句あれば楽あり ?

「集」という季刊誌

至遊(しゆう)


 現在全国でいくつの句会が持たれているんだろう。いわゆる主宰者を中心とした本格的句会、マスコミが主催するスポット的な句会、それにカルチャークラブのような句会。私の住んでいる江戸川区の中だけを見ても、区の施設を使って活動することを認められている、文化団体としての句会が20余りある。これらの句会の記録はどのように残されているのだろう。

 私の俳句の起点となっている「葦の会」で「パスカル」という季刊誌を編み始めたのは、発足後約10年を経た、平成12年からである。勿論それまでも記録としての会報は発行してきた。また数年おきには「合同句集『葦』」という句集も出してきた。だけど定期的に句会の模様を記録し、かつ吟行・紀行文から随想に至るまでの多くの文も含んだ、読み物となる本は仲々出せなかった。その「パスカル」が軌道に乗ってくると、「俳壇抄」という全国のこのような句誌を網羅した面白い企画にも参加できる。

 私は現在、月に5つの句会に出ている。しかし他の4つではこんなものを定期的に発行する力はない。多分全国の、数の上では殆んどの句会が同じような状態ではないかと思う。そこに強力な味方が現れた。「集」という季刊誌である。「俳壇抄」が力ある句会の味方だとしたら、「集」はその他の殆んどの「力なき」句会の味方である。

 仕組みは簡単である。ある句会単位で纏まって、1人あたり5句を編集部へ送る。編集部ではそれらを纏めて(例えば10句会で1冊の)季刊誌にしてくれる。投句をした人には最低限1冊を購入する義務がある。現時点で1冊800円という値段だから年間でも3,200円にしかならない。自分たちの句会だけで発行するのに較べれば、楽なだけではなく、他の句会の様子も知ることができる。「集う」というのがネーミングの趣旨である。

 面白いことに、こうなると各句会が競うようになる。他の句会が面白い文を載せていたり、句会報の省略版のような形で、句評まで載せたりしていると、何とか自分たちも面白くしないとつまらないという雰囲気になってくるらしい。勿論、この文章にも長さの制約はある。同じ会員数で季刊誌の厚さだけが増していけば、800円では商売にならないからである。

 こんな企画は今までになかったのだろうかと、そちらの方が不思議になる。新しいビジネスモデルかも知れない。だがこの「集」にしても、それ程知られているとは思えない。国会図書館にも置いてはあるが、それ程のPR効果は今のところない。

 喩え小さな句会でも、また遊びが主流の気楽な句会でも、後に何も残らないのは勿体無いことである。ゴッホの絵でも、彼の生存中は全く売れなかったが、ちゃんと保存されていたからこそ、今我々は彼の絵を鑑賞できる。下手な俳句だと思っていても、石の上にも3年で、何時の間にか上達しているものである。その軌跡が自分だけでは追えない。従って特に一つの句会にしか出ていない人は、句会の中でしか自分の力を測るモノサシがない。皆が同じように上達すれば、上達しているという意識は持てないことになる。その点「集」のように、定期的にしかも他の句会と並んで作品を書きとめておく手段を持てば、自分の進歩の跡を確認できるとともに、他の句会との交流まで出来てしまう。誠に便利な本が出来たものである。

 ちなみに私の場合は「葦の会」以外の句会のうち3つがこれに参加している。この青のアトリエで言えば紀子さん(御苑句会)や廣戸さん(藤の会)とご一緒に。紀子さんは流石で、創刊号に早速文を寄せられたし、廣戸さんも最近「花便り」の文章から抜粋して簡潔な文を寄せられた。文を書く楽しみが一緒についてくるのも「集」の魅力である。

 また「集」は弱者の味方のような書き方をしたが、今度これも1つの俳誌として、「俳壇抄」の仲間入りをした。すなわち弱者と思っていたものが、集まれば強者になれるのである。季刊誌の発行なんて夢としか思ってない句会の皆さん、参加してみませんか?参加ご希望の句会があれば、このHomepageから私宛に連絡を頂ければ、発行者には連絡が取れます。

以上