句あれば楽あり ?

吟行句会の楽しみ 五

至遊(しゆう)



 平成11年には春を少しずらして6月になってから、平泉を見たあと花巻に一泊し、その後十和田湖へという長距離の旅になりました。

 出発した6月4日は小雨。先ず平泉に着くと、すぐわんこ蕎麦で昼食。とは言っても、次々に蕎麦を投げ込んでくれるタイプではなく、最初から20個ばかりの椀に少しずつの蕎麦が入っていて、マイペースで食べるもの。駅前食堂では仕方ないですかね。

 次いで中尊寺へ。金色堂を始め讃衡蔵、不動堂、本堂などをゆっくり眺めました。雨も藤原三代の栄華と破滅を思うとき、一層の情緒を添えてくれているようでした。

   兵ものの夢の跡さきひめじょおん 真樹

   地獄図の閻魔の嗤ひ木下闇    尚草

   芍薬に雨の重さや中尊寺     至遊

   旧屋や紫蘭は秘めた恋の色    至遊

 私の二つの句は本堂で詠んだものです。旧屋とは何ですかと言われる方もいらっしゃるかも知れませんが、茅葺屋根の本堂らしくない建物です。小さな紫蘭を見つけた時には、その鮮やかな色合いが何故かすぐ恋を連想させました。今でも何故か分りません。

 毛越寺へと降りて来ました。寺伝では西暦850年に慈覚大師が建立し、嘉祥寺と号したのが起こりと書かれています。堂塔伽藍は焼失したままになっていますが、池の周囲に大きな遺構として残っています。鐘楼跡の近くで、かえでの実を見つけました。見つけたというほど大げさなものではなく、いつも見ているのですが、葉の陰に隠れるようにしている赤いものを、それまでは花だと思っていたのです。確かによく見ると小さなブーメランのような形をしていて、どう見ても花ではなく、実です。

   詠みこめぬままに遺構の半夏生  申牛

   伽藍址木の洞穴に青がえる    青嵐

   十和田湖の円錐空間かえでの実  邊邊

最後の邊邊さんの句は十和田湖の句になっていますが、かえでの実はここで教えられ、改めて次の日の十和田湖でも見たもので、原点は毛越寺です。毛越寺から平泉へは歩いて行きましたが、その街並みの整備されているのには感心しました。郵便局もレストランも同じ色調です。

 この日は花巻温泉の国民宿舎泊り。辺鄙なところにあるので静かで、混んでもいないだろうと思っていたら、市役所の団体客が入って結構な混雑でした。特に女性として1人だけだった先生が、エレベーター脇の小さな部屋を与えられ、多分眠れなかったのではないかと思います。ここでの句会は、5月の月例句会のため、ここでは省略します。

 翌日は、盛岡まで行って、バスで十和田湖へ向かいました。長いバスの旅でしたが、いきなり高台から十和田湖の全景が眼下に広がった時には、我々だけでなく乗客全体が喚声を上げました。

   万緑や十和田いきなり眼の下に  至遊

見たまんまということで余り評判は良くない句でした。

 私たちは知らなかったのですが、雨が続いていたため奥入瀬添いの道路を始め、道路の閉鎖が相次いで、十和田湖は孤立状態にあったらしいのです。そのため、修学旅行客が全部キャンセルになり、十和田湖としては大騒ぎの中でした。幸い一部開通した道を何も知らずに通って来たのです。宿舎は休屋にある桂月亭。実はここの若女将が、月に一度わざわざ東京の我々の勉強会の中の、料理教室に通って来ている関係で、吟行会には珍しく豪華和風旅館に泊ることになったのです。それも本来なら混んでいて、別館を使わざるを得ないところを、修学旅行キャンセル事件で、本館を広々と使えることになりました。

   休屋とはこの土地の字橡の花   三周

さすがに経験豊富な三周さんは、立派な挨拶句を詠みました。

 荷物を置いて先ず十和田湖遊覧の船に乗り、残った時間、湖畔を散策しました。高村光太郎の乙女の像も欠かせないものですが、十和田神社周辺には十和田湖の説明や、大町桂月との関係等の説明があって、より興味のあるものがありした。

 宿に戻って、まだ明るいうちから句会。そのために若女将はわざわざ一番見晴らしのいい、立派な広間を用意して呉れました。今まで挙げなかった句をいくつかご紹介しておきます。

   みかえりの松みかえれば万緑や  真樹

 見返りの松とは、十和田湖の中に突き出た二つの半島のうちの一つの先端に生えている松の木に付けられた名前です。

   山藤のさびしかるらんカルデラ湖 真樹

   安山岩の柱状節理橡の花     愚童

   たくましき湖畔の乙女蝉生まる  三周

 句会が終わればあとは遊ぶだけ。食事の席で仲居さんに次々に飛ぶ質問。上手くそれは若女将にと言って、若女将を加えての宴会になりました。その後は、宿のねぶたの前でハネトの稽古をさせられました。思ったより体力が要るものでした。無事免状を貰いました。ユーモアたっぷりに司会役を務めてくれた人がここの若主人でした。

 翌日はバスがまだ通らない奥入瀬渓谷沿いの道をしばらく下り、そして戻って来ました。国立公園になるとはこういうことかと始めて感じたのは、倒れて朽ちた木もそのまま放置されているのを見たときです。

 青森へ出る予定だったので、宿の若夫婦が車で八甲田越えで送ってくれることになりました。途中、十和田のビスタポイントとでもいうべき、景色のいいところに登ってみたり、水芭蕉の群生地を見たりしながら、時刻に合わせてゆっくり行っていた積りでした。

 最後の高台で青森市をバックに写真を撮っているとき、誰かが「1時間間違えていない?」と言いました。あわてて指定券の時刻を見ると、確かに若夫婦には1時間遅い時間を言ってしまっていました。それからは違反にならない範囲で急いで急いで、それでタッチの差でアウトでした。しかしよく見ると、次の特急がすぐ来ることになっていて、それで行っても、盛岡では同じ新幹線に乗れることが判明。若夫婦にお礼を行って、駅近辺をぶらぶらする時間もありました。列車も無事座れたので、何の支障もなく帰って来たというお粗末でした。