句あれば楽あり ?

吟行句会の楽しみ

至遊(しゆう)



 俳句は楽しむものだというのが、私の信条です。俳句に限らず、連歌等の詩作の遊びは、「座の文学」と呼ばれ、連衆と呼ぶ仲間が集まって意見を言い合い、評価をし合うものです。その会話の中に楽しさが詰まっています。それはかなりの好奇心を満たしてくれるものです。句会の中でも通常の句会と、吟行句会では多少趣が異なります。先ず吟行句会の方からご案内しましょう。

 吟行句会とは連衆がどこかへ一緒に旅行し、同じ環境の中で句を詠み合うものです。旅行+句会とセットになったものと考えて頂ければいいでしょう。たいてい他人の博学ぶりに驚かされます。ということは自分も自然に勉強していることになります。

 前に書いた「熊野吟行」も「葦の会」という、会の吟行会でした。これは、人数はともかく日程的には贅沢なもので、この会ではこのような大型吟行会と、日帰りや1泊の小型のものを、年に各1回やることにしています。例えば大型は京都、平泉→十和田、出雲崎→二本松、鬼押出し→吾妻渓谷、山形等で、小型は奥多摩、鎌倉、栃木市、別所温泉、八ケ岳等があります。

 すべて印象深いものでしたが、記録にある範囲内で紹介してみましょう。先ず小さな吟行ですが、駒場公園での句会です。時期は5月末。実は元前田公爵邸が見ごたえがあると聞いて、その1ヶ月前に訪ねたのです。その時は花水木がきれいに咲いていました。ところが1ヶ月経つともう花水木も青葉に変わっており、その時の観察は全く役に立ちませんでした。

   えごの花私小説めく径があり    真樹

   万緑の獏がさらった夢の数     真樹

 さすが先生はきれいに纏められました。帰りの道で「吟行では余計に差が出ますね」と言ったら「場数を踏んでますからね」と言われました。短時間で纏め上げるにはやはり要領も必要なんでしょう。私のその時の句は

   去年までは心にとめず楠落葉    至遊

   絵絣のかすれた紺に初夏を見る   至遊

   公園を巡る歩幅や花卯木      至遊

というようなものでした。従妹に後で見せたら、2句と3句を合わせて

   絵絣のかすれた紺や花卯木

と変えて来ました。民芸館が傍にあるので絣の句になったのですが、確かにこの方がいいかも知れません。この時文学館も見ましたが、先生が

   宇野千代の死なないという揚羽蝶  真樹

という句を詠まれました。「私は死なない」という宇野千代の揮毫があったからですが、皮肉なことに宇野千代の訃報がまもなく届きました。

 その秋には八ケ岳の石田画伯の山荘に伺いました。実は石田さんを訪ねるのは2回目で、最初に来たときに「とらのお」という草花の名前を教えて貰いました。どこにでもある草花ですが、竹製の一輪挿しを玄関脇に掛け、そこに「とらのお」が無造作に挿してあったのです。

   とらのおの一輪挿しに迎えられ  至遊

 こんな形で詠むのを、挨拶句と言います。一寸気の効いたプレゼントになります。芭蕉も挨拶句を沢山詠んでいますが、誰かを訪ねたりするとき、こんな句を1句捧げると喜ばれます。

   高原の空気の固き朝の萩     至遊

 9月の朝の高原の空気は冷えていて、固いとさえ感じたのです。何とかその雰囲気を詠めないかと思ったのですが消化不良でした。この句は先生に直して貰った後の形です。最初は

   高原の空気の固さ秋の朝     至遊

でした。これでは空気、秋、朝と眼に見えるものは何もないというのが問題でした。そこで先生が萩を持って来られたのです。高原のこととて、実際にはその頃には萩は散り尽くしていましたので、これもフィクションです。

   隣家からきのこ汁くる別荘地   至遊

 着いた日に1つのチームがバーベキューの材料仕入れに行っている間に、残った者で茸狩をしました。一応どんなものが食べられるかを聞いた上で。そして隣(と言っても100m位離れていますが)の冒険家と呼ばれている人に見て貰ったら、殆んど駄目。親切にその方が少し分けて呉れました。そして翌朝、朝食の頃になると今度は冒険家がきのこ汁を届けてくれたのです。こんなストーリーは行った人にしか分らないので、仲間内だけに分る句としか言えないでしょうが。

   落葉松の垂直世界秋の声     尚草

   コスモスに幽さのひそむ永と劫  真樹

   バス停の標識の錆月見草     至遊

等が印象に残っている句です。

 この時薊が沢山咲いていました。そこで薊の句も詠みました。皆同じ情景を見ているので不思議に思わなかったのですが、実は薊は春の季語でした。この時期なら秋薊と言えばいいそうです。

 次回は山形の旅からご紹介します。この辺で。