句あれば楽あり ?

冬の飛騨高山

至遊(しゆう)


 何故こんな寒い時に飛騨高山か、と言われれば説明に苦労する。発端が9・11事件がからんでいるからで、ニューヨークでのテロから説明していくのはしんどい。で、そこは無視して、ともかく2001年12/31から2002年1/2まで高山に居た。

 下呂あたりまでは何ともなかったが、そこから奥へ入ると山に雪が積っていた。このあたりから川辺に竹林が目立ち始める。竹林は殆んど雪を留めないので、雪景色の中では目立つ。空気の奇麗なところにしか竹は育たないというから空気は奇麗なのだろう。

   
竹林の増えて飛騨路の冬に入る   至遊

 日本は狭いので、一寸した盆地があると屋根が密集している。勿論田畑もあるが、異常に家々がくっついている感じがする。日本の象徴のようでもあり、また自分の生活を振り返っても、何と余裕のない生活だったのだろうと思う。

   
くすむ屋根に埋まる盆地大晦日   至遊

 田畑は今は枯野である。山には常緑樹が多いが、盆地の間は枯れ色一色である。俳句を始めるまでは、枯野なんかには全く眼もくれなかった。大晦日だから遠くで大掃除でもした後の焚火の煙か何かだろうがゆったりと昇っている。季節に置き換えれば私の歳も玄冬である。枯野が続いた方がいいような悪いような、いずれ涯が来る。

   
枯野続く涯に煙や昏れなずむ    至遊

 下呂より下流だったが、平地に低い山が3つほど並んでいる。甲乙つけ難い程度の高さで、低さを競っているかのようである。何と馬鹿な争いと人の目には映る。

   
冬晴れや同じ高さの山並ぶ     至遊

 確かに天気は悪くはない。ただずっと遠くの空が一番きれいなコバルト色に輝いている。「遠景」という言葉を過去何度か句会に出す句で使ったらしく、先生には「これは至遊さんの句だとすぐ分る」と言われてしまったことがある。ただもう一度使う。いつも人生の中で先に希望だけは持っていたと思う。ただそれは絶対に達成されない、このコバルトの空のように遠かった。
   
冬の旅遠景だけがいつも晴れ    至遊

 高山に着く。取り敢えずはチェックインとタクシーで乗り付けたら、もう出るのは億劫になる。いつもの通りレコ大や紅白を見て、風呂を浴びて寝る。除夜の鐘も聞かずに。

 翌日は勿論2002年。ただしホテルの朝食がバイキングと来ては、いくら従業員が晴れ着で着飾っても正月独特の淑気は感じない。第一屠蘇がない。朝食を終えると近くの神社にお参りに行こうと外へ出る。雪が固まっていて危ないのでゆっくり歩く。特に妻は怖がりなので、極端に遅い。ようやく日枝神社まで辿りつく。本殿への階段を登ろうとしたら、急に笛の音がした。今まで松の木の下でたむろしていたお兄さん達が立ち上がって何やら準備を始める。奉納の獅子舞だった。そこで立止って見物することにする。今の眼で見ると面白くも何ともない。しかしこれが伝統であり、それを黙々とこなしている若者は偉いと思った。

   
舞い終えて獅子から茶髪の男でる  至遊

 そこから駅まで歩いて、次に「飛騨の里」へバスで行く。その頃から雪が降り始め、娘も入れて3人連れなのに、娘は要らないというので、2本のビニール傘を買って、園内に入った。入ってみたらそこには無料の貸し傘と貸し靴がある。「飛騨の里」には国の指定文化財や県の文化財になっている古い家並みが集められているところである。雪の中を久しぶりの長靴で歩く。各々の家の中は寒い。だが貴重な生活の遺産である。娘がぽつりと「雪の中でこんなのが見られて良かった」と言う。確かに雪は不便だが、情緒ももたらしてくれる。それを一番若い娘が口にするところが嬉しかった。

   
いにしえを雪に隠して飛騨の里   至遊

 園の真中に池がある。寒いので氷が張っている。その氷の上に一羽の白鳥が乗っかっている。池に入りたいのに入れないのか、それともそこに居たいから居るのか私には分からない。遠くで百人一首を読む声が聞こえる。それ以外は人は結構居るのに、物音ひとつ感じない。

   
薄氷の池に佇つ鳥四方静黙     至遊

 その後は昼食を済ませたあと、飛騨高山美術館に行った。先日上諏訪で見たばかりのガレの作品が多く展示してあるという。建物は立派なものだった。ただ展示物は北沢美術館の方が良かった。それでも広いだけに喫茶室、お土産コーナーと十分取ってある。雪の中をこれ以上動き回るのを諦めて、ゆっくり見て回る。福袋にかなり食指が動いたが止めた。次のバスの時間まで間があるので、喫茶室では本当にのんびり出来た。
 バスで駅まで戻って来ると、やはりそこは女。雪の中でも買い物をしたくなるらしい。数軒の目ぼしいところを回り、一応の物は買ってホテルへ戻る。

 翌日は早くも帰る日。チェックアウトを済ませホテルのマイクロバスで駅へ行くと、駅はごった返している。昨日指定席を取っておいたからいいようなものの、この列車には自由席は1輌しかない。ようやく車中の人になりほっとする。雪は急に強く降り始めていた。ただ風が無いので余り寒さを感じなかった。まだ発車前の列車の窓から見ていると、雪は真っ直ぐに降っている。しかも景色に網をかけたように美しい光景である。一旦列車が動き出すと、雪は斜めになり最後は横に降るようになった。

   
単線の列車に雪は横に降る     至遊

 これはどうも上手く表せない。列車が動けば雪は横に降るというのは散文ならいい。しかし韻文の1ジャンルである俳句で因果関係を説明しても仕方が無い。ただこれだと、強い横殴りの風が吹いていると取る人も出るだろう。景色は次第に白くなってくる。

   
降る雪が墨絵を描く峡の村     至遊

 檜の枝に乗っている雪、小枝の先まで乗っている雪、そして地面を覆っていく雪。真白ではない常緑樹の山をこうしか表現出来なかった。

 名古屋に着いたら風が冷たかった。これでは飛騨より寒いと言っていた。早めに自宅に着いて早々に床につく。翌日起きて見たらテレビは中京地区の大雪を伝えている。一歩遅ければ大混乱だったかも知れない。まぁ今年はついているということにするか。


040222