句あれば楽あり 3

熊 野 吟 行

至遊(しゆう)


 10/28から30日にかけて、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)と、勝浦から白浜にかけての熊野灘辺を吟行会で旅行した。総勢12名。うち長野からも2名参加で結構賑やかな句会になった。

 2泊なので句会も2回だが、28日は普通の月例句会、そして29日は完全な吟行句会とした。以下の短文で、吟行の雰囲気を伝えられたらと思う。

 28日白浜空港に着いたら、残念ながら小雨。レンタカーが2台待機していた。先ず白浜から熊野本宮大社に向かう。昔は多くの上皇も一般人も歩いて通った熊野古道にほぼ沿いながら車を走らせる。熊野古道にはXX王子と名の付く多くのポイントがある。九十九王子とも呼ばれるが、実際にはもっと多い。九十九は単に多いという意味で使われている。王子とは熊野権現の御子神を祀った場所のことである。

 取りあえず滝尻王子で古道を味わうことにする。滝尻王子は格の高い王子の一つで、神社がありその横を通って裏手へ回ると、急に勾配がきつくなる。雨の中で歩けるような道ではない。戻り際に御神燈を見たら、小さな蓑虫が人気のないところで、安心してぶら下がっている。

    蓑虫の眠りも深し御神燈    至遊

 熊野本宮大社は主神が家津美御子で、説明には天照大神や素盞鳴命から始まって神代の神々が計12柱祀られているという。檜皮葺きの屋根の反りが、何とも言えず美しい。正面から見ただけで、お参りする場所および賽銭箱が5つある。それぞれ神々の祠である。やはり天照大神を選ぶ。神話の上とはいえ、素盞鳴命の言動は多重人格(?)的なので避けた。

 昼食を済ませて、十津川(下流では熊野川)沿いに下り始める。小雨なので川の水はそれほど多くはなく澄んでいる。所々に淵が出来ていて、翡翠色に沈んでいる。

    秋時雨翠(ミドリ)の川のうねりかな 至遊

 熊野速玉大社に着く。新宮と言われるだけに、古びた趣はない。使ってある建材も鉄板やコンクリートであり、色彩だけが、平安神宮のような華やかさで、むしろ軽薄に見える。詩心は湧かない。

 その後、秦の始皇帝の命を受けて蓬莱山に来たという徐福の公園を見る。日本での話は作り事と思いながらも、徐福茶で少し長生きできそうな気分になる。この日は勝浦泊まり。忘帰洞という大洞窟温泉を持つところだが、急いでいたため屋内だけで済ましてしまい、後悔する。

 翌日は先ず熊野那智大社から始める。大社の脇には青岸渡寺がある。補陀落(洛)信仰の発祥の地である。樹齢800年と言われる楠や杉が林立している。その寺の更に右側に、那智の滝が見える。雨で水量がいつもより多いらしく、迫力は満点である。ただ「滝」は夏の季語とされている。「滝」という文字を入れないで、この雰囲気を句にするには(?)と首を捻る。

    霧立つや川落ちるとき神となる  至遊

 やはりこの荘厳さには神を感じる。ここでも熊野古道の一部を歩く。流石に大社の傍とあって、石畳を敷き詰めた路で、最初に経験した滝尻王子とは全く趣が異なる。

 その後は勝浦を見て歩く。観音浄土を目指す補陀落信仰に基づく補陀落渡海の話が、再現された渡海船まで見ると、より迫力をもって迫ってくる。我々が考えれば狂気である。昨日の徐福の中国らしい、のんびりした話とこのインド直輸入の信仰の差は大きい。

    不老不死も渡海も望まず冬支度  至遊

 勝浦を離れ、串本へ向かう。途中、太地で昼食になる。太地となれば鯨である。ちょっぴりながら鯨も食す。本州最南端の地に行き着く。拍子抜けするほど何もない。少し色づいた草原を横切って行くと、黒潮が岸を洗い、遠くに船が浮かんでいるだけである。

    遠景の船動かざり草紅葉     至遊

 白浜までの戻りの道、車の中ではその辺を舞台にした多くの物語の話が出る。安珍清姫の話が、名前からして加害者である清姫に味方していて、女は怖い(こちらの車は全員男性)となり、とうとうスナック清姫と中華の安珍亭にまで発展する。

 白浜のホテルでは、句会のために色々な融通を利かせてくれた。夕食を遅くして、心おきなく句会を楽しむ。上に挙げた私の5句が当日の出句である。好評で特に「不老不死」は最高点となる。ただ熊野だからいいので、東京で詠んだら観念句と言われても仕方が無い。

 白浜の湯はいい。ちょっと塩っぱいが肌がつるつるする。翌日いっぱい、夕方の便までフリーだったので白浜のあちこちを見て歩く。途中で海辺の露天風呂(崎の湯)にも入る。南方熊楠に感心し、三段壁の迫力にも圧倒されるが、別動隊は道成寺へ行き、安珍亭を本当に見つけてくる。残念ながらスナック清姫はまだ見つからない。