句あれば楽あり ?

三橋鷹女論 (二)

至遊(しゆう)


 「向日葵」は昭和十五年刊、引き続いて昭和十六年に「魚の鰭」を出している。ここまでははっきり戦前・戦中(米国との開戦には至っていないが)の句と言える。次の「白骨」になると昭和二十七年なので、十六年からの俳句が混じっており背景となる時代層が必ずしもはっきりしない。まず「向日葵」から

   蝶とべり飛べよとおもふ掌の菫

 これは本当に初期の、まだ大正末の句らしい。いわゆる俳句の専門家の指導は受けていない。それだけに鷹女の原型が見られる句である。この抒情性は短歌に親しんでいた影響であろう。菫の花びらが蝶の羽のように見えたのであろう。それなのに何故飛ばないんだという我がままさもちらりと覗かせている。

   初夢のなくて紅とくおよびかな

 「および」という言葉は伊勢物語にも出てくる言葉で、勿論意味は「指」だが、その雅語めいている。そこに短歌の影響を見ることができる。次の句と合わせて原石鼎の指導を受けていたころの作である。俳句の骨法はこの頃会得したと思われるが昭和九年に夫婦揃って石鼎のもとを去っている。理由は判らない。

   日本の我はをみなや明治節

 この辺までは自我というより、当時としては世間に合わせた常識の披露と言えるだろう。だからと言ってここまで日本の女であることと明治節までを堂々と結びつけた句はない。多少与謝野晶子の影響が残っているかと思いたくもなる。句の質としては決して高いとは思わないが、「女」であることに歯痒さを感じている節もみえる。

   夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり (S11)

   初嵐して人の機嫌はとれませぬ

   つはぶきはだんまりの花嫌ひな花

 石鼎の元を去った頃から、急に鷹女調が出てくる。結局石鼎も「ホトトギス」系であり、その句風に満足できなかったのかも知れない。好き嫌いをはっきり言って、それが句になっているという不思議な句である。この辺が完全に虚子の「客観写生」からは自由であった証でもある。ただその気の強さ、人付き合いの悪さを話し言葉のまま五・七・五にしただけで、俳句としての完成度は高いとは言えない。ただ強烈な印象を与える句ではある。そして最後の句の「だんまりの花」というのはやはり鷹女のセンスを思わせる。十一月という他の花の少ない時にひっそりと咲く石蕗の花は、確かに多弁とは感じない。だから好きだという人が多いと思うが、鷹女はその一般的な見方に反発してみせている。

 なお作句年の分っているものは( )の中に書いた。高屋窓秋氏の整理されたものによるが、私の選んだ句とあまり合致しないので、次回以降も含めて同じ形はとるが、年の分る句の比率は必ずしも高くはない。

   ひるがほに電流かよひゐはせぬか

 ここまで来ると、その発想の特異性が俳句に生きてきている。細い電線のような蔓、そしてまるで電気仕掛けのように昼に開いて夕方萎むということを繰り返す。コロンブスの卵ではないが、言われてみるとそうだなと思う。観察に基づく写生に大いなる想像力を加味した句である。

   亡びゆく国あり大き向日葵咲き

 もしかして日本の中国進出を無理だと予知していたのであろうか。もしそうだとしたら勇気ある発言になる。いわゆる新興俳句関係が弾圧を受けていたころと時期的に一致するだけに、多少は「日本」とは言わないでぼかしたのだろうか。自分の子供がそろそろ召集されそうな年齢に達して来ている。だからこそこの国の行方は余計に気になっていたことだろう。

 続いて「魚の鰭」から数句。

   薄紅葉恋人ならば烏帽子で来(こ)

 またまた意外な発想である。あまり読書はしない方だったと重信は言っているが、これは昭和の発想ではない。源氏物語か何か王朝文学に刺激されての句だろう。紅葉色の烏帽子でなければならないかも知れない。

   この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉 (S11)

 紅葉が夕日に映えていて一段とその艶やかさを加えている。その紅葉している樹に登ったら自分も鬼女になってしまうだろうという意味になるが、先ず樹に登るという行為自体が大人の女性にとっては禁句でもあり憧れでもあっただろう。そこに男とのギャップも感じさせるとともに、勿論ここでは信州戸隠村に残る伝説で能の「紅葉狩」の主人公である鬼女「紅葉」のことも念頭においている。そこまで怖いほどに美しかったのだろう。

   笹鳴きに逢ひたき人のあるにはある

 普通なら「逢いたき人のあり」で止める。それを「あるにはある」と言ったところが鷹女らしい。あるにはあるけど今は逢う気はない。だけどあんたの出方次第だよ、と言っているようにも受け取れる。「あるにはある」の方が本来は逢いたさの加減は弱い筈だが、むしろ挑発されて聞こえる。まだ笹鳴きだから恋も初心者かも知れないが。

   凡骨は野菊を踏んでゆきにけり

 前の「亡びゆく国」が本当になってきて、野菊を踏んで出征したと読める。それを「凡骨」と言ったところに、権力者でもない者に対する慈しみが却って出てきている。長男陽一が出征するのは昭和十九年だから、まだ自分の家族のことではない。「一将功なって万骨枯る」の「万骨」とこの「凡骨」がどこかで繋がっているという感じがする。



040601