句あれば楽あり ?

星野立子論

至遊(しゆう)



 星野立子は高浜虚子の次女で、虚子の薦めというより命令に近い形で「玉藻」という句誌を主宰することになる。娘に椿、孫に高士と続いており、俳句界最大手の「ホトトギス」の準サラブレッドである。「準」とつけたのは、高浜年尾−稲畑汀子と続く「ホトトギス」の本家があるからである。

 立子は当然ながら虚子の教え方を叩き込まれたはずである。即ち「花鳥諷詠」「客観写生」という虚子の看板を汚すことのないように。ただしそこはお嬢様育ちの大らかさから、慎重に父の逆鱗に触れないようにはしながらも、実際の俳句は「客観写生」ばかりではない。それはご本尊の虚子自身が、自分の俳句は客観写生ではない句が多いことからも、この念仏だけでは自分の目指す句は出来なかったというべきだろう。

 「立子へ」という虚子の文を読んでいると、公開している文章だから自然そうなるかも知れないが、厳しく教えるというより、褒めちぎってその気にさせるという意図があちこちに見える。戦争末期から終戦直後の物資不足の折は、それなりの苦労は当然あったであろうが、いち早く「玉藻」も復活している。やはりどう見ても恵まれた環境に居たとしか言いようがない。何しろ俳句界は虚子の独壇場だった時代が長かった。

 それでも自由奔放さを持ち合わせていた立子は、ひそかに別の論を吐いている。勿論その程度は虚子も許せる範囲だったのだろう。先ず、「高浜虚子が立子にとって親であるのと同じように客観写生も当たり前のことだった」と断ってから、

  
来て見れば来てよかりしよ梅椿   立子

という句は他人から見れば客観ではないと言っている。勿論「来てよかった」というのは完全な主観だから立子の認識は間違ってはいない。でもこれは梅も椿も素晴らしいということを言うには十七文字の中では「来てよかりしよ」というのが一番的確に表現できる。主観によって客観を想像させる手法だ、とやはり客観を否定することは避けている。自分の句は主観味が勝っていると言いながら、それは客観描写から発していると断っている。

 私は虚子の業績を低く見る積りもないし、彼の句の中にも好きな句が沢山ある。ただ娘さえここまで遠慮がちにしか自己主張が出来ない独裁的な面は、かなり長い間に渡って俳句界を沈滞させてきたと思う。だから立子は恵まれていた一方では、父には刃向かってはならない不自由さも併せ持っていた。虚子のいない立子は考えられなかったからである。

 では立子の句をいくつか見てみよう。

   
ままごとの飯もおさいも土筆かな

 これは大正十五年、即ち昭和元年に立子が詠んだ最初の句だと立子自身が言っている。 いつも近くに虚子がいて、実際に一番手伝っていた身だから、最初とはいえ他の人の句はそれまでに随分目にしてきたはずである。これは写生句と言えるだろう。近所の男の子を詠んだとしてある。本当は可愛い句というより男の子の寂しさを出さなければならなかったのかも知れない。

   
大仏の冬日は山に移りけり

 立子の代表句と今でも言われる句である。これは本人も認めるように完全な客観写生である。代表句と言われながらも毀誉褒貶の多い句だろう。情景は見えるが「だから何なの?」と言われればどう切り返すのだろうか。この句が昭和二年、即ち上の句の翌年の作である。自分を見ていても俳句は上達するものだろうかと心配になる。

   
下萌えぬ人間それに従ひぬ

 私が選んだ句だから勢い私好みの句になってしまうが、これ以降は客観写生ではないと思っている。人間が自然に左右されざるを得ないのは分るが、従っているという見方は主観である。そして主観で一向に構わないと思っている。この句は昭和二十年、小諸に虚子と一緒に疎開していた時の句なので、かれこれ二十年の句歴があっての句である。

   
口ごたへすまじと思ふ木瓜の花

   
父がつけしわが名立子や月を仰ぐ

 順不同になるがこの二句は昭和十二年の「立子句集」に収められている。父虚子の影がまだ立子を縛っているように思えてならない。それでいながらこれらは客観写生ではないから、結構自由に詠ませ、発表させていたのだと改めて思う。この二句に共通するところは季語が従になっていて、そのくせ季語として活きていることである。やはり「木瓜の花」の華やかさも厳しさもなく茫洋とした色と形が似合う。また下の句は自分の運命を受け入れているようでありながら、プレッシャーも感じている。「月を仰ぐ」心境を思いやることができる。

   
たんぽゝと小声で言ひてみて一人

 これは昭和四十四年に発行された句集に載っているが、作は昭和二十五年から三十四年までの間だという。この人にしては珍しい句だと思う。虚子が亡くなったのが昭和三十四年だからもしかしたら、その時の句か?と思うが確かめてはいない。
「一人」というところにこの人らしからぬ異常さを感じるからである。

   
暁は宵より淋し鉦叩

 同じ寂しさでもこの寂しさは万人が経験する寂しさである。私なども生活が夜型になってくると、それは夜には仲間が居て議論し、笑い、楽しんでいる時間である。朝にはそれがない。勿論自分のことだけではなく、鳴く虫でも夜にはうるさいほど鳴いていても、朝方には殆んど聞かない。そう取れば写生句だがそれでは面白くない。

   
美しき緑走れり夏料理

 これもよく人口に膾炙されている句である。実際には「美しき緑走れり」は何物なのか分ってはいない。しかしこの華やかな言葉遣いがお嬢様の本領発揮というところかも知れない。涼しげな夏料理を意味は分らなくても美しく想像させるから不思議である。

 ただ全般に言えることは、天真爛漫であるだけに即興で詠んだような句が多く、深みと個性には欠ける恨みがある。俳句に人生が滲み出ていない、それが苦労の少なかった者の長所であり短所であろう。孫の星野高士も書いている。「作者自身の感情がその時その時によって自由自在に句になって又調べになって出てくる、ということを言いたい。即ち素直な心をいつも持っていた人ということである。」 これを裏から見ると深みや人間の機微に欠ける句ということになってしまう。ただ幸せな人生を送れた人だっただろうと思える。



040229