句あれば楽あり ?

桜 の 句

至遊(しゆう)


 ある季節を代表する季題を選びそれがどのように詠まれているかを順に紹介して行こうと思う。好きな季題の場合は連続ものになるかも知れない。

 花と言えば桜のこととは皆さんご存知のことと思う。今は一寸季節外れだが、先ずは日本の代表的な花から取り上げるのが順当かと考えた。

 桜の季節は吟行にもよく行く。ちょうど寒さから解き放たれて活動的になれる時期だからである。従って花を詠む機会は多い。しかし皆が詠むために、意外に個性を出すのは難しい。いわゆる、型にはまった句を知らず知らずのうちに詠んでしまっている。

   花冷えや五十路の妻の水仕事     至遊

 当時は妻も五十路だった。これは「合同句集−葦」の第1号に載せたものである。従ってまだ初心と言えるころの作である。「水仕事」が何とかならないか、と従妹に言われ今は「厨ごと」にしている。マンションで厨というのも気が引けるが。

 第2集には

   戸を閉めてなお華やげり花の夜    至遊

という句を載せている。この句も句仲間や例の従妹に色々直された末にこうなったものである。これは伊豆高原の共有別荘で、花の時期を狙って庭の手入れに団体で行き、手入れが終ったころにはもう暗くなってきたので、庭の桜の枝を一枝折り取って花瓶に挿し、夜の部の宴会に花見気分を添えたという実景である。最初は上五が「雨戸閉め」だった。これでは「夜」と言わずにも夜の情景だと分ってしまう。短い俳句ではこんな表現の重複とか、言わずもがなということを嫌う。

 第3集・第4集には花の句はない。京都や大平山に行っているのだが、他の句がやはり花の句を凌いだことになる。ことほど左様に、花の句は段々難しくなってきている。今年の春は新宿御苑で、御苑句会という会の立ち上げを兼ねた吟行句会だった。そこでは

   待つことを憶えし桜歳重ね      至遊

という句が点を集めたが、未だに「歳重ね」が気に入らない。だから出来たばかりの第4集にも入っていないのである。今年の桜は早めに咲き、予定した日には散っているかとやきもきさせたが、何とかもってくれて、散り際の桜とはいえ満喫することが出来た。「紀子オバサン」もこの時から俳句を始められたし、「花便り」の廣戸さんも別の句会でご一緒することになった。さて次の標的は?

   花筏割って真鯉の鰭現わる      至遊

 自分の句はさておいて、評価されている句をいくつか紹介しよう。

   薄墨桜風立てば白湧きいづる    大野林火

 私はまだ薄墨桜は見ていない。風に揺らぐと色が変わったように見えるのか、それとも散り際で風が立つと花びらが舞うのか、定かではないがいずれにしても薄墨桜の描写としては「白湧く」がよく効いている。

   むれ落ちて楊貴妃桜尚あせず    杉田久女

 大輪で八重で色も濃艶でという楊貴妃桜は房のまま落ちる。落ちてなお色褪せないというのは女の願いか、ナルシストの境地か。いずれにしても自分を楊貴妃桜に重ねていることは間違いないだろう。余談だが私の中国語の先生は虞さんという女性である。虞美人の話をしたら、それ以降よく自分のことを虞美人と呼んでいる。

   一昨日はあの山越つ花盛り     向井去来

 一昨日越えた時には、まだ満開には程遠いと思えた桜が、振り返ってみると花盛りになっている。これは芭蕉が「一両年待つべし」と言ったというので有名になっている。花の下で花を詠んだのではなく通り過ぎた山の花を詠んでいる。今どきの新幹線ではこうは行かない。

   花影婆娑と踏むべくありぬ岨の月   原石鼎

 ちょっとオーバーかも知れない。いくら満開の花でも、月に映された花影をバサと音がするほどに踏みつけそうだという。見る人によっては、その誇張があって始めて花の厚みが分るのだということにもなるとは思うが。

   咲きあふれひとつの花をこぼすなし 長谷川素逝

 私は雪柳や小でまりなどにはこんな感じを持つ事がある。桜の場合「咲きあふれ」ていて、かつ一片の花びらをもこぼしていないというのは、想像か願いかのどちらかとしか思えない。やはり少しは散らしたい。

   花あれば西行の日と思うべし     角川源義

 作者の晩年の句だという。もう体調も思うに任せなかったことだろう。そんなとき西行の「願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」と詠んで、その通りに死んで行った西行の生き様に憧れるのは十分に分る。芭蕉も西行を慕ったしその歌枕を「奥の細道」でも訪ねている。やはり多くの人が憧れる理想像のひとつであろう。

   夢のはじめも夢のをはりも花吹雪   渡辺恭子

 これも西行を意識していると思われる。西行に「夢中落花」の歌があるからである。このような句の詠み方は、類句・類想と微妙な距離がある本歌取りで許されるべき範囲だろう。

   てのひらに落花とまらぬ月夜かな   渡辺水巴

 月夜の落花であり、それだけで豪華絢爛かつ幻想的な味わいを持っている。実際にはてのひらにも、落花は止まるであろうが、ここは「とまらぬ」と言い切った方が良い。止まったらそちらに目が行ってしまい、大景が消えて、豪華絢爛ではなくなってしまう。

   ちるさくら海あをければ海へちる   高屋窓秋

 これは前にも紹介しているので句を挙げるに止める。最後に私の先生の句を、と思ったがやはり少ない。「春潮」に2句「葦」に1句見つけた。

   カレールウ煮詰めて海は花曇(春潮)      若泉真樹

   眼を病めばどの山からも花吹雪(春潮)

   花冷えの坂を女の黒鞄(合同句集−葦第1集)

 「春潮」のころは私はまだ俳句を始めていない。最後の句は私も「合同」の中に名を連ねている。
ばりばりのビジネスウーマンである先生の姿が見えるようである。ただ実際には黒鞄は余り目にしたことがない。これも「虚」かも知れない。