句あれば楽あり ?

中村汀女論 (二)

至遊(しゆう)



 今の「ホトトギス」の主催は虚子の孫にあたる、稲畑汀子である。この「汀子」という名前は虚子が付けたものだと、本人の文にある。父親の高浜年尾あたりに聞かされたのであろう。この「汀」という字はどうも汀女の名前を借用したらしい。それ程までに虚子は汀女を気に入っていたということになる。

 山本健吉が書いている。「汀女は熊本江津湖畔の生まれで、久女ともいくらか交渉があったが、九州の杉田久女・竹下しずの女のような男まさりの句柄とはおよそ正反対で、むしろ情緒的な久保より江の系統を引いている。久女のような一途に思いつめた天駆ける激しさはなく、地上的な家常茶飯の中に抒情の憩いを見出して行くような静かな調子のものだ」と。

 久女との交渉というと、結婚前に手紙のやり取りがあり、一度久女が江津湖畔を訪ねている。また結婚を機に十年ほど俳句から遠ざかっていたのを、久女の「花衣」に誘われて作句活動を再開している。虚子や立子に会ったのはその後である。

   夕焼も知らでや母は只ひとり

 お父様が亡くなられたときの句である。自分は東京暮らしなので母の寂しさがよく分るのだろう。というのも結婚当時、寂しくてよく家に手紙を書いていたという。それをいつか母親にたしなめられてはっとしたと書いている。今ほどの交通機関の発達のないころ、九州と東京は遠かった。母親としても本当は娘の手紙は見たかったであろう。婚家に馴染めないでいる娘を心配し、心を鬼にしてたしなめたのだろう。そして母は一人残されたのである。夕焼けなんか眼に入る時ではない。季語は「夕焼」で夏。

   曼珠沙華抱くほどとれど母恋し

 お母様はかなり長生きをされたようだ。昭和四十四年、従って汀女が六十九歳のときの文に「今なお健在な母」というのが出てくる。もう本人には曾孫までいる。だからこの句はかなり後期のものだが、曼珠沙華と墓はどうしても結びつき易い。彼岸花とも呼ばれ嫌がる人も多い。曼珠沙華を採ることによって少しでも母に近付こうとしたのであろうか。でも母の恋しさは消えることがなかった。

   冬鏡子を嫁つがせし吾がゐて

 今度は自分が子を嫁がせたときの句である。長女濤美子が嫁いだのは昭和十九年。もう終戦間近の頃だった。この時濤美子がどんなだったか、また「厳しく育てた」積りの自分は「わが娘を嫁に出したあとの、たえがたい寂しさ、むなしさを鏡の中の顔に知った」とあり、やはり自分が嫁いだときと変らぬ甘えが、心のどこかに巣食っていたようだ。

   咳をする母を見上げてゐる子かな

 前に「咳の子のなぞなぞあそびきりもなや」という句は紹介したが、今度はその逆である。自分が咳をしていて、子供が心配そうに顔を見上げている。でも子供にはまだ母を助ける力はない。見上げることが精一杯である。でもそのことによって汀女は心慰められたような気がする。

   玉子酒ものも言はずに作り来し

 誰が作って来たのかどこにもないが、汀女が風邪で寝込んだところにご主人が黙って玉子酒を作って呉れたのだろう。しかも作って置いていくときにも何も言わずただ黙って置いて行ったような気がする。昔の男にはそんなところがあった。そのご主人にも子供が長じてからは単身赴任をして貰うことになってしまうので、その前の句だろう。寒さからいうと仙台時代かも知れない。

   夫と子をふつつり忘れ懐手

   ふところ手こころ見られしごとほどく

 「なーんだ」と言いたくなってしまう。「ふっつり忘れ」なんて久女が「ノラ」になったようなことを言うかと思えば、やはりそんなことの出来る人ではない。すぐにその懐手は解いてしまう。参考にしたいのは、ほどく時にはひらがなが多くなっているところである。その方が「ほどけた」感じがよく出る。

   子にかかる思ひを捨てぬ更衣

 俳句ではこう言っている。ただ「冬鏡」の句を見ると、喩え着るものは変えられても、「子にかかる思ひ」は捨て切れたようには思えない。切らなければと思ってはいるだろうし、自分が母親から受けた教えも頭にあっただろう。だからこそ現実とは別に「こうあらねば」という句も詠んでしまうことになる。俳句としてはこんなこともあっていい。虚実の虚であっても詩として鑑賞してくれる人が居ればいいのだ。

   夜の客に手探りに葱引いて来し

 親の立場から主婦の立場に変る。急に夜訪ねてくる客は主婦には迷惑以外の何物でも無いだろう。多分ご主人が一杯やろうと連れて来たのに違いない。帰りに牛肉でも買ってきたのだろう。すき焼きにしてくれなんて勝手なことを言う。そこは男、葱なんて買ってきてはいない。仕方なく畑に葱を取りに行く。ぶつぶつ言いながら。汀女は良妻だからぶつぶつは言わないか。

   蜩に暗しと思ふ厨ごと

 とは言え毎日毎日の台所仕事は、汀女のように熊本時代、お手伝いさん(「きよ」と言ったらしい)が居たような家庭に育った人には、必ずしも楽しい働き場所ではなかったらしい。秋になって空は晴れ渡り、ひぐらしは鳴き叫んでいる時に、暗い台所での仕事は心も暗くするかも知れない。常にそうではなくても、日によってはそんなこともあるだろう。



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040901