句あれば楽あり ?

好きな俳句 二

至遊(しゆう)



 好きな俳句から選ぶと前回約束した。ただし江戸時代以前と、前回好きな俳人で挙げた、鬼城、楸邨、万太郎を除いて選ぼうとした。それでも出てくること出てくること。仕方なく分類して、写生句で好きな句、心象俳句で好きなもの等を絞って紹介しようとしたが、絞りきれない。そこで、だらだらと何回か続くことを了承頂きたい。また選定の段階で、やはり捨て切れなかったものに、人口に膾炙した有名句が多いことも否めない。新鮮味に欠けるかも知れない。
 前回、私は人間臭いものを詠むのが好きだと書いたが、先ずは人間臭くない方から取り上げてみたい。

  くろがねの秋の風鈴鳴りにけり     飯田蛇笏

 蛇笏の代表作なので、ご存知の方も多いと思う。蛇笏は山梨に住み、没した。この句は単純に読めば写生句である。厚手の南部鉄か何かの風鈴、夏から掛けっぱなしの風鈴、秋風にそれがリンと鳴る。そこからどれだけの連想をするかは、読み手次第である。

  大寒の一戸もかくれなき故郷      飯田龍太

 蛇笏の息子の龍太も引退宣言をしてしまった。私の知人にもファンが多く、この人のために私の句会から離れて行った人さえいる。やはり山梨在住なので、木々も葉を落としてさえぎるもののなくなった景色の中に、故郷の村の家は全部見える。写生を超えた、厳しい冬の生活を匂わせるものがある。

  白牡丹といふといえども紅ほのか    高濱虚子

 虚子と言えば、客観写生をしつこく説いた「ホトトギス」の創始者である。その説には半分納得するが、他の半分はあまり同調できない。それでも良い句は沢山詠んでいる。それも単なる客観写生ではなく、主観的な発見と言えるものを詠みこんでいる。この句の意味はその通りなので解説の必要はないが、これも発見の一つだろう。ちなみに「紅」は「こう」と読む。

  外にも出よ触るるばかりに春の月    中村汀女

 月はそれだけでは秋の季語である。とはいえ月はいつでもそれなりに身近で美しい。春の月をこれほどまで適切に表わした句は、他には無いと思う。秋の月より湿気が多い分だけ、色が濃く、しかも大きく見える。それだけ近く感じるので、「触るるばかりに」が効いている。

  高嶺星蚕飼の村は寝しずまり      水原秋桜子

 飯田龍太の句に一脈相通ずるものがあります。高嶺星で盆地の底に自分が居ることを言い表わしている。昔は蚕を飼っている家も多く、自分も経験があるが、時間に追われるだけに結構忙しいものだ。その忙しさも一休みで、村が寝静まった情景を詠んでいる。

  香水の一滴づつにかくも減る      山口波津女

 今までの句は、鑑賞者にもよるが、一般的には写生句である。虚子のを発見と書いたが、これはそれとは違う種類の発見だ。髪の毛の少ない私は、ヘアトニックは一日少量で済む(要らないだろうと言う人もいる。当たっている)が、それでもいつの間にかなくなる。まして香水だ。ここには一種川柳とも相通ずる「うがち」的なものがある。写生だけではないものがある

  牡丹百二百三百門一つ         阿波野青畝

 多少言葉遊びに近いものを数句並べてみる。皆さんはこれにあまり嵌ると危険ですから要注意。

  山又山山桜又山桜           阿波野青畝

 これは言葉遊びの上に漢字ばかりという、見た目でも遊んでいる。

  チチポポと鼓打たうよ花月夜      松本たかし

 本当に能には興味以上のものがあったようで、他に能を詠んだ耽美的な句もある。チチポポとはここでは鼓の音の擬音だが、実際に音符代わりに(例えば三味線のチントンシャン同様)使われている言葉のようだ。

  雪だるま星のおしゃべりぺちゃくちゃと 松本たかし

 童話的な情景だが、本当にまたたく星がおしゃべりをしているように思えて来るから不思議だ。楽しいけど真似は勧められない。

  さくらんぼ笑で補ふ語学力       橋本美代子

 これも少し川柳的な句。外国人と英語で話そうとして、上手く通じないとき、笑ってごまかすのは、日本人だけだと思う。これも微笑みを、その場を和ませる手段として、知らず知らずのうちに教え込まれているからだろう。「さくらんぼ」との取り合わせが絶妙。

  短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎    竹下しずの女

 須可捨焉乎は「すてっちまおか」と読む。まあこんなことを言う人は、子供を捨てることは無いだろう。気持は解る(男に解るか!と言われそうですが)し、むしろ愛情を感じる。現に最近しずの女の息子さんの文を読んだ。「あれは私のことだったのかなぁ」なんて。

  花衣ぬぐやまつわる紐いろいろ     杉田久女

 今回の最後を、少し艶っぽく締めます。着物を脱いでいる情景ですが女性の場合は大変なんですね。脱いでどうするかは貴方の想像次第で物語は展開できる。もしかするとそれで貴方の性格判断が出来るかも。

  日記果つ珠のやうなる恋秘めて     山崎百合子

 この場合はもっとストレート。俳句にはこんなに言い切ってしまう句は少ないので、取り上げてみた。ある女性に「俳句でも恋の句が詠めるんでしょう?詠んでよ!」とけしかけられて探していた頃に、亡くなった江國滋さんの本の中で見つけたもの。私はやはり控えめで

  後悔も少しにわかの春迎え       福山至遊

となってしまった。当の女性はこれを恋の句とは取ってくれませんでした。俳句をやっている従妹は、流石に見抜きましたが。

 私の先生の句

  受話器置く木枯がまた胸中に      若泉真樹

という程度が俳句としては良さそうですね(ただしこれが(失)恋の句だというのは私の独断です)。