句あれば楽あり ?

新春の俳句

至遊(しゆう)



 正月は万人共通のハレの祝日である。こんな日を俳句にするのは意外に難しいものである。もう5年ほど前になるが、草間時彦氏が新春百句というのを「俳句朝日」の上で選んでおられた。その中からこれはというものを選んでみようと思ったが、以前「テーマ別俳句」の紹介の中に「新春」という稿を設けたことがあった。それと重複するものは最後に句のみ記す。

   
日の春をさすがに鶴の歩みかな    榎本其角
 ご存知芭蕉の高弟の1人である。俳句の質もかなり違い、結構勝手な動きもしていたのに、何故か芭蕉は其角を買っていたらしい。ここでも芭蕉の枯れた味とは別の、華やかさを詠ってみせる。其角は鶴の歩みに魅せられている。そして「さすがに」という形で納得している。多分天気のいい元日、そのゆったりした気配が句全体に満ちている。

   
元日や家にゆずりの太刀帯かん    向井去来
 これも芭蕉の高弟である。ただしこちらは芭蕉に忠実であった。京都の落柿舎へも芭蕉は身を寄せたことがある。武士だけにこの元日の気負いが理解できる。しかもいつも帯びている刀ではなく、多分特別の時にしか帯びない先祖伝来の刀である。従ってこれは非日常同士のぶっつけ合いで、そこに緊張感が最後まで保たれている。「続虚栗」の中の句。

   
元日を白く寒しと昼寝たり      西東三鬼
 ここまではいわゆる俳諧の世界だったが、ここからは子規が俳句改革を唱えて以後の作になる。ただし必ずしも作句順ではない。「昼寝」は昔はどうだったか知らないが、今は夏の季語である。ただこの場合は「元日」が勿論強い季語だけにそんなことは考えなくていい。昨夜除夜の鐘を聞いてから寝て、元日の朝は朝でそんなに寝坊はしていられないのが、日本の元旦のリズムであった。年始の客が来たりするからである。だからつい昼寝をしてしまったのだろう。寒さを「白く」と形容した。突飛な発想でもないだけに、これが成功かどうかは読者次第だろう。

   
初富士の大きかりける汀かな     富安風生
 そんなに好きな句でもないが、自分の経験に照らして想い出になりそうなので選んだ。元日に富士を間近に見る場所で過ごしたことは、大仁、箱根、河口湖等がある。汀というには河口湖が一番似合う。しかも河口湖大橋を渡った、富士を写真に収めるのに最高と言われるところにも足を運んだ。大きな富士が上下にあった。そして寒かった。

   
屠蘇重し軽き朱金の酒杯に      日野草城
 酒杯で(さかづき)と読ませている。確かに朱塗りの杯は軽い。相対的に屠蘇の方を重く感じる。ただそれだけのことかも知れない。日野草城はいわゆる新興俳句系と呼ばれる。前回まで紹介していた桂信子の師である。数ある虚子門下の1人だが、この句を見ていると同門の秋桜子との近さを感じる。

   
しだれたる餅花にけふ暮れそめし   渋沢渋亭
 餅花または繭玉は本来柳の枝に紅白の餅を飾り立てた祝いの道具である。最近は商店街で贋物の繭玉をよく見かける。本物の場合は柳の枝だからどうしても枝垂れる。元日の朝なら何か元気のいいものが似合うだろうが、日暮れ時になるとこんな、美しくもあるが一面しっとりとした風情も漂わせる餅花が心に沁みてくる。渋沢渋亭については寡聞にして何も知らない。

   
わらんべの溺るるばかり初湯かな   飯田蛇笏
 子供は1年を通して元気がいい。ましてお正月は天下御免で遊びに熱中できる。その勢いをそのままに初湯にまで持ち込んで来た様子がよくわかる。風呂場で溺れるはずもないから、作者は安心して見ているのかも知れないし、一緒に入ってその勢いに驚いているのかも知れない。作年を知らないので、龍太のことなのか、それとも孫のことなのかはわからない。

   
初風呂や父の次には男の子      星野立子
 ここでいう父は、勿論虚子のことではない。ご主人である。虚子のことを詠んだ「初電話」という句もあったが、こちらを選んだ。今なら何故男の子?なんてフェミニスト集団からは総スカンを喰いそうだが、当時はこれが常識だった。立子ですら、という気がする。常識を常識通りに詠んだのか、男の子をもうけた喜びの表現か、それともやはり何故?という疑問を投げているのかは解釈次第でどうにでもなる。

   
賀状うづたかしかのひとよりは来ず  桂 信子
 前回までの作者である。これも作年を知らないので、「かのひと」が誰かは知らない。しかしそんなことはどうでもいい。「青のアトリエ」の青木さんはこの作者に興味を通り越して、女の艶というか一種の怖さまで感じられたようだが、そんなご意見を3回目を載せた後で頂いた。むしろ温和しくなってからの句だったが、それでもそう感じさせるとしたら「かのひと」はかなり怖いのでは?と心配になる。

   
手毬唄かなしきことをうつくしく   高浜虚子
 手毬唄は各地にあり、童謡めいた形で伝わっている。あまり歌詞を味わったことはないが、童話も含めて子供向きに残されているものには、大人として考えると悲しいことや残酷なことが結構多い。でもそれが手毬唄という形を取ると、懐かしくかつ美しい情景だとつい思ってしまう。写生を唱えた虚子自身には心象俳句が沢山あるが、これもその1つだろう。

   
獅子舞の胸赤く運河渡るなり     石田波郷
 もしかすると江東区に住んでいた頃の作かも知れない。あのあたりには細い運河が張り巡らされている。だから橋も多い。高橋などは半ば太鼓橋のように中央が高くなっている。その橋の向うから獅子舞がやって来たとすれば、最初は下から見上げるような形になる。すると獅子の胸もよく見えそうだ。運河という流れの無い穏やかな水の上を賑やかに獅子舞が通って行く。その後はまた静寂に戻る、というところまで想像させる。

   
籠の目に土のにほひや京若菜     大須賀乙字
 この人の句を目にすることはあまりない。しかし特に俳句理論や指導では大きな存在だったようだ。その流れを汲む者には大野林火、角川源義、その次の代になると角川春樹、野沢節子そして黛まどかなど錚々たるメンバーである。この句自体は多少江戸俳諧を思わせるようなところがあり、それ以上の感動はない。作句と指導は別なのか?

 以下は最初に述べた、以前この「句あれば楽あり」ですでに取り上げた句なので、句のみを記す。
   
去年今年貫く棒の如きもの     高浜虚子
   
元日や手を洗ひをる夕ごころ    芥川龍之介
   
膝に来て模様に満ちて春着の子   中村草田男
   
つぎつぎに子等家を去り鏡餅    加藤楸邨
   
羽子板の重きが嬉し突かで立つ   長谷川かな女