句あれば楽あり ?

自分の俳句から 一

至遊(しゆう)



 今までの文の中にも時には自分の句を挿入してきた。特に吟行記の欄で多く紹介したと思う。でも折角のホームページでもそれはほんの一部にとどまっている。「至遊さんの俳句ってどんなの?」と聞かれ兼ねないほど、人の俳句ばかり紹介している。そこで自分の句も少し紹介してみたい。形としては自句自解ということになる。紹介したことのある句に関しては、こんなことをするとイメージが違ってくるという人もいらっしゃるかも知れないが、別に自分の解釈を押し付ける訳ではないので、いままで通り自由に鑑賞して頂きたい。

 先ずは私のデビュー作とでもいうべき、合同句集「葦(1)」から抜粋する。平成7年の発行である。

   花冷えや五十路の妻の水仕事

 最初の句集だから、読んでくれそうな人にはできるだけ送りつけた。その被害者の一人である従妹との間で、しばらく話題にした句である。句意は読んでの通りで、桜の花は咲く時期になったが、まだ時折寒さも襲ってくる。そんな時にも主婦たる妻はせっせと水仕事をしている。もう五十路(当時)だから、この程度の寒さでも身には堪えるだろうな、という程度である。

 従妹は「『水仕事』がねぇ?」と首をかしげる。同じ女性の目には安易過ぎるらしい。「『厨ごと』ではどう?」と言ってきた。「厨ごと」の方が一家の中心としてあれこれこなしている主婦の姿が見えてくるという。しかし我が家はマンション。厨といえるほどのスペースはない。第一厨なんて言葉は全く浮かんでこなかった。でも虚の世界ではこれも通用するかも知れない。

   
若木萌ゆ眼で確かめし風の道

 風そのものは眼には見えない。それが樹木を揺らすと風が見える。ましてや若木にはまだ柔軟性があり、しかもまだ緑にはなりきっていないので、その揺れも大きく、かつ目立つ。だから風の道が見易い。当時の私にはこれは大発見であった。勿論「若木萌ゆ」で切れているから、風は若木とは着かず離れず程度の関連でいい。この句は日本で詠んだが、句会の日にはシンガポールにいて、本当は現地の句を出したかったが、常夏の国では俳句が詠めず、仕方なくFAXで投句した句である。というような思い出も私の中では生きている。

   
友見舞う言葉探して梅雨の窓

 この友達は癌だった。しかし本人には伝えられていない。でも何となく薄々感づいているらしい。見舞うとその辺のさぐりを入れてくる。だから虚しい気持になりながらも、その場逃れの嘘をつかざるを得ない。言葉だけは慎重に選びながら。つい「よく降るなぁ」なんて無難な話題に変えたくなる。もうこの友はこの世にはいない。

   
汗のシャツと今日の不満を脱ぎ捨てり

 一日仕事をしていると、何らかの不満は出てくる。周囲に対しても自分に対しても。ただ家庭には持ち込まない。だからシャツと一緒に脱ぎ捨てて終りである。幸いストレスを溜め込む性格ではないので、無事サラリーマン生活も卒業し、今は不満もあまりない。むしろ妻に溜まっているかもしれない。「葦の会」の中では「社会派」のレッテルを貼られて久しいが、この句あたりがその出発点だったかも知れない。

   
人信じ合えぬ歳月原爆忌

 毎年、8月6日・9日になると、広島・長崎の両市長からは核兵器廃絶を訴えるメッセージが流れる。しかし現実には核兵器を持つ国は増えている。アメリカのスミソニアン博物館での原爆に関する展示が大幅に縮小されてしまったり、広島での韓国人墓地の扱いが問題になったりと、平和よりも摩擦の現実が目につく。人同志の争いだったり、国家間の争いだったりするが、第二次大戦後50年を経過しても、戦争を無くしたいという一点だけでも世界標準の世論にはなりえていない。これも当然社会派。

   
二年目は二人でしのぶ友の盆

 前に掲げた癌で亡くなった友のことである。まだ若く現役部長だったので、葬儀は盛大だった。病院の屍室を出るところから、約1週間会社を休んで準備や後始末に費やした憶えがある。それというのも奥さんもともに山口の人で、こちらに身寄りがいないので、取り仕切ってくれる人が居なかったからである。結局本人も生前の意思で、今は山口の墓に眠っている。そんな訳で新盆はともかく、二年目の盆となるとすっかり訪れる人も少なくなった。この二人を故人と私の二人と取って貰うか、それとも私の別の友人と二人と取って頂くかは自由である。

   
晩秋の時間を止めし釣の人

 子供の頃はともかく、今は私は釣はやらない。だから釣り人の気持はよく分からないが、よくまああんなにじっとしていて飽きないものだと思う。気候もいい時分、隅田川とそれを横に突っ切る運河の境界線あたりで、じっと釣り糸を垂れている人がいる。こちらで見ていても時間が動いていないように感じる。多分本人にとっては、私以上に時間の観念はなくなっていることだろう。今なら「晩秋の」とはしないで、「秋深し」のようにはっきり切れを意識すると思う。

   
ひゅうと鳴る木枯らし謂れなき不安

 前に書いた従妹は木枯しが大好きだという。でも木枯しが虎落笛(もがりぶえ)を吹いて繰り返し繰り返し過ぎて行くと、布団の中などでふと奇妙な不安が頭をよぎる。具体性は何もない。これは感覚の問題であり、人に同意を求める気は全くない。

   
人間(じんかん)にまだ未練あり冬薔薇(そうび)

 小春日和のある日、他人の家の垣根から赤い、小さい冬薔薇が顔を覗かせているのに出会う。本当は花を咲かせるには厳しい季節だろうが、彼は彼なりに一生懸命に咲いているように見える。これだけ苦労しても花を咲かせる甲斐はあるもので、現に私の心は和んでいる。自分ももうひとふんばりという決意を新たにする。

   
海鳴りやテトラポットの下は冬

 伊豆高原での吟行のとき、八幡浜漁港でふとできた句である。時は11月で冬になりたての頃。ただこの日は小春日和で穏やかな日だった。ただ漁港を守る形で突き出ている防波堤には、相模湾の波が寄せてきている。小さいながらも防波堤の傍のテトラポットに当たると、一部は波しぶきとなり、また一部はテトラポットの間に泡となって吸い込まれて行く。周りは暖かいのに、そこだけには冬を感じたのである。