句あれば楽あり ?

杉田久女論 (二)

至遊(しゆう)



 前号で述べたように生前の句集はない。だから杉田久女句集というのは一つしかない。ここでは凡その年代順に追ってみる。
〜昭和四年

   春寒やきざみ鋭き小菊の芽

 久女の句は抒情主義、王朝ロマン趣味、主観的という評価で括られる。これらの評が全く当たらない純粋写生句である。ただ目のつけどころがいい。小菊の芽のギザギザが既にして鋭いことに着目し、それが春寒とぴったりとマッチしている。これは句集の巻頭句である。それほど人口に膾炙されていないが、このようなきっちりした句を巻頭に持ってきたのは、色々な誤解を受け続けている母親に対する、娘さんの抵抗の一端だったかも知れない。

   花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ  (大8)

 皆が選ぶ代表句の一つである。意味は説明するまでもないだろうが、意味の他に花見疲れの、祭が終ったときのような虚脱感と同時に、まだ余韻として残っている華やかな、かつ賑やかな昼間のことが思い起こされているという気配がある。本来最後の「いろ」は縦書きにして「く」の字を長くしたくり返しの記号である。残念ながら横書きワープロでは、どう書いていいか判らない。このくり返しの記号がまた紐に見える効果を出しているという人も居るから、本来はそう書かなくてはならないだろう。

   針もてばねむたきまぶた藤の雨

 当時の女性にとって針仕事は必須の技術であった。ただ完全に専業主婦ならともかく、俳句に目覚めてからは作句以外にも文を書く等多くの作業が増えてきた。共働きではないが、子供の面倒も見ながらの兼業は、それと同等の疲れをもたらしたに違いない。特に五月の雨の時期で気温もちょうどいいとなれば、夜の針仕事についうとうととしても可笑しくない。

   玄海の濤のくらさや雁叫ぶ

 玄界灘は厳しい海である。そこに面して小倉があり、音だけの波もよく聞いたことだろう。あの近所に住んだ人には「玄海の濤のくらさや」までは勿論判るが、それよりも「雁叫ぶ」がいい。今まで雁に叫ばせた人を見たことがない。大抵鳴いていただけで普通の情報交換めいているが、「叫ぶ」となるともっと切迫感がある。何か大変なことが起こったのか。実際には叫んでいるのは久女のような気がする。

   朝顔や濁り初めたる市の空  (昭2)

 意外に玄人受けのする句らしい。それも色んな鑑賞の仕方がある。普通に読めば朝顔に目を向けながら、すでに市場の辺りの空が濁り始めているのも見ていると取りたいのだが、飯島晴子は全く違う。見ているのは朝顔だけでなければならないという。久女が女としては必ずしもバランスの取れた女性ではないことを言いながら、「だが」とこの句によって自身が開眼したかのような惚れ込みようである。その時市の空は現実には見えていず、作者と読者の頭のどこかに記憶としてあるだけだと言っている。朝顔に集中しているからこそ、そこまでを思い遣ることが出来るという。

   戯曲よむ冬夜の食器浸けしまま

   足袋つぐやノラともならず教師妻  (大11)

 一種の連作であろう。戯曲は当然イプセンの「人形の家」である。主婦としての仕事をほったらかして「人形の家」に熱中している。この時代「人形の家」は松井須磨子等によって演じられ、新しい女の象徴だった。今ではその新しさは伝わらない人も居るだろうが、久女の代表句としてこの第二句を外すことはできない。結局「ノラ」ともならなかったし、前号で述べた夫への期待とそれに背かれたという想いは、自分で輝くのではなく「他によって輝く」ことを無意識に思っていた久女の限界である。何のことはない夫婦揃って当時の普通の人生観を持った人間だった訳だが、夫との摩擦は娘さんも述べているが何時ものことだったようだ。久女は元々育ち方が根無し草のような自由な育ち方をしている。それが小倉に縛られたらそれだけで何か爆発しないでは済まないものがあったのだろう。

   唇をなめ消す紅や初鏡

 初鏡で何故「なめ消す」必要があったのかは、特に化粧をしない私にとっては判らない。「花衣」にもその傾向はあるが、この句は明らかに久女のナルシシスト的な一面を見せている句である。女情を多佳子ほどダイレクトではないにしても仄かに見せている。以後もこの種の句が時々顔を出す。

   風邪の子や眉にのび来しひたひ髪

 風邪が長引いたのであろう。いつも眉のちょっと上できちんと切り揃えているおかっぱの髪が、眉のところまで伸びてきてしまった。このような母親俳句やいわゆる台所俳句もかなり詠んではいる。この句はまだ深刻ではないが、

   銀河濃し救ひ得たりし子の命

 になると深刻である。多分二女の光子さんだと思うが、病弱ではあったらしい。どんな病気だったかは判らないが、母親として娘が助かったというのは無上の喜びだろう。時は夏。それまで美しい銀河も目に留まらなかったのであろう。ほっとして顔を上げたらそこには濃い銀河が長々と横たわってというのは理屈なしにわかる。

   秋雨に黙り飯くふ夫婦かな  (大7)

 ホトトギスに載せた「秋雨日記」という文の中にこの句が含まれている。ここで二女光子の発熱や夫とのしっくり行かない関係のことを書いている。そして「火のやうに友が恋しい」とも。幼少期の鹿児島、沖縄、台湾はともかく長じてからの田舎暮らしは、久女にとっては大変だっただろう。まして双方の両親とも愛知、東京とかなり離れた生活なのである。でも夫婦関係のことまで全国紙に書かれては、夫宇内としても気に入らなかったのは当然である。この後雑誌に文を載せるのを宇内が嫌がった理由もよくわかる。どこまでもすれ違いの夫婦だったらしい。



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040717