句あれば楽あり ?

橋本多佳子論 (二)

至遊(しゆう)


 前回挙げた二つの句集はいわゆる終戦中または戦後の混乱期の句集である。戦後になって物資は不足していても、精神的には自由度が増したのだろうが、一斉に俳句誌も出されるようになる。その中のひとつに昭和二十三年創刊の「天狼」という俳誌がある。山口誓子が初めて主宰した結社でありその機関誌である。当然、多佳子も同人として参加する。当時多佳子四十九歳である。自身も好んでなった訳ではなさそうだが、二年後には「七曜」という俳誌の主宰になっている。そして五十二歳になる昭和二十六年に「紅絲」という第三句集を出す。この句集が多佳子としての円熟しきった時代の句集と言えるだろう。

 この句集の中で多佳子は全く違う二面を見せている。一つは

   夏の河赤き鉄鎖のはし浸る   山口誓子

に見られるような無機質なものを詠みながら、別の何かを象徴しているような句である。ただしどうしても多佳子の方には生々しさや動きの大きさは見える。むしろそこが好まれているとも言える。

   炎天の梯子昏きにかつぎ入る

 昭和二十二年の作だという。従って第二句集「信濃」にも間に合ったかも知れない句であるがこの「紅絲」に入ったことによってその特徴がより明確になっている。奈良日吉館での句会で西東三鬼や平畑静塔も同席していた。炎天の中を梯子を担いだ人(または複数)が居て、それを陽の当たっていない暗がりへ担ぎ込んだという場面に過ぎない。梯子を熱暑から遠ざけたという風にもとれるが、これが三鬼らも目指していた句の世界だったので、大変好評だったという。また今までの多佳子の句とは趣を異にし、新しい句境を開いたとも言われる。

   いなびかり北よりすれば北を見る

 静塔に言わせればこの句の方が「炎天の」より更に上等だということになる。「炎天の」から一ヶ月後の句会での句だという。反射的な行為がありありと眼に浮ぶ句でわかり易い。どこが上等なんだと聞かれると、上の句に比べるとより人間を詠んでいるとは言える。「人間の悲哀が込められている」というが、私には多少川柳の「うがち」に似たところも感じられる。ただだからと言って嫌いではない。

   寒月に焚火ひとひらづゝのぼる

 焚火の炎を「ひとひら」という花びらのように見たところは、見事な描写である。「寒月」と「焚火」では季語が重なっているよ、なんて野暮なことは言う必要がなさそうである。自分も炎と一緒に寒月に向かって昇っていく気持がある。

   つまづきて修二会の闇を手につかむ

 多佳子は奈良住まいなので、何度か誓子を修二会にも案内している。これがその時の句であるという証拠はない。誓子の記述の中にはこの句が見えなかった。もしかすると上の「寒月に」も同じ修二会かも知れない。「闇を手につかむ」がいい。修二会では女性の入れる範囲は限られていて、修行僧の傍までは行けなかった筈である。本当につまづいたとも考えられるが、誇り高い多佳子にしては、男性とそこで差別されるのは堪えがたかったのではないだろうか。この「闇を手につかむ」がその空しさを表しているような気がしてならない。

   乳母車夏の怒濤によこむきに

 この句が意外にプロの間で評価が高い。確かにこれも誓子の弟子らしい句である。物事を呈示しただけで、あとはどうとでも解釈してくれと言いたげである。俳句には多かれ少なかれそんな要素があるが、この誓子流の詠み方ではそれが極端に出てくる。まあ「よこむき」だから良いので、怒濤に向かって置いてあれば危険極まりない。サスペンスの一場面になってしまう。

   一ところくらきをくゞる踊の輪

 盆踊りは大体そんなに明るくはない。提灯の灯りであり、薄暗いからこそ踊にも集中できるのだろう。その一ヶ所に昏いところがあるという。輪はそこを潜らなければならない。「あざなえる縄」のように明と暗を繰り返しながら踊の輪は進んでいる。本当に進んでいる訳ではなく、全体としては止まっている。何か輪廻をくり返しながら運が良かったり悪かったりを繰り返しているようでもある。

   雀の巣かの紅絲をまじえおらむ

 句集のタイトルになった「紅絲」はこの句から取られた。当然誓子が選んでいる。前書きに「遠く鼓ヶ浦を想ふ」とある。鼓ヶ浦は誓子が病気療養をしていた地である。この句がそんなに優れた句だとは思えない。ただ多佳子は誓子の家の庭で紅絲の落ちているのを見たという。そして数ヵ月後、自分の家に巣を作り始めた雀をみて、誓子の家にも雀は巣を作っているだろう、そしてその巣にはあの紅い糸も持ち込まれているだろうと詠んだらしい。もしかすると自分の家の巣にあの紅絲が、と読めないこともない。赤い糸というのは男女を結びつける糸に使われる。この句を詠んだ多佳子にも、それを句集のタイトルにした誓子もそれを承知で公にしたものだと思える。

 この時点ではもう多佳子も俳句界で大家であり、またしてもスターである。それでも最初から新興俳句に身を置いていた三鬼や静塔とは感覚の違いがある。その差を埋めるべくかなりの努力をしながらも、より早い時期から師事していた誓子に頼る気持は消えなかったのだろう。現にこの句集を静塔が「女心の虚栄」と評したときには、多佳子の気持も不安定になり、誓子も困ったらしい。静塔はそんな積りではないと言ってはいるが。

 戦後、多佳子は一時俳句から遠ざかったという。その時に誓子が贈った句が

   句を見ねば君の遠さよ秋の風    山口誓子

である。これを見たからかどうかは分らないが、多佳子はこの直後から日吉館の句会に出るようになり、最初の「炎天の」の句を詠むなど立派に立ち直ったのである。

 第二の面については次回に述べる。


040503