句あれば楽あり ?

北近江から若狭へ 一

至遊(しゆう)



 平成14年10月25日。いつもより1時間早起き。前日から支度は整えていたが、通常の支度の他に、必要かと思われる資料をいくつかプリントアウトし、宿泊場所と電話番号を残して家を出る。

 東京駅には悠々と間に合う。時間までには、東京発の筈の人は全員揃い無事に乗り込む。新横浜での3人を含めて合計10名。1人だけ離れていた席を替わって貰って一塊になる。錦子さんの予告通り、手作りの朝食が配布される。美味しい。例によって尚草、邊邊の二人がポータブルの碁盤で囲碁を始める。それを覗いているうちに、あっという間に米原につく。

 待っている筈の青嵐さんに電話を入れる。出口が東西2つあったので、どちらに降りればいいか分からなかったからである。確認後降りると、また一緒にいる筈の、長野3人衆が居ない。また電話すると駅前に、しかも東口に居るという。我々も駅の東口。しばらくして建物の陰に3人が見えた。喫茶店で時間を潰していたらしい。

 14人という大所帯がやっと揃った。レンタカー事務所はすぐ駅前なので、これはスムーズに手続きが済む。最初の運転は龍雨さんと夢女さん。2台目の夢女さんの車に乗り込み、もう1人の幹事の青嵐さんは1台目に乗って貰う。そして長浜方面へ。瞬く間に長浜まで着いたが、2つ問題発見。1つは1台目のナビゲーションが上手く行っていなくて、時々変なところで停まる。長浜駅前の交番前で停まって地図を広げたりしている。狭いところで且つその内側に停車していた車が出られなくて困っている。他にも交差点の真中まで行って停まってしまったり、迷いが見える。第2番目は大したことではないが、2台目のブレーキが効き過ぎる。最後部の席の人はいつも身構えていないと、前の席に飛び出しそうになる。

   秋路端ハンドルを手に阿弥陀経   馬場龍雨

 運転手がお経を唱えている図はちょっと怖い。とか何とかしながら、長浜の黒壁スクェアの狭い商店街の中を一回廻った末に、駐車場に着く。先ず腹ごしらえ。予定は茂美路やだったが、満員で入れない。隣を紹介してくれる。隣も同じ経営者らしいが、ここはがら空きである。名物の「のっぺ」を注文する。本当は茂美路やの天丼が目当てだったが、ここには無い。少し不満ながら量的には満足し、ここから大通寺までの間の黒壁スクェア商店街をぶらぶら歩くことにする。

 ところが面白い店が軒を連ねていて、仲々歩が捗らない。街中を流れている川を覗いても、水が驚くほど奇麗である。川底に水草が生えて流れに揺れている。またお花狐という昔話にまつわる像の他にテープまで流れてくる。従って最後の人を引っ張るようにして大通寺に着くまでにかなりの時間を要してしまった。

   水草は秋も緑や石の橋       橘高絹子

   黒壁の街や花瓶の秋桜       大村錦子

 大通寺は浄土真宗のお寺で、蓮如遠流五百年記念の大法要をやっていた。大人数の読経が朗々と流れ、外には菊花展、そしてその周囲には鳩が群れている。その鳩が一斉に飛び立って、お寺の屋根に止まると完全に保護色になってしまっている。ただ中に一羽だけ真白な鳩が居て、一際目立っていた。

   懸崖の菊山門の彫り深し      大村錦子

   黄菊白菊紫の菊鳩の群       福山至遊

 戻りは大抵の人は別の道を戻ったが、絹子、廣の2人は、来る時に配っていた胡麻飴が美味しかったので買って帰るんだと、同じ道を戻るので、私もそちらに付いた。これが唯一妻が喜んだ土産になった。ここはもっと時間を掛けるべきところだったかも知れない。

 駐車場に戻って、車の後ろに蔦紅葉があるのに気づく。

   黒壁やバックミラーに蔦紅葉    福山至遊

 次に長浜城へ向う。何となく頼りない1号車に付いていって、ようやく駐車場まではたどり着く。長浜城の見どころは展示物より何より、目の前の琵琶湖の景色である。ただもう午後なので太陽が湖面に反射して眩しい。北側を見ると、賎が岳が目の前に見える。そのすぐ奥に余呉湖がある筈である。右側には淺井長政ゆかりの小谷城跡を含む山々。歴史が山城から平城に動いて来たのが目で見える。

 次に更に北に進んで渡岸寺へ行く。途中少し迷う。国宝の十一面観音が主な目的だが、着いたのが四時少し前という時間になってしまった。門前に来ると見学は四時までとなっている。ここの管理は公務員らしい。やたらと先を急がせる。でも十一面観音は見て良かった。他の十一面観音とは頂上仏が如来ではなく観音になっているとか、後ろの面はあざ笑う顔になっているとか説明はあったが、今まで他の十一面観音に興味を持ったことがないので、何とも言いようがない。そんなものか、である。それよりその全体の醸し出す美しさが、ミロのヴィーナス型だと評価したが、わずかに腰を捻った姿に艶がある。観音様であるからこそ、美しくなければならなかったのだろう。

   観音の姿態崩れず秋の月      遠塚青嵐

   観世音のなまめく御足秋没日    大村錦子

   観音の艶めける腰秋深し      橘高絹子

   観音の柔らかき背や薄紅葉     木村尚草

 この他にもここでは多くの句が詠まれた。長浜城が詠めなかったのは景が大きすぎるせいかも知れない。隣には重要文化財としての大日如来の坐像がある。格は如来の方が上の筈であるが、ここでは完全に添え物になっている。戦国時代のまた戦乱の中心地にあって、特に姉川の合戦を避けて、地中に埋められていたものを、後に掘り出したため、両方とも金箔は剥げ落ちて、黒い漆の肌が顔を覗かせている。それがまた古めかしさを出していていい。

   兵の鎮魂鐘楼に薄紅葉       石坂 廣

 後はそのまま余呉湖莊へ向う、積りだった。ところが前の車は賎が岳の下のトンネルを西へ潜り抜けてどんどん行ってしまう。そして急に工事中の所で停まってしまった。やはり道を間違えていたらしく、元来た道を今度はどんどん引き返す。

   古戦場を一廻りして秋惜しむ    福山至遊

 「一廻り」というのはそんなどたばたで、心ならずもの気分だったが、そこは素直な(?)人たちで、当の龍雨さんが取ってくれた。

 やっと正しい道らしいところへ出たが、余呉湖の周囲の道はやたらと狭い。対向車が来たらすれ違えない幅しかない。湖のほとりへ出てから、丁度反対側へ回り込んだところに余呉湖莊があった。水鳥が浮かんではいるが、鴨なのか鵜なのか判別も付かない時間になっていた。

   縹渺と風の暮れゆく余呉に鴨    若泉真樹

 そこは鳥好きの先生で、やはり鴨と断定された。翌朝見ると確かに鴨だった。小休止のあと、遅れたためにまず夕食。ここで初めての人も居るので、自己紹介をする。それが済むと隣室を句会の席にしてあったので、隣に移りそのまま句会。これも遅くなったが、何よりお酒が入ってからの句会というのは初めてだった。

 今日の句会は10月の月例句会でもあるので、欠席した人の投句を含め、吟行とは関係のない句も多く、その中に秀句もあったが、ここは吟行記なので省略する。ただ1句

   武士の碑は地に埋もれ石蕗の花   木野三周

という句は実際には鎌倉で詠んだらしいが、吟行句と言っても全くおかしくないので、ここで紹介しておく。もう少し北へ行くと、芭蕉が

   むざんやな兜の下のきりぎりす

と詠んだ土地である。 (つづく)