句あれば楽あり ?

俳句の倫理

至遊(しゆう)



 今回の文は多少難しくなることをお断りしておかねばならない。今、俳句をやらない人にはまず興味のないような議論が、俳句界の中で進行している。纏めて「倫理」と名づけたが、ここで俎板に乗った人の倫理観を云々するものではない。

 その一つは、俳句に付き物の類句・類想の類の話である。

   いきいきと死んでゐるなり水中花   櫂未知子

   いきいきと死んでをるなり兜虫    奥坂まや

 どう見てもそっくりである。前後関係から言えば櫂氏の方が先に詠み、発表している。奥坂氏はそれを承知で下の句を発表している。結果としては櫂氏が抗議を申し入れ、奥坂氏は、これは別物だとしながらも、余りにも形が似ているので自分の句を抹消するという返事で、本人同士は決着がついたものと思っている。

 常識的に言えば季語のほかは「ゐ」と「を」の違いしかなく、盗作?と思われそうだが、奥坂氏の理論では、水中花は最初から死んでいるものだから「いきいきと死んでゐる」全体が比喩であり、それに対して兜虫は「死んでをる」のは実態で、「生き生きと」はその形容だというのだ。本来生きているものに使ったのだから類句ではない、との主張をしている。と言いながらも自分の句を消したということは、表現を借りたことは認めていると考えたい。これですっきりしたと思っていた。

 そうしたら横槍が入った。仁平勝氏は、短歌には本来、本歌取りというのは1つの技法として認められている。自分が使った言葉だから、他人は使ってはならないというのは、言葉に著作権を認めるようなもので、特に短詩形である俳句にとっては非常に不自由になると指摘されている。本歌取りというと、古人の有名な短歌を一部借用して、更にその意味を広げた短歌にすることだと思っていたが、別に古人の作ではなくても、今流に言えば「パクリ」は俳句では許されるべきだというのが彼の主張である。彼は更に

   闘争に飽きて海鼠に生まれたる    正木ゆう子

   じゃんけんで負けて蛍に生まれたの  池田澄子

を比較している。この2つの句では、同じ文字は「生まれた」という4文字しかない。この2句の場合は下の池田氏の句が先に出来ている。正木氏は言葉の入替えはしているが、明らかに池田氏の句を「本歌取り」の要領で持って来ているという。これは両者で問題になった訳でもないので、作者の意見は載っていないが、池田氏の句が偶然のできごと(じゃんけんに負けるということ)で「蛍に生まれた」のに反し、正木氏の句では、自分の意志で「海鼠に生まれた」ことになっている。だから表現は借りたけれども、糾弾されるような問題ではない、との主張でありこの種の本歌取りを認める立場である。輪廻転生がじゃんけんで決まるのか、意志で決まるのか、2つの句を見ていると面白い。

   
降る雪や明治は遠くなりにけり    中村草田男

は有名な句だから、大抵の方はご存知だと思う。特に「明治は遠くなりにけり」の部分は色々なところで、成語のように使われる。ところがこの句も「降る雪や」を除けば、先に詠んだ人が居たらしい。今、手許に資料がないので明確には言えないが、何故こちらだけが生き残ったかというと、やはりこの句の方が良かった、ということに尽きるようだ。良いものが残るというのは後輩にとっては良いことかも知れない。だとすれば櫂氏と奥坂氏の句の優劣は議論されたかというと、それはなされた形跡はない。これも産業界における権利意識の変化が、文学の世界にも及んできて、早いもの勝ちになってきたのかも知れない。

 もうひとつの論争は、その池田澄子氏の

   忘れちゃえ赤紙神風草むす屍     池田澄子

という句である。これはある意味で俳句雑誌間の叩き合いの様相を呈しているが、「こんな反国家的な句を載せた編集長の真意を聞きたい」とA誌側がB誌を非難していることに始まっている。この「国家」が顔を出すと碌なことはない。第一この句に反国家性は全く感じられない。確かに歴史は忘れてはならない。しかしあの時代は、忘れたいことの山であった。そして今になれば事実日常は皆忘れている。それを終戦日や広島、長崎への原爆投下の日には嫌でも思い出してしまう。特に俳句を詠む人には「終戦日」や「原爆忌」が季語になっているだけに、他の人より確実に意識することになる。

 百歩譲って、池田氏がその繰り返される記憶の呼び戻しに飽き飽きして詠んだとしても、それは自由の範囲に収まるであろう。なぜか俳句界には「思想性」を忌み嫌う説が横行している。短いながらも作品であるなら、そこに作者の思想が入っているのはごく自然なことで、そこから眼を逸らそうとする人たちに、かえって自分たちの無力さや保身へのこだわりを、思想を持った俳句を攻撃することで正当化しているように感じる。今のところこれに対する反論は、これは単なるレトリックであるという程度しか出て来ていない。

 言論統制の厳しかった戦中の、俳句にまつわる多くの逮捕劇の翳をまだ引きずって、避けて通ろうとしているのかも知れない。しかしその時代に戻さないことを先ず我々(俳人に限らず)は考えなければならない筈である。