句あれば楽あり ?

自分の俳句から 四

至遊(しゆう)


 今まで「葦の会」として出した合同句集は第4集までである。この集に載せた句は当然記憶もまだ新しいので、少し詳細に書きたく、2回に分ける。ただし「熊野吟行」時に詠んだ句は、この「青のアトリエ」に投稿を始めて間もなく、紀行文の形で載せたので、最後に気に入っている句を載せるに止める。

   違う眼でコスモスを見る無言館

 信州上田への吟行の際に詠んだ句である。無言館に行ったことのある人には判ると思うが、第二次大戦末期の青年の、死を覚悟して出征するときに、何を最後に考えるかがよく判る。あののんびりした塩田平の山腹に、こんな刺激的なものがあるのに驚いた。集めた人も、また遺品とも言える絵や手紙等を快く出して頂いた遺族の方も、やはりあそこに集めることによって、後世にメッセージを残すことが出来ると考えられたからであろう。

 そのメッセージには圧倒された。見終わって裏口へ出ると、簡単な椅子の周りにコスモスが咲いていた。この時期だから当然ここに来る前にもコスモスは沢山見ている。しかし、ここのコスモスは特別のコスモスのような気がしてならない。

 俳句としては問題もある。無言館という固有名詞を入れているだけに、無言館を知らない人にはメッセージは伝わらない。この時は吟行であり、皆同じものを見ているので、古い寺院等も多く見たにも関わらず、大抵1人1句は無言館を詠んでいた。しかも「無言館」と、そのままの名前を使って。しかし、自分としては記念になる句なので載せた。

   
歳老いし軍鶏の眼光紅椿

 これは種明かしはしない方がいいかも知れない。村上鬼城に「闘鶏の眼つぶれて飼はれけり」という句があるが、形の上では一種それに通じるところもある。ある人に季刊誌に20句、新作を出してくれと頼まれて引き受けはしたが、仲々出来ない。思い余って先生に同行して貰って、まだ行ったことのなかった横浜の三渓園に行った。入口(我々は裏口から入ったが)に日本画を中心とした美術館がある。その絵の描写であり、そう言われると「なーんだ」という人も多いと思う。だから俳句の種明かしは要注意である。

 ただその絵の軍鶏は迫力があった。子供の頃はよく軍鶏の喧嘩を見ていたので、本当の軍鶏の荒々しさも知っている。老軍鶏と謂えどもまだ眼光には強さがある。自分も老いては来ているが、何か事に当たってはこの迫力を持つことがが必要だし、また持ちたいと思う。

   
琴の音に序破急のあり冴え返る

 これも同じ日の三渓園での実景である。寒い日だったので先生には悪いことをしたが、この琴を弾いていた人たちも寒そうだった。飛騨から移設してきた農家の板敷きの広間での演奏である。その寒そうな琴の音は、時には静かに、時には激しく、まばらな聴衆の所までやってくる。能の序破急とは形式は勿論異なるが、部分部分ではそう聞こえる。

   秋深む星の大きなゴッホの絵

 ゴッホにLa nuit etoileeという絵がある。美術館でそれを見たとき、その星が異常に大きいのに先ず驚いた。でもそれが主役だからそれでいいのだろう。大きな印象を残してくれた。帰りにはその絵の複製、というより絵はがきの大きめのものを買ってきた。部屋に飾ってある。秋が深くなると、ますますその星は冴えてくる。何時の間にかこの絵の虜になったようだ。

   
分針のカチリと動く木の芽どき

 この句は別の稿で紹介した。これを評してくれた人の上手さを紹介するためだった。こんな句でも読みようによっては、凄く良い句に見えてくる。俳句の一人歩きの例である。いい方向に歩いて行ってくれたなと思っている。詳細は略する。

   
敷石の一つがゆがみ秋の雨

 雨の日、しかも秋霖と呼ばれるような、しとしとと降り続いている少し寒い雨の日には、自分が濡れるのは嫌である。ベーブメントもきちんと揃っていればそんな雨を溜めないで流してくれる。でも何でも時間が経つとひずみが出る。ちょっとゆがんだ敷石の上には、霧雨のような雨でもいつの間にか水が溜まっている。仕方なくそこをひょいと飛び越しながら歩く。飛び越している自分にも色んな「ゆがみ」は出てきているだろうに。身体の上にも心の上にも。

   
冬鴉呼び合いながら近づかず

 ある句会で、折角私の詠んだ意図を理解してくれた人が、鑑賞の意見を述べているときに、その句会の最長老の人が、「そこまで深読みすべきではない。俳句は表現されたままを鑑賞しなさい」という言葉を吐かれた。これには流石に皆異論を唱えた。作者の私としては、まだ作者を名乗る前だったので何も言えない。しかし、俳句で文字通りの解釈しか出来ないとしたら、これほど魅力の無いものはない。

 これは確かに実景ではあるが、最近の人間関係の底の浅さというものをバックに含めた積りで詠んだ。単に鴉の生態だけなら、動詞を2つ使うところまでして詠みはしない。どうしても「近づきたいけど近づくのも怖い」という矛盾、躊躇を入れたかったのでこうなってしまった。もっと上手い詠み方はあると思う。

 以下は「熊野吟行」の句の中から、第4集に入れた句を並べておく。これらも同時に現場に行かないと同じ心境は共有できないかも知れない。

   不老不死も渡海も望まず冬支度

   霧立つや川落ちるとき神となる

   遠景の船は動かず草紅葉