句あれば楽あり ?

好きな俳句 一

至遊(しゆう)



 以前、貴方は誰の俳句が好きですか?と聞かれたことがある。ざっと自分で名前を挙げてみて驚いた。その俳人たちの傾向に共通性があるとは思えなかったからである。でも好きは好きである。その俳人と接した訳でもなく、またその人の俳句に全部目を通した訳でもない。従って正確に言えば、好きな句を選び出し、その作者(嫌いな句も作っているかも知れない)を並べたことになる。

●村上鬼城

  芭蕉や蕪村は別格として、最初にはっとしたのがこの人の句である。この人は昭和13年
 に亡くなっている。私はその年の生れである。最初に好きになったのも何かの因縁かも知れ
 ない。

   冬蜂の死にどころなく歩きけり   鬼城

   鷹のつらきびしく老いて哀れなり  鬼城

  鬼城という人は耳が不自由だったらしい。冬蜂も鷹も自分である。他にもこのように他の
 ものに象徴させて、自分(と思われる)を詠んでいる句は多い。ここまで自己を醜く表現でき
 るのか、というのが最初の驚きだった。ただこのような句には限界がある。余りにも言いた
 いことが表に出すぎている。

  とはいえ、私にとっては記念すべき人との出会いだった。この時点で自分の句(当時仲間か
 ら「社会派」と言われていた)の方向にも多少の自信が持てるようになった。

   マンションを死に場所と決め秋の蝉 至遊

●久保田万太郎

  今まで数句お借りした人である。この人は「上手い」としか言いようがない。句集も持って
 いるので、紹介し始めればきりがない。

   神田川祭の中を流れけり      万太郎

 別に何と言うことはない情景である。多分神田明神の例祭か何かのときに詠んだ実景句だと
 思っていた。後で句集を見ると前書きに「島崎先生の「生い立ちの記」を読みて」とある。やは
 り実景の方が良かったとは思う。

   湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 万太郎

 晩年の作である。文字のひとつひとつにまで、心憎いばかりの気配りがされている。
 同じ時期に

   死んでゆくものうらやまし冬ごもり 万太郎

 というのもある。私ももう少し歳を取り、同年輩の人が周りから少なくなって来たら(という
 ことは長生きしたらということになるが)本当にそう感じるかも知れない。

●加藤楸邨

  八ケ岳を近くに望むところに楸邨記念館があり訪ねたことがある。この人は「人間探求派」
 というところに分類されている。最初に印象に残った句は

   鰯雲ひとに告ぐべきことならず   楸邨

 である。戦時中の句であることを承知していないと、この句の本当に言いたかったことは見
 えて来ないかも知れない。実際京大事件等で、俳句の世界でも逮捕者が数名出ている。本音
 を言ってはならない頃の作である。

   死や霜の六尺の土あれば足る    楸邨
   冬鴎生に家なし死に墓なし     楸邨

 「人間探求派」の面目躍如というところだろう。

 どう見ても、この3人には共通なところはない。それでもいいと思っている。ビール好きで且つ甘いもの好きでも何らおかしくない。美しい句、人生を詠んだ句、面白い句、等多くの句が好きである。

 まだまだ紹介したいので、タイトルに(1)と付けた。今回は人を中心にしたが、(2)では俳句中心に取り上げてみたい。