句あれば楽あり ?

藤田湘子論 (三)

至遊(しゆう)




 ここからは1日10句の難行から開放されてからの句である。湘子は「月曜会」という結社を超えた句会を、故鈴木真砂女の「卯波」で開いていたことでも知られており、初期のメンバーには飯島晴子、黒田杏子、三橋敏雄、阿部完市、上田五千石、中原道夫、星野椿、星野高士、鈴木榮子、有馬朗人等錚々たる人物が居たらしい。喧嘩になりそうな面々である。

 この時期からの句に好きな句が多くなる。自分も歳を取ってきたせいか、老境にあって詠まれた句には、若い頃の道を求めている頃よりも自由さ、奔放さが出てくる。前にもこの稿で紹介した八田木枯さんの他にも多くのそのような例を知ってきた。

   月明の一痕としてわが歩む(前夜から)

 秋、それも晩秋の寒さを増してきた頃の句かと思う。ひとり月光の中を歩いている。月は明るく、自分の影もはっきり見える。この世界を照らしている月から見ると、自分はその月光の邪魔をして、痕を残しながら歩いているだけの小さな存在であることに気づく。だからといって悲観的になっている訳ではない。この人の句には、何故か暗さを引きずらないところがある。「まぁそんなもんだよなぁ」と自然に受け止めている。

   去りゆきし春を種火のごと思ふ(前夜から)

 春が去った。春の種火が大きくなって、夏の暑さを齎したとも聞えるし、この種火は大事に次の春まで消さないようにしておかなければ、という意志のようにも取れる。一般に「ごと」は直喩だから深みが出ないとして嫌われるが、そう杓子定規に考える方が変なのかも知れない。私は種火を大事にする解釈の方が好きである。もっとも最近の若い人は、ガスの種火は知っていても、日を超えて火種となってくれる種火のことをご存知かどうか、心配ではあるが。

 以下は「神楽」から7句抜き出した。

   この雨に葱は坊主をつくる気ぞ

 葱坊主は葱の花だから雨が降ろうが風が吹こうが、子孫を残そうと咲くのが当たり前である。それを承知の上での句である。坊主は坊さんのことだが、男の子にも使う。「前夜」が平成5年、そしてこの「神楽」が平成11年の刊行だから、そのどの辺で詠まれたかは知らないが、もう少子化は話題になっている。葱は一生懸命坊主を作っているのに、日本人は子供を産まなくなった。それが淋しかったのかも知れない。

   筍の単純を食い了りけり

 筍にも色々料理法はあるだろうが、あの歯ざわりを失ってはいけない。この場合色んなものを一緒に煮込んだりしたものではなく、ただ採りたての筍を切って、焼いただけで食べたような気がする。だから「単純」なのだろう。それを単純に食べ終わったという、いわば報告である。そしてこの報告というのも俳句では禁句に近い。この場合は報告の仕方が面白い。「単純を」で筍料理を表現し終えている。その単純さが旨かったのだろう。旨くなければ俳句にはしまい。

   あめんぼと雨とあめんぼと雨と

 よく採り上げられる句なので、ご存知の方も多いだろう。「あめんぼと雨と」を2回繰り返しただけである。この半分で8音だから、繰り返しても16音にしかならない。山頭火や放哉のように自由律という訳でもない。一般に字余りに比べると字足らずは拍子抜けのするところがある。でもこの句の場合、字足らずであること自体に気づかないで読んでいる方が多そうだ。「一体どこで切るんですか?」という質問がくる。これにも色々な答えようがあるが、リフレインである限り、真中でちょっとだけ息を入れてあげたらと思っている。不思議なことに、この句は急いで読むとかなりの雨に聞え、ゆっくり読むと小雨になる。そうは思いませんか?

   水母にもなりたく人も捨てがたく

 主となる部分は後半の「人も捨てがたく」だろう。水母は単に引き合いに出されただけだが、「捨てがたい」と言いながら、水母と比較しているところを見ると、それ程のものとは感じていない。人は一生にそれ程のことが出来るものではない。むしろ資源を食いつぶす、マイナス面が多いのかも知れない。でもやはり水母よりもヒトで居たいのである。

   死蝉をときをり落し蝉しぐれ

 蝉時雨の中から時折、死んだ蝉が落ちてくるという風景だが、私はそんなに潔い蝉を見たことがない。落ちてもまだ死んではいない。近付くと必死になって飛んで行く。それでもその蝉は、蝉時雨の仲間からは落されたのかも知れない。もう鳴き続けるだけの元気はなさそうだからである。ただこの句は蝉のことを詠んでいて、実は人の世を詠んでいるのだと思う。ある程度の歳になると、仲間からも死者が出る。我々は、自分もいつかはその列に加わることも忘れて何のかんのと議論しているうちに、死者は時々刻々落ちていっているのである。

   湯豆腐や死後に褒められようと思ふ

 人生訓にしたいような句である。その意味ではストレートに意思が出すぎているかも知れないが、この句を見ると「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」という万太郎の句も思い出してしまう。その「湯豆腐」があるからこそ、そのストレートさにも拘わらず情趣を醸し出すことも出来ている。「湯豆腐」に助けられたとも言えるが、この人の生き方そのものが、本当にこんな生き方をしたので、名句に名を連ねているとも言える。作者とその生き方を知った上での鑑賞が生きてくる句である。

   天山の夕空も見ず鷹老いぬ

 天山とは天山山脈のことだろう。湘子がこの中央アジアの山に憧れていたかどうかは知らない。ただ天山山脈の夕焼けというだけで、雄大な景色は眼に浮かぶ。彼が主宰していた会の名前は「鷹」である。だからこの鷹は自分自身であろう。亡くなる間際まで活躍していた湘子だが、老いは感じざるを得なかったのか。この句集が彼の最後の句集となった。
 以下は「神楽」以降に発表された句である。

   東京の非情身に付け卒業す

 東京は本当に非情なのだろうか。長く東京に住んでいるとそれを感じなくなる。だけど田舎に帰ると、周りは結構うるさい。色々と口出しをしてくる。それを情というのかも知れない。昔からのムラ社会のままである。だから私はこの非情の方が性に合っている。ある所まではプライベートなことにも突っ込むが、どこかで手を引く。これで東京での人間関係は何となく廻っている。それにしてもこの「卒業」は何だろう。俳句は主語がなければそれは原則として自分である。まさか死を卒業と呼んだ訳ではあるまいが、何らかの予感があったのかも知れない。「鷹」の平成17年4月号に掲載された句である。

   養生は図に乗らぬこと春の草

 これも警句めいているが、本当に何年に詠まれた句かは知らないが、4月15日に胃がんで逝去した湘子が春の草という季語を使っていることが気になる。だけどとうとう図に乗ってしまったのかも知れない。頼まれれば嫌と言えない性格だったようだから、最後までかなり無理をしたこともあるだろう。ご冥福をお祈りしたい。

以上





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050321