句あれば楽あり ?

星野立子論 (二)

至遊(しゆう)



 4T+Hに段々のめりこんで来て、結局後で書いた鷹女や久女と、最初に書いた立子や汀女との間にとんでもない量の差が出てしまった。そこでもう一度この二人を振り返ってみようと思う。先ず立子からだが今回は俳句そのものを主体に取り扱う。

   吾も春の野に下り立てば紫に     (昭18)

 立子は紫が好きだったらしい。着物も紫が多かったと自分で書いている。紫を着こなすにはかなりの時間が必要だろう。高貴な色だけに負けてしまうことが多いからである。ただ川端茅舎も

   紫の立子帰れば笹鳴ける    川端茅舎

という句を詠んでいる。自分が好きなだけでなく、他人にもその印象は焼き付いていたらしい。何故ならこの句を茅舎が詠んだ時には立子は紫は着ていなかったと自分で書いている。もうこうなるとイメージである。

 別にそれを意識して紫の句を詠んだかどうかは分らない。自分では春霞が一面に広がっていてそれが薄紫に見えたと言っている。そこでその中に立てば自分も紫になるだろうとの意味になる。

   蝌蚪一つ鼻杭にあて休みおり     (昭3)

 これは実景であろう。俳句を始めて三年目という初期の作品である。蝌蚪(かと)とはオタマジャクシのことである。今年の四月末に、小石川植物園で蝌蚪の動きを見ていて「楽しみは何ぞ尻尾で泳ぐ蝌蚪 至遊」という句を詠んだ。考えてみれば蝌蚪には推進力になるものは尻尾しかない。よくこれでカーブを切ったり浮き上がったり方向が変えられるものだと、飽かずに見ていた。杭に鼻を押し当てるようにしていたというのだから、この場合は静かに本当に休んでいたのかも知れない。しかし結構せわしない生き物である。

   囀をこぼさじと抱く大樹かな     (昭14)

 例えば大きな楠一本に雀の大群が集まってかしましい程の声を立てていることがある。ここでは囀という春の季語だから雀とは限らない。というより雀よりもっと美しい声で求愛する小鳥を思い浮かべるのが、この句には合うだろう。でも私にはどうしても群雀を全部隠している楠が浮かんでくる。

   雛飾りつゝふと命惜しきかな     (昭27)

 この句は明らかに客観でも主観でも写生ではない。強いていえば「心の写生」である。他の人の文によれば、この雛は自分の雛らしい。昭和二十七年の作なので、四十九歳の時の作品で、雛を飾りながら今までの来し方を思い浮かべてしまったのであろう。雛は変らず毎年居るのに、自分はどんどん歳を重ねて行く。その無常観が根底にあるだろう。立子は子供の頃身体が弱かったらしい。虚子が「澤子の嘘」という小品で、実は立子のことを書いている。その中にそんな下りがある。自分が弱い子供時代を経験していれば、その子や孫がちゃんと成長するまで見届けたい気持はより強いだろう。雛を見て命を惜しんだ立子は何の因果か三月三日に他界している。

   鵙高音ふたたび三たび鵙高音     (昭30)

 この句に限らないが、立子にはこのようなくり返しがよくある。また最近では嫌がられる「如し」という直喩も多い。このくり返しが効いているのか無駄に見えるかは人それぞれだろう。ただ同じ人の句集にくり返しが度々出てくれば、勿体無いと思うことも自然だろう。この句の場合、最初の「鵙高音」は第一声であろう。そして「ふたたび三たび」と来るから、心理的にはそれ程邪魔にはならない。

   奇跡待ちつゝ春雷をききゐたり    (昭34)

 虚子が没した年の句である。奇跡とは勿論父親の回復。それを奇跡と呼ばざるを得なかったということは、もう諦めざるを得なかった状態だったのであろう。自分を俳句の道に引き込み、教えただけでなく、最大のスポンサーでもあり、また一番の立子ファンは虚子だったと言われるような間柄だけに、並みの親子の別れとは全く違った意味合いがあったであろう。

   露の世の間に合はざりしことばかり  (昭40)

 まだ六十二歳のときの句である。この世を去ったのは八十一歳のとき。だから何が間に合わなかったのか分らない。最初この句を見たとき辞世の句かと思った。もしかすると、虚子存命中にしておきたかった多くのことが出来ていないことを言っているのかも知れない。ただ作年さえ気にしなければ立派に辞世の句である。

   冬ざれの一舟もなき沼の面

 以下は作年のはっきりしない句を記す。この句は余り評価されてはいないようだが、立子としては一味変わった句である。華やかさも動きも音も何も無い世界を詠んでいる。一舟あれば蕪村流の墨絵になりそうな句である。こんな句が立子にあるとは思わなかった。目立たないだけに思わぬ拾い物をした感じである。こんなところに興味を引かれるからには、かなり年を取ってからの作とも見えるが、一方まぎれもない客観写生の句で、虚子の教えを素直に守っていたころの作のようでもある。

   夜々の月育ちゐる筈夜々の雨

 期待していた名月は結構雨月になることが多い。これはまだ十五夜の前のようだが、毎夜の雨に心を痛めている。それでもあの雲の陰で、月は段々丸くなって来ている筈という期待も捨てていない。もしこのまま雨になってしまっても、それなりに雨月を楽しむことは出来るだろう。

   蜩に明けくれてをり谷戸ぐらし

 これも想像だが昭和四十五年脳血栓で右半身麻痺になった後の句ではないかと思う。鎌倉在住だから出歩くのが不自由になれば、谷戸の中で暮らしている状態になる。それでも蜩を始めとして、外からの情報は入ってくる。行動半径が狭まってもそれを楽しんでいる風にも受け取れる

   老鶯のだんだん遠くそれっきり

 夏の鶯のことを老鶯という。実際には鳴き声は春より見事である。ただ所詮春の鳥である。段々その声も聞こえなくなる。この「遠く」は鶯の声を聞く間隔が遠くなったことを言っていると思う。そして気づかない間に全く聞かなくなっている。中村汀女の「日向ぼこ呼ばれて去ればそれきりに」を思い出させる句である。

 八十一歳まで生きたとはいえ、昭和四十五年、六十七歳のときに上述のごとく病に倒れてからは句作も多くなかったのか、代表句の中には少なくとも殆んど残っていない。



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040901