句あれば楽あり ?

藤田湘子論 (二)

至遊(しゆう)



 この辺には多少の難解句がある。ただ飯島晴子の難解さとは質が違う。俳句の意味するところそのものは分るが、では何を言いたかったのかが伝わって来ない。以下の4句は昭和37年から44年にかけての句である。まだ「馬酔木」に居た頃の作ということになるが、すでに「馬酔木」的な俳句とは違っている。


   春昼や男の眼もて妻を見る

   気泡となりバンドの男帰る霧

   直視あるのみ夏は真赤な花愛し

   口笛ひゆうとゴッホ死にたるは夏か

 特にこの「口笛」の句は人口に膾炙している。ゴッホと夏はイメージとしては何となく繋がる。でも何故それが「死」なのか、「口笛」と「死」が合うのか、その辺が私には判っていない。本当に皆何かが分って褒めているのだろうか。

 「馬酔木」を退会せざるを得なくなると、自分の主宰の「鷹」だけが頼りになる。これを機会に再び俳句の質も違って来ているような気がする。難解句ばかりでは同人を得ることも難しいというのはうがち過ぎた見方だろうか。

   枯山に鳥突きあたる夢の後

 この句は秋櫻子的な抒情を完全に切り捨てた趣がある。単に組織としてだけでなく、俳句の質としても「馬酔木」を去ったと言えるのかも知れない。

   筍や雨粒ひとつふたつ百

 この展開は面白い。1つ2つからいきなり100である。筍は夏の季語だから、雨(多分夕立)が突然降り始める様子を、数字を使って遺憾なく言い表わしている。

   鯉老いて真中を行く秋の暮

 昭和50年から56年にかけての句だから、昭和と同い年だとすると、まだ老いるというには早すぎる。何となく俳句界の家元化を皮肉っているような気もする。年取った長老が、ゆうゆうと真中を行き、権威だけを嵩に着ている様にも見える。一方その俳句界そのものは秋の暮だというのだから罪は重い。

   朝顔の双葉に甲も乙もなし

 これはいつ頃詠まれた句かが判然としない。上と同様に、まだ俳句を始めたばかりの人に甲乙つけられる筈がないのに、血筋とか、何かの拍子にマスコミに取り上げられたりすると、「甲」の気分になってしまう。またマスコミもどうしてもそんな人をちやほやし過ぎる。力がないうちにマスコミに乗ると一種の悲劇が生まれる。そんなことに対する警句とも取れる。これが戦時中だったら、甲種、乙種という類になるのだろうが。

   今日よりは俳句無頼や寒の梅

 昭和58年の立春に詠まれた句である。この句の良し悪しよりも、この句で以後3年にわたって、1日10句の難行に入るのである。結局それをやり抜いたのだから、その意思の強さたるや、常人ではない。だからこそ他の人の批判をしても認められるのである。

   夕ぐれのづかづかと来し春の家

   はくれんの散るやをみなを知りしごと

 上の2句はその3年の中の1年目の句である。普通なら春は日永と感じるから、夕暮れは「づかづかと」は来ない。ただそれは感覚なので、ある時間になったら、急に暗くなったと作者は感じたのだろう。何しろ「づかづかと」がいい。下の句は男の弱さか。女を知れば男はもう昔の元気はなくなる。「守りに入る」即ち「散る」と湘子は感じていたのだろう。確かに男は女ほど何かにつけて強くはない。特に持久力には劣る。少し「馬酔木」的か。

   藤の虻ときどき空を流れけり

 これは2年目の作。空は(くう)と読ませてある。藤の房に近付いたり離れたりしている虻の様子を、ときどき空を流れたという表現にした。この時期の作ではどちらかというと「わが裸草木虫魚幽くあり」が評価されているが、私はこの句が余り好きになれない。

   涅槃図の人ことごとく大頭

   坂東の血が酢海鼠を嫌ふなり

   年の瀬や奈良日吉館灯を洩らさず

   水仙や祗園にひとり女弟子

   今日は眼をしづめて寒を送らむか

 これらが3年目の作ということになる。そして最後の句が昭和61年2月3日節分の日、丁度3年を経たときに詠まれた句である。やはりほっとした雰囲気も伝わってくる。自分へのプレッシャーも相当なものだったのだろう。単に宣言しただけではなく「鷹」に発表し続けたというから。

 涅槃図は確かに見た目そうである。坂東の人が酢海鼠を嫌うかどうかは知らない。ただ九州出身の自分が納豆を嫌うようなものかと、妙に納得した。湘子の生まれは小田原だから坂東と言えるだろう。日吉館は橋本多佳子の項でも取り上げた、西東三鬼や平畑静塔等と句会を開いていた場所であり、俳句の意味はともかく懐かしくて取り上げた。別に戦時中ではないので、灯を洩らさないように気をつけていた訳でもないだろう。むしろ往時の盛んな頃から比べると、灯そのものが洩れない程になっていたのかも知れない。単なる推定である。

 次の「水仙や」という句は、本当に祗園に女弟子が一人居たらしい。「吉うた」のみみ子さんという方だという。ただこの句が発表されると「・・ひとり女弟子」という類句が沢山出て来たことで有名になってしまった。湘子は何も文句はつけてはいないらしい。

 この難行の後の句は、第3回に譲ることとする。



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050321