句あれば楽あり ?

テーマ別俳句(生)

至遊(しゆう)


 生老病死を四苦という。理屈を言えば死の瞬間は意識がない(と思う)から、苦もありえないと思う。ましてや生などは自分の苦しみではない。ここで言う「生」は「生まれること」であり、「生きること」ではない。「死」は多少予感することが出来るが、「生」については不可能である。そこでこれを「生きること」に置き換えて、この四苦を表現した句を拾ってみたい。ただ苦だけでは人生何とも味気ない。そこでこれに「愛」という救いを入れて五つの文を作ってみたい。

 先ず「生」である。生活を詠った句は意外に多い。生活と言っても広く解釈すれば、全部生活である。生活感とか生活哲学のような句から拾って、出来るだけ簡単に、沢山紹介したい。

   芭蕉野分して盥に雨を聴く夜かな   松尾芭蕉

 談林派の名残のあるリズムである。貧乏は眼に見えている。杉風が身の回りの世話くらいは出来たが、元々芭蕉にそんな慾がなかった。雨漏りを楽しんでいる風情である。

   旅人と我が名呼ばれん初時雨     松尾芭蕉

 当然西行が頭にある。芭蕉は西行に憧れた。この時の旅は伊勢、尾張そして関西一帯への旅であった。奥の細道でも西行への憧憬は続いている。芭蕉の生活は自ら求めた苦難の道だっただろう。その意味では幸せだったと言える。

   離別れたる身を踏込んで田植かな   与謝蕪村

 これは芭蕉と違って、自分のことを詠んだものではない。離縁された女が、その悲しさを紛らわすように、田植えに力を入れている、一種の小説である。蕪村にはこんな句も多い。蕪村自体には生活苦は感じられない。フィクションの世界でバーチャルに体験していたのかも知れない。

   これがまあ終の栖か雪五尺      小林一茶

   めでたさも中ぐらいなりおらが春   小林一茶

 一茶には生活俳句は山ほどある。それだけ生活も苦しかった。弟との遺産をめぐるトラブルもあった。そしてやっと信州に落ち着いて、もう当時では老年と言える年になって結婚している。心理的にはそこで少し余裕が出たのか、一茶の有名な句とされるものは、その頃詠まれている。

   鰯雲ひとに告ぐべきことならず    加藤楸邨

 楸邨は前にも何度も紹介しているが、不器用で正直なだけに、難しい時代に生きて悩みは多かったと思われる。生活についてはよく知らないが、空襲で新築したばかりの家を焼かれたりしているので、楽ではなかっただろう。

   鮟鱇もわが身の業も煮ゆるかな    久保田万太郎

   湯豆腐やいのちのはてのうすあかり  久保田万太郎

 この人の句には自分を客観視している部分が見える。生活臭よりも、内面の苦しみというものが主体になっている。

   みな大き袋を負へり雁渡る      西東三鬼

 徳川家康の言葉を連想させる。「大き袋」は当然、富の象徴ではなく、生活の重さの象徴である。無季俳句等も含めて新興俳句運動に力を入れた人なので、それなりの抵抗や非難もあったことと思われる。

   石をパンに変えむ枯野の鍬火花    堀井春一郎

 俳句の意味からは、荒野を開拓している人の姿である。プロレタリア俳句の匂いさえする。しかし作者がどんな生活をしていたかは、寡聞にして知らない。ただ俳句の世界では、多くの挫折を繰り返しながらも句作は続いている。一種の象徴としての開拓者の姿なのかも知れない。

   足袋つぐやノラともならず教師妻   杉田久女

 この句は前にも紹介した。久女は芸術家と結婚した積りだった。しかしその夫はさっさと絵筆を折って、教師になってしまった。夫に言わせると、妻を娶った以上、安定した収入を得ることが妻への最小限の義務だと思ったのかも知れない。しかし久女にはそれが不満だったのである。ただノラになり切れないところが、当時の女性の立場を代弁しているのかも知れない。

 ここで意外に思ったのは、いわゆる台所俳句と呼ばれるものが、私の手許にある本には殆んど無いことである。自分ではごく初期に

   花冷えや五十路の妻の水仕事     福山至遊

という句を詠んだことがある。色んな人に直されて今は「水仕事」が「厨ごと」になっている。当時はまだ妻は五十路だった。

 台所俳句と言っても、何も台所を詠んだ句ばかりではない。いわゆる家事や家庭のことを詠んだものと思えばいい。歳時記を見ていると時にはそんな句が出てくる。

   芋煮えてひもじきままの子の寝顔   石橋秀乃

   衣かつぎにも頃あひや撰りて食ぶ   中村汀女

   よそに鳴る夜長の時計数えけり    杉田久女

 何と言ってもこの分野の開拓者は女性である。確かに常識的になりがちのところはあるが、台所俳句という呼び名からも、また手許の資料に殆んど顔を出さない点からも、正当に評価されているとは言い難い。やはり台所俳句にも佳作もあれば駄作もある筈である。