句あれば楽あり ?

蕪村と土器

至遊(しゆう)



 吟行編は資料をひっくり返しながらなので、時間が無いとなかなか纏まりません。そこで繋ぎに別の話題を1題。

 先日江戸東京博物館に蕪村展を見に行きました。妻と2人でした。いわゆる文人画(南画)が大きなスペースを占めていましたが、私が一番興味があったのは「奥の細道」を筆写して、そこに自分の絵を入れた小さな屏風です。同じ趣向のものが2点ありました。妻も絵と書には興味がありますが、俳諧には興味は示しません。

 だから2人の歩くスピードが俳句関係の資料が多くなると、極端に違ってきました。どんどん妻が先に行ってしまうのです。やはり気になりますから、もっとじっくりと見たかったのに、約1時間で出て来てしまいました。今でも残念に思っています。やはりこんな展示物を見る時には、同好の相手を選ぶべきですね。

 同じようなことが、上野の国立博物館での土器展でも起こりました。一緒に行った人が、あまりゆっくり見ていると、体力が持たないと言って、常に私より先に行き、どこか座るところがあると、そこで待っているのです。本来、その人が私を誘ったのですが、ここでもペースが合いませんでした。この展示会は縄文・弥生の器、土偶、その他当時の多分祭礼用でしょうが、多くの装飾品(土器には違いありませんが)がありました。前に火焔土器を俳句にしたことはありますが、ここでもいくつかネタを仕込んできました。

   縄文の土偶も座る寒戻り   至遊

 実際、土偶は立っているものばかりではないんですね。今ごろ気づくなんて遅いかも知れませんが。

   春寒し縄文土偶の叫び声   至遊

 例のムンクの「叫び」と同じような顔をした土偶がありました。何だ、日本ではこんなデフォルメは紀元前数千年からあったのだ、と変なところで胸を張りました。もっとも作者にしたら失敗作だったかも知れませんが。

   異文化を縄文土器に見る黄砂 至遊

 縄文土器は装飾がごてごてしているのに対し、弥生式土器の何とそっけないこと。そうは言っても、西日本から東に渡って来るに従って、文様も複雑にはなって来ますが、佐賀出身の私としては、縄文土器は見るには面白いが、自分の文化ではないなという気が一瞬脳裏をかすめました。九谷焼より有田焼を好むのと似た心境かも知れません。

 蕪村展では俳句は全く浮かばなかったのに、この古代の土器展では、例えば博物館の入り口にあった柳の芽まで句になるのが不思議でした。多分蕪村には熱中し過ぎたのでしょう。後で何か浮かんで来るといいんですが。

 蕪村展に合わせるように(多分本当に合わせたのでしょう)、「蕪村」という新書が出ました。元々蕪村は好きですが、ここには今まで私の知らなかった蕪村が沢山紹介してありました。まだ現在読書中ですから多くは言えませんが、皆さんご存知の

   菜の花や月は東に日は西に   蕪村

の句に、下敷きとなる元歌があったり、菜の花がどこにでも見られる光景となるには、経済的及び技術的なバックグラウンドがあったり(だから短歌の世界では詠まれなかった)と、思いも寄らない方面からの解説もありました。たった17文字にこれだけの大景を入れたことに関する感嘆は変わりませんが。

 昔から好きだった

   お手討ちの夫婦なりしを更衣  蕪村

をストーリー俳句の代表句として挙げられていたのには満足しました。ただ著者は「若い夫婦」と書いていましたが、私の最初の印象は、もう夫婦となって何年も経ち、落ち着いた年代でした。別にどう感じてもいいんですが、皆さんも夫々にこの句から、小説のようなストーリーを組み立てることが出来ると思います。藤沢周平か、最近では宮部みゆきばりの。

 最初に書いた蕪村展には多分なかったと思いますが、この本には漫才や相撲の絵に数点の俳句(当時は俳句と言う言葉はなかったが)を入れたものが記載されています。俳画のはしりでしょうが、ユーモアの中にも良く写生されていて、細かいところにも気を配られています。例えば相撲では行司の足の運びまで。

 子規が蕪村を「再発見」して、しかもその写生を高く評価したということはよく言われていることです。その写生面が強調され過ぎたのが、虚子を中心としたホトトギスだったかも知れません。でも、蕪村は単なる写生ではありません。本人がそのことを書に残しているので間違いありません。例えば、上の「お手討ちの」の句にしても、そのバックにある深い「情」を表現したかった筈です。

 以上閑話休題でした。