みずき    広瀬邊邊

という風に誰も桃の花を詠めない。木蓮や花水木がここまでの主役である。皆の不安を打ち消すべく、十郎地区へと向う。

 国道の通りは道幅の割には激しい。どんどん河口湖方面の峠に向って車を走らせると、右手にわずかにピンク色の花が見える。そろそろ十郎なら左手に公園があるはずだと思って見ていると、道路を一度下って、橋を渡ったところに公園用の駐車場があった。そこに駐車して、また国道まで戻るが、信号もないところなので、仲々渡るチャンスがない。そう言えば小河内氏が、国道を渡る時は注意してください、とおっしゃっていた。凄い心配りである。

 やっと渡り終えると農家の庭に出た。兼業で駄菓子も売っているらしい。女の人がいて「桃見に来たけどどう行けばいい?」と聞くと、どうぞここを、と言って自分の家の横から通してくれた。

「帰りに寄ってくださいね」とも付け加えながら。その家の横を抜けると大きめの道らしいものに出た。目の前がすでにピンクである。更に登って行くと立派な桃畑へ出た。幹事としての私もほっとする瞬間であった。

   甲斐の山笑うピンクの裳裾つけ  大村錦子

 実際には裳裾ではなく帽子のように高い位置にあったが、これも「虚」としては許される範囲だろう。「山笑う」が春の季語である。多分錦子さんは列車に乗っている頃は、桃の花を見るのは諦めていたはずである。だから想像の世界で1句詠んで見たのだろう。

   顔(かんばせ)を近づけ難し桃一枝 大村錦子

 確かに枝の先にまで花はいっぱいだが、何しろ畑だから入るわけには行かない。ちゃんと舗装された農道から手を伸ばしても、届くかどうかの距離にある。ましてや顔を近づけ香りを聞こうというには無理があった。

   山すそに抱かれひっそり桃の花  遠塚青嵐

 これも山裾というには適さないかも知れないが、山懐に抱かれた感じではある。もう我々が最後の桃見の客だろうから、人は誰もいない。畑の主も居ない。「ひっそり」である。

   桃の花畑に馬頭観世音      篠原申牛

 馬頭観音があった。数名が見ているので、吟行句としては共感を得ることができる。

   行雲流水桃花は邪鬼を祓うとや  樋口愚童

 愚童さんは目の前の景色だけではやはり満足しないらしい。中国伝来の言い伝えを引いてくる。実際桃は精力が強いというところから、日本でも色々な利用のされ方をして来たようだ。

   英雄の夢消えし地や桃の花    井村真峰

 これも同じく見たままではない。武田信玄を詠んだ句だが、桃の花ももう消えようとしている。大部分はもう消えてしまっている。

 見終わって帰途につく。農道が立派に出来ているので、そこに沿って行くと、先ほどの農家とはちょっと離れたところに出てしまった。それ程期待はしていなかったとも思うが、悪いけどまたそこまで行く気にはなれない。

 これからは旅慣れた青嵐さんの出番である。こんな田舎なのにもう少し行くと蕎麦屋があると青嵐さんは言う。なる程ある。もう昼をかなり過ぎてはいたが、開いていた。メニューの中にはもう品切れのものもあり、特に大食漢には「かつ煮定食」が切れていたのは堪えたらしい。

   桃の花散るや夢二の絵の中に   若泉真樹

 ここに夢二の絵があったかどうかは憶えていない。しかし先生は昼食時に詠んだとされている。耽美主義的な句になっているが、「絵の中に」散るという発想がやはりどこか違う。

 この後「かんぽの宿」の会議室を借りて、句会をやった。句会が始まる前に小河内氏さんがご推薦だった食堂を探してみたが、閉まっており中は確認できないものの、この大所帯には小さすぎる気がした。そこで句会の後は、駅の傍の居酒屋で反省会をやり、そこから来た時と同様、列車組、長野組、東京の車組と分かれて散って行った、1日だけの遊びの日だった。

 この吟行記は申牛さんが、古文調で面白く書いて頂き、「パスカル10号」に載せた。例えば

   風も人も柔らかなりし楠落葉   至遊

 選者評・原句「柔らかくなる」は一本調子に付、揚句の如く改むるにしかず。春の風物を巧みに

     吟じたる句なり。

   桜散る鯉の周遊左廻り      青嵐

 選者評・「左廻り」の着眼鋭き佳句。

   笛吹の川匂うまで花みずき    錦子

 選者評・「川匂うまで」の表現只者にあらず。

という風に。だから私のはどこにも出さない積りだったが、最近自分で吟行記を書いていないことに気づき古い在庫の中から引っ張り出して手を加えてみた次第。