句あれば楽あり ?

中村苑子の句 二

至遊(しゆう)



 これから後は平成になってからの句集になります。同志であった高柳重信は昭和58年に60歳で他界していますし、その前の句集が昭和54年の発行ですから、大部分は重信亡き後の句と見ていいでしょう。やはり死を詠んだものはかなりありますが、以前より減っています。それも軽い詠み方になったせいで、我々に重苦しさを感じさせなくなっています。

余命とは暮春に似たり遠眼鏡

 春の暮ですから仲々暮れないものです。余命も仲々なくならない。即ち生き続けている中で多分あの世即ち行く末を眺めたいのかも知れません。長すぎる暮に望遠鏡が妙に似合っています。

斯くて二人ほとほと蝌蚪も見飽きたり

 別にオタマジャクシを見飽きた訳ではないでしょう。「蝌蚪も」と言ったところが他のものも、即ち森羅万象すべてのものを見飽きたと言っていると思われます。ではこの二人とは?やはり重信だと思います。この句を詠んだときに現実に重信が生きて傍に居たかどうかは知りません。でも苑子にはこの世とあの世の区別もあまりありませんから、喩え重信の死後であっても自由に交流できたような気がします。

八方に枝垂れる花の中の空(くう)

 実際にも枝垂れ桜の真下に立つと、まるで天蓋の中に居るように花に包まれます。しかし幹の近くには花は枝垂れて来ません。ある程度の距離があります。だから見たままを詠んだとも言えます。でも華やかな花の中に一点ぽっかり空いた、真空のような場所を見つけてしまったと解釈したいのです。それは実際の空というより、心の中の空というべき場所です。華やかさの中だからこそ寂しさが浮き彫りにできます。

生きてゐてがらんどうなり炎天下

 体力・気力も萎えてただ生きているだけと感じるとき、そこには重い肉体があるだけで中身は何も無い、即ち「がらんどう」と感じることがある筈です。増して炎天下、何をする気も起こらない、こんな時には生き甲斐に満ちていた若いころを思うと、生きている実感さえもなくなるかも知れません。

息つめて闇の牡丹と相対す

 これはある程度の気力がある句です。たとえ相手が牡丹であろうと、俳句の対象物となれば真剣勝負でしょう。しかも闇の中の牡丹ですから、かなりの心眼を働かせないと何も見えて来ないでしょう。そこで息をつめる必要があったのでしょう。

雲海荘厳ふはりと我の終りかな

 特に飛行機が降りかけたときに身体が浮くような感覚を持つと、こんな気分にもなります。ただこの句から受ける印象は、そこには恐怖も何もなく、第三者として「我の終り」を見ている自分が居て、むしろそうなることを願っているようにさえ感じられます。雲海だってふわりと受け止めてくれそうな気がしますから。

大滝にたましひ消ゆるばかりなり

 前後にあった句からの想像ですが、これは多分那智の滝ではないでしょうか。そうなると私も行って詠んでいるだけに親しみが出てきます。大きな滝の前に立ったとき、自分がいかに小さく見えることか。しかも滝には何故か神を感じます。だからその神の前では、ただただ小さくなっているしかないという気分、よく分ります。

あれこれと死後も難儀や鰯雲

 まるで自分が死んでみて、経験して詠んでいるような口調です。確かに閻魔様の前で審査を受けたり、色々と天国に行くまでには煩い手続きがあるようですが、一方遺族の方も大変です。こちらに同情したのかも知れません。いずれにしても死んでもしばらくは死者もその遺族も難儀なことが続くもので、うっかり死ねません。

俗名と戒名睦む小春かな

 前の句もそうですが、愈々この世とあの世の境目がはっきりしなくなってきたようです。戒名と言っているのは重信でしょうか、死別した夫でしょうか。それとも自分が生前に戒名を決めていて、その戒名かも知れません。今の自分と死後の自分が仲良く話ができるとしたら、と想像力をかきたてます。

芹摘むは余生の閑と申すべく

 このように死を詠んでも決して悲壮でもなく、苦しみもなく、もう半分あの世に行って暮らしているような句は、むしろ我々にも余裕を持たせてくれます。この句からは句集にも収録されていなかった晩年の句になります。表現がまるで話しかけているような簡単さになっています。まだ余生がある、そして閑もあるから芹を摘むんだと。完全に自然体になっています。

さくら散りあっけらかんと空の青

 前の枝垂れ桜の句と比べると、情景は単純です。もうこの世で考えごとをすること自体が面倒だという感じで。ちょうど桜が散り終え、まだ葉が大きくは出揃わない頃に誰もが感じることのできる風景です。

水中花身一つ宥め宥め生く

 一病息災と言いますが、宥めるものがあったほうが生きるのには向いているのかも知れません。まして年を取れば一病では済まなくなるでしょう。しかも若いときの結核から一生を病気と付き合いながら生きてきた苑子ですから、よくぞまぁここまで宥めながら生きてきたものだという感慨はあったでしょう。生きたいという気持ちはそんなに強かったとは言えませんが。

膝抱いて影と居るなり十三夜

 別に最後の句という訳ではありませんが、もう十三夜を一緒に見てくれる人もいない今は、寂しさも通り越してただ「居る」というだけの肉体になった自分を見つめているのでしょう。ただそれでは寂しすぎるので「影」を自分ではなく誰かの影(故人の方がいい)と読むこともできます。そうすれば救いもあるというものです。思い出の中に浸りながら十三夜を見ていることになりますから。

 前に飯島晴子の稿で段々難解になっていた俳句が、晩年にまた分り易くなるという傾向を書きましたが、難解さは別でも晩年にシンプルになる傾向は、苑子にもあったようです。勿論飯島晴子とは句風は随分違います。晴子の激しさに比べれば苑子は魂を勝手に遊ばせている、それも完全にはコントロールできないでいる温和し目の女に見えます。実物は知りませんが句から受ける印象は、やはり病弱という運命に操られ続けていた女でしょう。重信に協力することになったのも、本当に自分の意思だったのか、それとも重信の強引さに負けたのか、あまり詮索する気はありませんが、どうも後者のような気がしてなりません。


031229