句あれば楽あり ?

トルストイと楸邨

至遊(しゆう)



 この5月に、聖路加病院理事長の日野原氏の「命みつめて」という本が、岩波現代文庫に入りました。何と言っても1911年生まれの氏の精力的な活動には敬畏の念を抱いていたので、早速読み始めました。最初の章にトルストイの「懺悔」という寓話が紹介されています。

 ご存知の方も多いかと思いますが、1日で歩いただけの土地を千ルーブルで買えると聞いて、主人公は張り切って歩き始めます。ただし歩き始めた地点に日の入りまでに戻ることが条件です。少し欲張ったので、最後は持ち物も着ているものさえも捨てて、必死で走ります。そして日の入りと同時に出発点に到着します。しかし同時に主人公はこと切れてしまいます。

 土地の人は彼を懇ろに葬ります。結局彼が得た土地は、彼の身長分だけだったという話です。この寓話を読んでいて、すぐに楸邨の句が頭に浮かびました。以前、私の好きな句で紹介した

   死や霜の六尺の土あれば足る   楸邨

という句です。楸邨がこのトルストイの寓話を念頭に置いてこの句を詠んだかどうかは知りません。どちらにしても、この楸邨の句の価値は変わりませんが、この2つの作品を並べてみるとき、相互に作用し合って、より深く私たちの印象に残るという気がします。

 日野原氏のご指摘のように人は自分の生と死については知りえません。「懺悔」の主人公も、死を意識していた訳ではありません。ただそれを書いたトルストイには、人生の限界に対する諦観のようなものがあった筈です。これは楸邨の句にはストレートに現れています。一緒に紹介した

   冬鴎生に家なし死に墓なし    楸邨

はその六尺の土さえも、自分のものでは無いと否定しているのかも知れません。

 加藤楸邨は最初からこんな句ばかり詠んでいた訳ではありません。元々が水原秋櫻子の弟子ですから、最初は美しい句を詠んでいました。

   かなしめば鵙金色の日を負い来  楸邨

   冬の鷺歩むに光したがへり    楸邨

等です。それが上京とともに句風が変わったと言われています。

   学問の黄昏さむくものをいはず  楸邨

と、美しさとは対局にあるような句を詠み始めたのです。この句はよく

   学問のきびしさに堪へ炭をつぐ  誓子

と較べられます。技巧的には誓子の句の方が上と言えるでしょう。「ものをいはず」と言ってしまうよりも、「炭をつぐ」という客観動作に表現を託した方が、より多くの連想を生みます。しかし楸邨のそんなところに、骨太な「正直さ」が顔を出しています。それが、言論統制時代の

   鰯雲ひとに告ぐべきことならず  楸邨

   蟇誰かもの言え声かぎり     楸邨

を産み、召集令状で友が戦地に赴くころになると

   幾人をこの火鉢より送りけむ   楸邨

となり、自分の家が空襲で焼ける様を

   火の奥に牡丹崩るるさまを見つ  楸邨

と詠んでいます。これに続く戦後の句が最初に紹介した2句のような生死観を伴ったものです。

 楸邨の全体を通して言えることは、やはり生き方そのものの「正直さ」です。大家と言われるようになってからも、自分の句の不備(分り難さ)を指摘されると、すぐ兜を脱ぐ潔さがあったと、俳句評論家の方の挿話に出て来ます。自分で完璧だと思える句は仲々できないので、それが本音でしょう。

 日野原氏はクリスチャンです。トルストイもクリスチャンの立場から、真摯に人生の意味を追い求めた人だと、日野原氏は紹介されています。どんな宗教でも最後は死生観という難題に立ち向わなければなりません。そしてそこまで来ると、宗教間の差は殆んどなくなり、生かされている側の考えの深さの差がむしろ目立ってくるような気がします。
 
   人間(ジンカン)にまだ未練あり冬薔薇 至遊

   わが死後をうらなう雪の層の青  真樹

   小豆粥親のなき子となりにけり 万太郎