句あれば楽あり ?

北近江から若狭へ 二

至遊(しゆう)



 翌日、かなり冷え込んでいる。早起きの人は朝食前に周辺を散歩して来たらしい。私は昨夜入り損ねた風呂を浴びていて、一歩の遅れを取る。

   秋冷の湖面に鴨の目覚めおり     橘高絹子

   鴨浮きて大慈大悲の湖たいら     若泉真樹

 朝食後は殆んど湖を見る間もなく、次の目的地の三方五湖に向って出発する。今回は前の車に乗る。敦賀をかすめるようにして西に向きを変え、三方五湖には思ったより早く着いた。船で湖を廻ると時間が掛かり過ぎると諦めていたが、これもたった40分とのことで、全員で船の中の人になる。殆んど我々の他には人影がないと思っていたが、意外に船は満席になった。

 塩水湖から淡水湖まで四つの湖をまわる。五胡目は狭いトンネルになっていて行けない。ここにも万葉の歌の名残や、名僧の足跡などあったが、面白かったのは、せっかくお金を出して乗り込んできて、すぐに眠ってしまった人が数名いたことである。確かに寝心地は良かったかも知れない。後で分かったが、我等が運転手の龍雨さんもその一人だったらしい。

   湖滑らかオールの先に秋の雲     木野三周

 その後はしばらく三方湖と若狭湾の両方を見ながらの風光明媚な道を走る。途中のビューポイントでは、我々が唯一入れなかった日向湖が眼下に見えた。この湖は漁業の中心らしく、多分観光船に入って来られたら迷惑だろうと思うほど、船、網、生簀が鼻を付き合わせるように密集していた。大きな鳥が飛んできて枯れ枝の突端に留った。鳶か鷹かサシバかで揉める。結局鳶だったようだが、最後にそこに鴉が来て留った。本人(?)は真面目だろうが、我々には何となくユーモラスだった。

   陥没湖の一つ見残し渡る鷹      若泉真樹

   三方五湖俯瞰きしきし渡る鷹     大山夏子

 しばらく進むと食見(しきみ)という何だか美味しそうな名前の土地にマリンパークがあるというので、昼食旁々立ち寄る。名前の通り海の生物(魚や貝)等が沢山いたが、そこに朝鮮半島から流れ着くハングルの入ったビンも飾ってあった。朝鮮半島との文化の近さを説明するためだったろうが、丁度北朝鮮から拉致被害者が帰国していた折であり、かつ今我々はそのうちの一家族が居る小浜へ向っている。妙な生々しさを感じる。

   若狭晩秋漂流瓶にハングル文字    大山夏子

 マリンパークにも関わらず(またはそのせいか)昼食には鮮魚類はない。簡単に済ませて若狭湾の水に触れに行く。思ったほど冷たくない。

 ここから小浜もすぐだった。小浜ロッジに入る前に、先ず遠敷(おにゅう)の神宮寺へ行く。この吟行の話が纏まったのが、先生の遠敷という一言だったから見落とせない。奈良東大寺のお水取りの水をここから送るという意味の「お水送り」の行事が行われる場所だ。それが行われるようになった所以や、韓国から来たと思われる地名の説明等も聞きながら、本尊の薬師如来の他に多くの像がある傍に神話に基づくと思われる若狭彦、若狭姫も祀られている。

 東大寺建立に力のあった良弁和尚はここの出身ということで、これもまた神隠しのような伝説になっている。実際にお水送りの水となる井戸の水を口に含んでから、祭事が行われる鵜の瀬へ行く。舞台は完全に揃っていて、狭い山間の道と川だが五千人ほどの人出があるらしい。ビデオで見る限りでは、二月堂のお水取りと全く同じ雰囲気である。

   晩秋の海遠き日の神隠し       福山至遊

   鵜の瀬の秋幻影を追うひとり言    若泉真樹

   神と神の誓鵜の瀬の水は澄み     木村尚草

 私の句は句会の席では「晩秋や鵜の瀬の里に神隠し」と直されたが、もう一つしっくり来ず、未だに推敲中である。良弁和尚の神隠しも遠き日だが、地村さんの一家にとっての27年も長かったことだろうと、むしろそちらに重点を置きたかったからである。

 帰りには男神、女神の各神社に詣でる。大杉があったり大椎があったり、完全に歴史に包まれた地域である。小浜の町に近い方にある女神からは男神が遥拝出来るようになっている。少し奥まった高いところに威張って居ても、実質は女性が中心だったのだなと可笑しくなる。

   千年杉走る白雲ひよの声       大村錦子

   秋雲にとどく大杉姫やどる      池田紫音

   彦と姫両社に参拝秋雨やむ      広瀬邊邊

   観音と生活一如苅田あと       馬場竜雨

   苔踏みて神に近づく櫨紅葉      福山至遊

 この日は食事の前に選句まではしてしまおうと、大急ぎで句を出し、清記しコピーをする。一方で句会の場所が特別に無いので、幹事の部屋にテーブルと座布団を持ち込んでもらい、何とか座れる状態にする。余裕のある人はその間に風呂にも入れるが、幹事としてはそうも行かない。選句したものを各自が発表して、とりあえず夕食とする。そしてまた幹事室に集合。句評に入る。最高点句が六点句でそれが三句あり、それだけでもかなりの時間を食ってしまったので、先生の選句を中心に話を進める。そして十時頃解散。

 しかしこれでは先生の句は鑑賞していない。そこで先生に宣戦布告をしておいて、尚草さん等とともに作戦を練り、先生の風呂上りを待つ。それからの論争が大変で結局日付は変り、同室で寝る筈の龍雨、青嵐両氏が音を上げてしまう。最後はどうも返り討ちにあった雰囲気である。

 翌日27日は先ず明通寺へ行く。坂上田村麿の建立ということになっている。本堂と三重塔が国宝建造物になっている。特に三重塔は有名だ。九輪塔の下のしなやかなカーブを描いた三重塔の屋根の姿が美しい。そこに九輪塔の頂上から引かれた避雷針のケーブルがちょっとぶち壊しで、何とか隠せないものかと思う。本堂には本尊の薬師如来の他に特に深沙大将と不動明王が目立つ。いずれもわずかに腰を捻らせていて、初日の十一面観音を思い出す。

   逆光は歴史の足裏冬の雁       若泉真樹

 この句は先生が翌11月の句会に出されたものであり、ここで詠まれたという証拠は何もない。季節は変わっているが、歴史の足裏というところに、日本海側の趣を感じさせる。何しろこの日は句会がないので、この後吟行句は挟めない。

 ここにはその他に大きな棡樹(ゆずりき)があり、これにも建立の謂れが関わっている。それにしても広い。やはり都会の寺院には見られない規模と静けさがある。結構時間を掛けてしまったので、そのままフィッシャーマンズワーフへと行き、みやげ物の購入の時間を作る。そうこうしているうちに、2階のレストランが一杯になってきた。急いで入り、早めの昼食にする。私にしては珍しく、鯖寿司を注文する。海老と蟹を煮込んだ味噌汁と共に美味い。だけど肝心の海老・蟹は余り好きではないので、出し汁だけは平らげて、他の人にあげる。そうするとお返しがくる。そんなこんなで、楽しい食事になった。

 そこからは鯖街道を通って三千院に向う。途中で一回休憩をとり、珈琲を飲む。その窓から見る景色がのんびりしていていい。すぐ傍は川で、その先は今は何も植わっていない農地になっている。鳥がかわるがわる来るが、特に鳶はまるでショーでもやっているかのように近くを旋回している。

 次にやっと京都府に入って三千院に来る。混んでいる。流石は京都だと思う。車を降りて、細い道を登って行く。途中で錦子さんが音をあげそうになる。まだ紅葉には早くちょっと残念だが京都らしいみやげ物に目を取られながら行く。入口で拝観料を払って中に一歩踏み込んだ途端に、急に興味がどこかへ行ってしまった。何かを見るにも集中できない。理由は余りにも行き過ぎた商業主義である。やたらと揮毫を並べてあり売っている。土産物売り場に集中してあるのならまだしも、至るところに並べてあるという感じである。

 たった一つの救いは庭を見た時だった。一本だけ紅葉した楓があり、他は全部緑なだけに余計に目立っていた。その庭へ降りて、向い側にあるお堂に入ると、そこには阿弥陀三尊(国宝)が安置されている。本尊の薬師瑠璃光如来の両側に坐っている観世音菩薩、勢至菩薩の像が、案内書には正座と書いてあるが実は倭坐りで膝頭が少しゆるんでいる。禅宗が盛んになってから今の正座は出来上がったということで、それ以前の座り方としてはこれが自然だったのだろう。

 デュークエイセスが「女ひとり」を歌ってから、この三千院は皆が名前を知っている寺になった。中には竹内栖鳳、鈴木年松の襖絵等もあったらしいが、それらを見る気にもさせないこの雰囲気作りには彼らも思わず一役買ってしまった。現に山道の途中にはその第一節の歌詞が刻まれた歌碑が立っている。少し残念な思いを残してこの寺を後にした。

 後は京都駅で、先ず長野の三人が早めの列車に乗るので、そこまでを急ぐ。結局は少し余裕をもって彼女等を降ろすことができた。我々は余裕があるので、先ずレンタカーを返し、京都駅内散策とする。駅ビルは何かと評判が悪いが、段々馴染んで来たような気もする。屋上から南を見ると結構な夜景である。特に目立つ建物はないが、それだけに広々としていて気持がいい。

 簡単な食事を摂って新幹線に乗り込む。新横浜で3人、残りは東京を中心にして四散していく。帰宅は午後十一時頃になった。お疲れ様の2泊3日の吟行会ではあった。