句あれば楽あり ?

坪内稔典を読む (一)

至遊(しゆう)


 まぁ我々凡人からみると分らない人である。堂々たる俳論を読むと、もうこの世界の大家の風格だが、何と私より六つも若い。稔典は(としのり)と読むが、ネンテンさんでも十分通用する。その桁外れの俳句をいくつか先ず紹介すると、有名な句に

   たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ

がある。「ぽぽのあたり」がどの辺かは想像するしかない。「たん」と来て「ぽぽ」だから下の方なのか、蒲公英の「花」の下の方、すなわち首のあたりなのか、それは議論しても始まらない。一生懸命考えて詠んだ句か、ぱっとできた句なのかも知らないが、できたら遊びで詠んだ句であって欲しい。

 「ぽぽ」は勿論火の燃える音の擬音でもある。そうなると「たんぽぽ」そのものが実物というより、言葉だけのものになってしまう。この「たんぽぽ」を「蒲公英」と漢字で書いたら、何の面白みもなくなってしまうのである。結構この句は有名で知っている人が多いが

   たんぽぽのぽぽのその後は知りません

という句を(多分後で)詠むところまでくると、遊び心の典型だろう。俳句は元々は遊び心が旺盛だった。だから今でもこんな句に出会うとほっとすることがある。多分色んな人から最初の句で質問が行ったことであろう。それへの返歌みたいなものである。

 坪内稔典には他にもシリーズで遊んでいる句がある。甘納豆である。

   一月の甘納豆はやせてます

   二月には甘納豆と坂下る

   三月の甘納豆のうふふふふ

   四月には死んだまねする甘納豆

   五月来て困ってしまう甘納豆

   甘納豆六月ごろにはごろついて

   腰を病む甘納豆も七月も

   八月の嘘と親しむ甘納豆

   ほろほろと生きる九月の甘納豆

   十月の男女はみんな甘納豆

   河馬を呼ぶ十一月の甘納豆

   十二月をどうするどうする甘納豆

 ここまで来ると無理矢理に詠んだとしか思えない。もっとも私なども期限に追われて大てい無理矢理詠んではいるが、ここまで遊んではいない、というか遊べない。一月から十二月まで追ってくると、時には人生を感じさせるような感覚もある。でも十二月を「どうするどうする」と言われると江戸時代の年末の掛取りのようで、年が越せるの越せないのという落語めいた世界に引きずられ、そうするとやっぱり一生ではなく一年かなと思う。

 その中で圧倒的に有名なのが三月である。暖かくなってきて思わず頬が緩んできたという感じか。思わず「うふふふふ」と含み笑いが出てしまうような気候である。これだけが有名なので、こうして通しで見ることは仲々ない。でもこれは同時に発表されたものの筈で、句集でもきちんと並んでいる。甘納豆を女の一生と読めば、十月・十一月以外は何となく分りそうな句になっている。

 何故十一月に河馬が出てくるのかと思っていたら、どうもこの人は河馬が好きらしい。句集の中に河馬がやたらと出てくる。

   正面に河馬の尻あり冬日和

   ぶつかって離れて河馬の十二月

   秋の夜の鞄は河馬になったまま

など数えればキリがない。「かばん」が「かば」になったまま、というのは「ん」が足りない、すなわち未完成なのか、それとも膨らんだまま置かれているのか、この辺にくると河馬には飽きてくる。

 ではこんな句ばかり詠んでいる人かというとそうではない。

   N夫人ふわりと夏の脚を組む

などは「ふわりと」なんてオノマトペを使ってあるから、どちらかというと気の利いた軽さを出していて、中間に位置しているかも知れないが、

   法隆寺までの緑雨を大股に

   夢殿を出てから一人青嵐

なんていう句もちゃんと詠んでいる。どんな順序で紹介しようか。「どうするどうする」というところで、一拍置いて次回とする。




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041018