句あれば楽あり ?

テーマ別俳句 死

至遊(しゆう)



   旅に病で夢は枯野をかけ廻る    松尾芭蕉

有名な芭蕉の辞世とも言われている句です。「死」とは言っていませんが、ここでは自分の死が題材です。死に関連する句はいくつかに分けられます。

 1)自分の死を予感して詠んだもの
 2)知人や肉親の死に捧げたもの
 3)人生観から詠んだもの
 4)抽象化された死を詠んだもの

等です。

 「死」というのは人生に一度だけの、一大イベントです。それも一般的には楽しいものではありません。だから暗い句が多くなるのも止むを得ませんが、それだけに重みもあります。

 先ず自分が死に臨んだ時の句から

   白梅に明くる夜ばかりとなりにけり  与謝蕪村

 これが蕪村の死に臨んでの句と聞いて驚かされます。芭蕉の求道者的な生き方との違いを、まざまざと感じさせられます。普通ならこれは辞世の句だとは思われないでしょう。達観した境地とともに、一生が満足だったという気分にさせられます。

   死に尊厳なぞというものなし残暑   江國滋酔郎(滋)

   おい癌め酌みかはそうぜ秋の酒    江國滋酔郎

 前に「病」の稿でも取り上げた江國滋さんの「癌め」という句集からです。この本を読んでいて、医療の実態が、全くあてに出来ない状態であることを認識させられます。入院当初はかなり楽観的で、何度も手術を重ねていくうちに、段々悲観的かつ捨てばちな気持になっていく様子が、日付順になっているだけに、下手な小説よりひしひしと伝わってきます。最後にちょっと達観した観のある句があるのが救いです。

   雁や残るものみな美しき       石田波郷

 別にこの句を詠んで亡くなった訳ではありません。召集を受け、死を覚悟して詠んだ句です。幸い生きて帰ってきて、今は波郷ブームと言われるように、詩的ながら我々の心に、美しいだけではない、心に響く句を多く遺してくれました。最期の清瀬での闘病生活からもいい句は沢山生まれています。

   もえやすく又消やすき蛍哉        千子

 ちね、と読みます。去来の妹で、少し俳諧の手ほどきを受けていたのが、夭逝する直前のものと聞いています。これに対して去来は

   手のうへにかなしく消る蛍かな    向井去来

 と詠んで妹の死を悼んでいます。兄妹愛が偲ばれるやりとりです。

 次に、知人・肉親の死に捧げた句ですが、これは沢山あります。ちょっと見ただけではそれとは気がつかないようなものもあります。

   露の世は露の世ながらさりながら   小林一茶

 56歳になって初めて授かった長女を亡くした時の句です。言葉そのものは誰にでも浮かぶ言葉を使いながら、しかも繰り返しを多く使いながら、一茶の心情をよく表現したものになっています。悲しみ、無常観、もしかしたら神も仏も恨んでいたかも知れない心情です。

   撫子はなぜ折れたぞよ折れたぞよ   小林一茶

 これはいつ詠まれたのか知りません。ただ類似の場面で詠まれたのではないかと推定されます。何しろ先の長女の他に3人の男の子が次々に亡くなっているのですから。

   数ならぬ身となおもひそ魂祭り    松尾芭蕉

 寿貞尼の死を聞いたときの句です。実質的に夫婦だたっという話もありますが、芭蕉は旅の途中でその訃報を聞くこととなります。でも旅の予定は変えていません。当時の俳諧師は今の役者と同じように、肉親が亡くなっても生活のためには顧客第一主義で行かなければならないところがあったのでしょうか。

   ある程の菊抛げ入れよ棺の中     夏目漱石

 楠緒子さんという人のために詠んだ句で、「思い出す事など」の中に収められています。私も類想になると知りながら、父が亡くなったときに

   寒菊も入れつくしなお父軽し     福山至遊

と詠んだものです。また久保田万太郎も友人の友田恭助氏に捧げて

   あきくさをごったにつかね供へけり 久保田万太郎

という句を詠んでいます。

   悲しさの極みに誰か枯木折る     山口誓子

 これは誰かに捧げた訳ではないと思います。ただその心情はよく分かります。悲しさのぶっつけようがないのです。「枯木折る」でこの悲しみは誰かを送る時のものだと推定されます。

   春の日やあの世この世と馬車を駆り  中村苑子

   長き夜の苦しみを解き給ひしや    稲畑汀子

 この2句は多分ともにご主人を亡くされた時の句です。汀子さんは、ご存知の通り虚子の孫娘ですから、大所帯の「ホトトギス」を支えながら、そしてご主人の看病をしながらと、大変な時期だったと何かで読んだことがあります。「ホトトギス」に投句される句の選は病院でやられたとか。

   春夕べかくれんぼうの鬼は母     須田桜児

 「麦」の会員だった方で、小さな赤い句集を1冊持っています。この方は奥さんにも先立たれ、その時の句もあります。

 次に死生観の滲んだ句を数句挙げておきます。

   冬蜂の死にどころなく歩きけり    村上鬼城

   死や霜の六尺の土あれば足る     加藤楸邨

   万緑や死は一弾を以って足る     上田五千石

 第1・2句はこのシリーズで何回か取り上げました。第3句は楸邨の第2句に相通ずるものがあります。鬼城は生への執着とか、思うに任せぬ死を厳しく、醜く表現しますが、他の2句は無常観と同時に哲学的冷たさを持っています。

   精霊舟流る櫂なく梶なくて     天野莫秋子

 死んでからも迷いはあるのでしょうか。多分この精霊舟はふらふらと流れて行っていると思いますが、櫂や梶がなくても流れていく先は同じでしょう。何かに操られている人生です。

 最後に具体的な(人間の)死とは離れた句を数句。

   死ねば野分生きてゐしかば争へり   加藤楸邨

 これも前に出しました。生きていても死んでも浮かばれないものです。ただ楸邨の場合、いつ詠まれたかが重要で、世相を反映していることがよくあります。これは戦争末期に家を焼かれてから、終戦直後にかけて詠まれた句のひとつです。多分まだ終戦になる前の句だと思われます。

   生きるとは死なぬことにて露けしや  日野草城

 上五中七は説明口調で、単なる理屈ですが、最後に「露けしや」と持って来たことで、ここで取り上げる句に入りました。やはり生きていても露の命という考えが、日野草城の心を占めているのです。無常観です。

   こときれてなほ邯鄲のうすみどり   富安風生

 これは本当の死を詠んでいます。だから逝った人に捧げた句と同列に扱うべきかも知れません。ただ、対象が人ではないことと、嘆きの入った句ではないと思ったのでここに置きました。一見美しい句ですが、その中に生きていることへの執着を見せています。