句あれば楽あり ?

好きな俳句 三

至遊(しゆう)



 では第3部は、美しく纏めあげた俳句から入りたい。自分では作らない(作れない)句でも、好きな句はある。

  夢に舞う能美しや冬籠         松本たかし

 前回、チチポポという句を紹介したとき、この人は能についての、耽美的な句を詠んでいると書いたが、これはそのひとつである。実際の能よりも、夢に舞う方が多分迫力には欠けても、優美さという点では勝るかもしれない。冬籠だから夢と合う。

  ひらひらと月光降りぬ貝割菜      川端茅舎

 茅舎も前に例句を出した。最近「朴散華即ちしれぬ行方かな」という句を題材にして、短文をものしたので、気になる作家ではあるが、病気がちで病院生活の長かった人である。この人の日本語は美しく、優しい。普通月光に「ひらひらと」という言葉が浮かびますか?

  赤い椿白い椿と落ちにけり       河東碧梧桐

 蕪村の「牡丹散ってうちかさなりぬ二三片」を彷彿とさせる。碧梧桐も始めはこんな句を詠んでいた。虚子以上の俊才と呼ばれ、事実、漱石が「ホトトギス」に「我輩は猫である」を連載し始めるまでは、碧梧桐の人気の方が上だったと聞く。徐々に無季俳句、自由律俳句、例えば「我が顔死に色したこと誰も言はなんだ夜の虫の音」なんて方向に行き、遂には筆を折ってしまう。

 次いで、生活感のある俳句に移る。何故か女性の句が目立つ。

  足袋つぐやノラともならず教師妻    杉田久女

 ノラは言わずと知れた「人形の家」の女主人公である。松井須磨子も演じ、大正の新しい女の象徴のようなものだった。久女はその影響を受けて育ったらしい。この句はノンフィクションである。画家と結婚した積りが、絵を書かず教師になってしまった。彼女は芸術家の妻になりたかったのである。だからここでは不満を述べているが、かと言って、離婚するような女でもなく、古い一面もあった。それが前回紹介した「紐いろいろ」のような句も詠ませたのだろう。一種の境涯俳句でもある。

  あはれ子の夜寒の床の引けば寄る    中村汀女

 段々母子が蒲団ともども寄り添って行く様がよく見える。山本健吉をして典型的な主婦作家と言わしめた。別に悪い意味ではなく、「母親らしい気遣いの行きわたった句」とも言わせている。仙台に居た頃(昭和11・12年)の作。そう言われると寒さにも実感がある。

  子にみやげなき秋の夜の肩ぐるま    能村登四郎

 男はこの辺が限度である。私の俳句仲間にも家庭を詠むことの多い人が居るが、他人を感動させることは仲々難しいようだ。どうしてもこじんまりした句になってしまうが、その時母子関係なら深い情愛が出し易いが、父子ではてれが入る。まだ夫婦を詠む方が様になる。また男はどうしても頭で考えてしまうので、情を理で表現してしまう。ただこの句はその、ぎこちない子供との付き合い方が却って出ていると思うが、贔屓のし過ぎだろうか。

  松過ぎてなほ賀状来る賀状出す     山口波津女

 これも生活といえば生活である。また前回の香水の句同様、川柳の「うがち」を含んだ生活句である。確かに年賀状はときにやたらと遅れてくるものがある。それにお返しの賀状を出すのだから、自分は元々その人には出す意志はなかったのだろう。完全な義理年賀状である。それでも義理は欠かせないので出すのである。

  一芸に徹して老いて秋の蝉       若泉真樹

 まだ私の先生は老いたというお年ではない。ばりばりのビジネスウーマンである。しかも私が俳句を始める以前の作なので、まだ更に若かった筈である。だから秋の蝉に託して、自分の今後に対する意気込みを詠まれたものと解釈したい。勿論、他に誰かモデルが居たとも考えられる。確かめてはいないが、どう解釈するかは読者の勝手である。

 今回の最後に、今や一種のいいならわしのようによく使われる句を取り上げる。

  降る雪や明治は遠くなりにけり     中村草田男

 私の俳句仲間には、草田男に中学・高校時代、国語を教わったという者が2人居る。2人ともそうと知っていれば、もっと真面目に授業を受けておくんだったと残念がっている。私は正直言って、余り草田男は好きではない。「万緑の中や吾子の歯生えそむる」はいい。だが「汝等老いたり虹に頭あげぬ山羊なるか」などはリズムも悪いが、理詰めの自己主張が強すぎる。掲句は草田男が約20年振りに赤坂の母校を訪ねた時の句だという。自分たちの頃と比べて服装が全く変わっている生徒たちを見て、急に昔が懐かしく思い出されたらしい。折から雪、「降る雪や」という詠嘆の言葉の出た所以である。これは自句自解であり、そう聞くと成る程いい句である。

 芭蕉の「秋深き隣は何をする人ぞ」と同様、余りにも人口に膾炙されると、格言的な意味合いを帯び、作句の時とは別の意味が加わってくる。だから「明治は遠くなりにけり」だけが一人歩きをして、そんな作者の意図は伝わり難くなる。可哀想な句かも知れない。まもなく「昭和は遠くなりにけり」と言う人が現れそうである。


2000年1月1日