句あれば楽あり ?

竹寺吟行の記

至遊(しゆう)



 多分船橋での句会の時だったと思う。青嵐さんがぽつりと「竹寺へ行きませんか」と真樹先生に言われた。「いいですね。一度行って見たいですね」というのが先生の返事。それっきりしばらくはこのことは忘れていた。だけど山好きの青嵐さんは計画の具体化を進めていたのだ。

 ある日、青嵐さんから竹寺吟行の計画案なるものが、私の許にMailで送られて来た。先生は勿論、仲良しの夏子さんも計画に入っている。ただ青嵐さん以外は全員山については素人である。そこで私に、龍雨さんも誘って欲しいと言ってきた。

 計画を見ると、池袋発7時18分となっている。ということは逆算すると、自宅は5時台に出なければならない。低血圧で睡眠が1日の体調を極端に左右する私にとっては、無理なスケジュールである。そこで、同じく朝に弱い先生とも相談してつい、「もう1時間位遅くなりませんか?」と申し出てしまった。「では1時間遅らせましょう」と言われると、もう参加決定になってしまった。龍雨さんもそれでOKしてきた。

 それでもまだ先のことと、余り気にも留めないでいた。そうしたら今度は、ルートの詳細な地図を渡された。それが19日のことである。22日頃になると、一寸心配になって、青嵐さんの計画案を見直してみた。最後に注意書きがある。衣類は重ね着が出来るように用意して来ること、水は最低1リットル、昼食のほかに非常食を持ってくること、等々と書いてある。一寸慌てて地図を見た。ルートに蛍光ペンで色を塗ってみる。約3時間強の行程だ。それでも勾配の程度などは、その地図からは読めない。標高600メートル級の山の側を通ることだけは解った。

 23日に職場の山好きに聞いてみた。「関東ふれあいの道」とそのルートには入っている。本人は行ったことはないが、こんな名前の付いている道ならなんてことないでしょう、というのが答えだった。一応安心して、先生に、待ち合わせの時間を決めようと電話をかけた。そして先生の方がもっとのんびりされていることを知った。

 竹寺では予約をしておけば、精進料理を出してくれるという。「お昼はそこでしょう?」という認識。それが楽しみだったという。その時になって青嵐さんの注意書きを初めて見られたようだ。そして夏子さんにも連絡と、この素人集団は前日にどたばたしていた。

 3月24日(土)晴れ。気温は平年よりやや高め。近くのコンビニで弁当や水、非常食代わりのカロリーメイトとチョコレートを買い込んで、7時に小岩駅へ。先生はもう改札を入って待っておられた。予定通り20分程度早めに池袋に着く。西武池袋駅が2階建てになったことはニュースで知っていたが、案の定青嵐さんとは違うフロアでお互いを待っていた。こんな時携帯が役に立つ。龍雨さんとは現地吾野駅での待ち合わせなので、これで全員が揃った。

 電車はがらがらである。私にとっては少し懐かしい所沢を通って一路吾野へ。その日がプロ野球パ・リーグの開幕で、西武球場で西武−ロッテ戦があり、松坂と黒木が先発ということだったが、ファンは我々より早い列車で球場へ向ったと聞いた。そんなに早くご苦労なことである。

 吾野駅で龍雨さんと落ち合い、暫くは平坦な道を行く。諏訪神社に立ち寄ったあと、時々車の通る程度の道をゆっくり歩く。鶺鴒が居たり山茱萸の花を見つけたり、犬ふぐりの群生地に立ち止ったりで楽しいが、道は仲々はかどらない。ここらはまだ梅が盛りだ。秩父事件で襲われたという家が残されていた。側にいたおじさんが、とつとつと説明をしてくれる。矢継ぎ早の質問に、とつとつなので、話も仲々終わらない。

 滝不動を過ぎてからやっと山道らしくなる。最初の目的地の子の権現までは胸突き八丁。山道としては約1.8kmなのに、途中で1回休みを入れて、子の権現にたどり着く。先着の子供のグループが居て、結構うるさい。トレードマークになっている大草履や大きな夫婦下駄が飾ってある。

 もう12時を回っていたが、この埃っぽい中では昼食を取る気にもなれず、竹寺への途中の何処かでということにして出発する。尾根伝いの道が多いが、少し拡がったところでは、大抵もう誰かがお弁当を広げていたり、休んでいたりする。しばらく行くと、急に眼前が開けた。奥武蔵の山々が広く見渡せる。周りは檜の植林地だが、そこは丁度切り出した後で、その跡に小さい苗を植えてある。

 その見晴らしのいい場所に、いくつかのテーブルにも椅子にもなる切り株を見つけ、そこが少し広くなっていることもあって、昼食とする。青嵐さんが持ってきた林檎が意外に美味しい。

 腹ごしらえを済ますと、また出発。竹寺までの道は登りも下りも結構急だが、左に見えていた水のない谷が、いつの間にかずっと低くなっている。そして武蔵野33札所(32は子の権現)にも当たる竹寺に到着。いきなり眼に入ったのが、焼け跡。周囲の檜の木の肌も黒焦げになっている。1本だけ真っ黒になった燃え滓のような木にトーテンポールのような彫刻が施してある。

 本殿があったらしい跡に行って見ると「祝融」で焼けたと書いてある。檀家を持たない寺なので、再建のために皆様のご浄財をとも書いてある。お参りをした後に萱葺きの社殿に行って聞いてみたが、「祝融」の意味は判らない(後で広辞苑で見たら単に「火事」とあった)。トーテンポールの木だけは、雷が原因らしい。いくらかの寄付をして少し休む。馴れ馴れしいのかそうでないのか中途半端な犬が近くをうろついている。寄付のお礼にと貰った煎餅を割ってやると食べてすぐ離れる。

 我々は裏から入ってきた形になったが、竹寺というだけあって、前方にはすばらしい孟宗竹の林がある。中に入ると、風に吹かれて葉の触れ合う音と同時に、竹同士もどこかで擦れ合っているようで、ギーに近い音も混じる。だけど中に入ると陽が当たらない上に、風は通るので結構寒い。汗ばんでいるので余計に冷えを感じる。そこで早々に引き上げる。

 ここから小殿まではほぼ一方的に下りだ。朝9時半から午後3時まで掛けて登って来たところを40分程度で駆け下りる急な下りである。結構膝に来る。それに雨で道が洗われるらしく、表面は小さな石ころだらけである。その上に体重を預けるとつるりと行ってしまう。用心しながら降りた。下りとはいえ、ここが一番の難所だったかも知れない。結局通算約6時間歩いたことになる。

 竹寺で確認しておいたバスの時刻には十分間に合った。バスを待つ間に、青嵐さんの指導で整理運動をする。お陰で翌日も体が痛むところがなかった。バスで飯能駅まで向かう。窓の外にもやたらと白梅が目立つ。その中に辛夷や白木蓮が混じると、同じ白でも華やかさが違い、もっと鑑賞していたくなる。

 駅からはタクシーで櫟庵という蕎麦屋へ向う。ここが句会の場所だ。駅前の交番では、有名だから運転手なら皆分ると言っていたが、我々を乗せた運転手はおぼろげにしか知らなかった。電話で確認しながら到着。入り口は車は入れない狭い道なので手前で降りる。

 その細い道へ1歩踏み出したら、土の感触ではない。よく見ると木っ端が敷き詰めてある。まだ新しい木のようで、香りもする。名栗川の近くまでその木屑を敷き詰めた道を降りて行く。そこに古めかしい蕎麦屋があった。
 歩いた後なのでビールを先ず注文する。普段ビールを余り飲まない夏子さんまでも、クーッツという声を出して飲む。ここは客ももう余り居なかったせいもあるが、サービス満点だった。句会をやるからと断って、蕎麦は注文はしたが、持って来るのは句会が終わってからにしてくれと言っても、愛想良くOKして呉れる。手持ちのもので余ったものを食べてもいいと言う。非常食はここで消える。
 句会は、ゆっくり詠む暇もなかったろうということで、1人3句とする。合計たった15句だから簡単に済む。最高点は3点句(15句中5句取るので甘いが)で

   山茱萸咲く秩父事件の爪のあと  真樹

   稜線の幾重に霞にぎり飯     夏子

   山路来て地蔵の前の猫柳     至遊

 私の句は当初「山路半ば」だった。「山路きて何やらゆかし菫草」という芭蕉の句と出だしが同じになるので避けたのだが、先生は情景が全く違うので問題ないと言って下さった。

 2点句には

   春山の端少し借り余儀なきこと  真樹

   竹寺の風の竹音藷葛菜      夏子

   きぶし垂る山路しんがりに山男  夏子

   山茱萸の花落人のうたごころ   至遊

   みつまたの花の薄命竹の寺    至遊

   子の権現子等の叫声春の昼    青嵐

 やはり真樹、夏子のご両名は一日の長がある。龍雨さんもここには出なかったが、全句1点は入った。何とか句会まで終え、次々に別れて行って、最後に先生と私だけになった時、先生の顔が疲れた人の顔になっている。やはり今日のコースはいきなりの素人には一寸きつかったかなと思う。それでも青嵐さんは次の計画を立てているらしい。



Webmaster註
山茱萸(さんしゅゆ)ミズキ科。高さ5〜15メートルになる落葉高木*。3〜4月頃葉が出る前に黄色の小花が散形花序をなして多数咲く。10月に長楕円形長さ約1.5センチの液果が赤く熟して垂れ下がる。別名ハルコガネバナ(春に咲く花が黄金色だから)、アキサンゴ(実が珊瑚のように紅いから)、ヤマグミ(同)。(*広辞苑では「落葉小高木」「高さ約3メートル」とある。)