句あれば楽あり ?

三橋鷹女論 (五)

至遊(しゆう)


 重信の次には「俳句評論」で、鷹女が新進女流時代に一時行動を共にした永田耕衣と久し振りに顔を合わせることになる。耕衣も一癖も二癖もある不思議な人物で、意識的には老年と晩年を自由に操作できるという特技を持っていた(重信)。老いと死に興味を持っていた鷹女とはその面では意気投合できる。ただ鷹女の特性として呼び合うと同時に反発もし合う。そんな中で発行されたのが昭和四十五年上梓の「ぶな」である。(「ぶな」は「木」ヘンに「無」。UNICODEでは表示されないのでひらがなにした。)

   墓原や椿咲くより散りたがる

 一種の死への憧れのようなものがある。前に中村苑子の稿で紹介したが彼女も「あの世この世」を馬車で行き来する人だった。どちらが影響を与えたのかは知らない。年齢的には鷹女に苑子が影響されたと思えるが、どちらもしたたかである。そこに耕衣が加わったのだからどうしてもこんな方向に句は行ってしまうだろう。

   老鶯や泪たまれば啼きにけり

 小文の中で鷹女は「私は泣けない女だ」と言っている。一度泪が出ればとめどなく流れてきりがなくなりそうだという。自分の体は泪で出来ているから泣くと体が消滅してしまうという恐怖があったらしい。実際お母さんの葬儀のときも友人が代わりに泣いてくれたと書いている。その鷹女もやはり泣いたのか、と裏切られる思いの句である。それだけ鷹女も変化してきたと言える。

   おろかさのかぎりをつくし冬椿

 確かに一生を振り返ってみれば愚かなことも沢山してきただろう。でもここに後悔の感覚はない。むしろ快哉を叫んでいる風にさえ見える。私のように、これだけ勝手気侭に生きることができますか?って勝ち誇っているようで。

   巻貝死すあまたの夢を巻きのこし

 前回の句にあった巻貝かも知れない。とするとやはりあれは自分だったのだと思わざるを得なくなる。まだやりたいことは一杯あったのに、かなりのことをやり残してしまったというのは、体が効かなくなって長い時間を経たから言えることだろう。もう昔の気力は残っていない。だから夢に残りが出てしまうのはもう自明になってしまったのである。全部やりきるのが幸せかどうかは分らないが。
 以下は「ぶな」にも収められていない最晩年の句である。(この「ぶな」も「木」ヘンに「無」

   藤垂れてこの世のものの老婆佇つ (S46)

 重信が最後に鷹女に会った時には本当にこんな状態だったという。昔の凛とした眼光鋭い鷹女ではなく、完全に老婆になりきっていたという。今は高年齢化が進んで老婆も老爺もあちこちに立っている。ただこの老婆と藤の房との取り合わせはすさまじいものがある。「この世のものとも思えぬ」というと当たり前であり、「この世のもの」だから効いてくる。頭はまだ老婆ではなかったようだ。

   末は樹になりたい老人樹を抱き

 この抱かれた樹もかなりの老木であろう。そんな風に老いたいと願っていた人が見つけた、格好の樹だった訳である。一方でこの老人はまだ死を畏れている。だから樹になってでも命を永らえたいのである。ただ若返りたい、活動したいとは思っていない。樹になるという発想そのものが静かに生きたいのだろうから。勿論この老人は鷹女である。

   たそがれは常に水色死処ばかり (S45)

 「藤垂れて」の句より前に詠まれた句であり、ここにはむしろ生に対する執着がない。一種の諦観に達している。多分達していると思ってもいざ死期が近付くと、良寛さんもそうだったようにそれほど悟りきってはいない。一年前だから詠めた句かも知れない。

   千の虫鳴く一匹の狂ひ鳴き

 この狂い鳴きしている虫は明らかに鷹女である。自分が常人とは多少は違った考え方をしているということに鷹女は気付いていたのだ。むしろそれが生き甲斐であり誇りだったかも知れない。他には同調しないという性格が鷹女を生み、育てた。幸不幸はともかくこれは歴然とした事実である。今流行りのオンリーワンでは間違いなくあった。ベストワンも当然目指した。それは他人が評価することである。

 昭和四十七年四月に鷹女は帰らぬ人となった。今まで鷹女を余りにも知らなかったことで却ってこの稿を書いた印象は強烈だった。凄い人だとは思うが師にしたいとは思わなかった。またこの五人の中では、妻にしたくない人のナンバーワンでもある。それでも学ぶことは沢山あった。




040629