句あれば楽あり ?

藤田湘子論 (一)

至遊(しゆう)



 今年、平成十七年四月十五日、藤田湘子氏がこの世を去った。「幽明境を異にする」なんて書く人も居るが、そこまで回りくどく言うのはこの人の性分にも合っていないような気がする。俳句をやらない方のために念のために記すと、湘子は「しょうし」と読み、虚子や秋櫻子と同じく男性である。

 単に男というだけではなく、俳論や主義主張、実行していることを本の上で見る限りでは、かなりの硬骨漢である。ただ私は雑誌等で目にしていただけで、この人の句集は持っていない。全句集を本屋で目にしたこともない。ただ俳句を愛するがための、辛口の評論や自己にも他人にも厳しさを求めた文や第三者の評価は読んだことがある。それは一種爽快なイメージを私に植えつけた。今回俳誌「俳句」(角川書店)が「藤田湘子の生涯と仕事」という特集を組んでくれたので、以前から好きだった句もまじえて、何かを書き残してみたいと思った。

 以前、飯島晴子論を書いたときに、初期は私でもついて行けたが、途中でどう解釈していいか分らない句が多くなり、また晩年は自然体に近い詠み方で、私の理解の中に戻ってきてくれた感じだったが、湘子にはそれ程極端な落差はない。でも影響は受けたのか、多少その気はある。「卯波」での「月曜会」で晴子との交流はあったので、湘子には晴子が何を目指してそんな句を詠んでいたのかは分っていたらしい。このことに深入りすると、また晴子論になってしまう。

 湘子は最初秋櫻子の「馬酔木」に拠った。そしてそこで波郷の影響も受けて行く。また太平洋戦争の中で作句を始めたこともあり、終戦後の社会性俳句の影響も受ける。その後の変化はその都度記すとして、先ず最初の句集から見てみたい。

   雁ゆきてまた夕空をしたたらす

 「馬酔木」らしい句である。ただ「夕空がしたたる」というイメージが判ったようで判らない。説明せよと言われると、多分言葉に詰まる。「雁ゆきて」だから春だろう。春だからこそ「夕空をしたたら」せてもおかしくない。ただまだ言葉の美しさに酔っているような気がしてならない。

   あてどなく急げる蝶に似たらずや

 「山国の蝶を荒しと思はずや 虚子」という句がある。一見似ているように見える。でも実際には全く違う。虚子は蝶を詠んでいる。疎開先の田舎で見た蝶は東京・鎌倉の蝶より元気だったのかも知れない。しかし湘子は多分自分や社会を見つめている。戦争末期の頃には「あてど」なんかなかった。それでも一方で本土決戦を唱えながら、一方では食糧がもうままならなかった。人はみな何かに追われるように動き回っていた。この句が戦時中に詠まれたのか戦後なのかは判らない。句集の発行は戦後だが、もう戦中に作句を始めていたからである。

   犬若し月光をうしなへば吠ゆ

 「月に吠える」ではないが、この若い犬は、実景かもしれないが、自分でもありそうな気がする。何らかの望みがあれば若者もその希望に向って準備を進めるであろうが、そんな自由のある時ではない。すべて人生は与えられるもの、に近い状態であっただろう。そんな暗闇の中で、ストレスを溜め込む暇も無い中では無性に吠えてみたくなる気持が解る。

   春星をことごとく得しその瞑き

 上京して大森に住んだときの句である。大森には多くの文人が住んでいた筈である。ただそれが昭和二十年四月のこととて、東京大空襲の直後である。インフラも破壊されていたであろう。電気ももし回復していたにしても、再度の空襲を恐れて明るい灯をともすことは出来なかっただろう。その暗い大森で、春星が全部見えたと喜ぶのである。この打たれ強さが、湘子の俳句に社会性俳句全盛の時代でも、何となく先の明るさを見せる句を詠むことになる。

   愛されずして沖遠く泳ぐなり

 この句は失恋の句と思うのが普通である。ただ本人の説明では、秋櫻子との関係がうまく行かなくなって、困っていたときの句だという。勿論、他の人が書いていた文を読んだので、その人の勘違いもありうる。「馬酔木」の編集長を昭和三十二年から四十二年まで勤めている。秋櫻子の忌憚に触れて「馬酔木」を去るのはその翌年である。ところがこの句は昭和三十年までの句を載せた、第一句集に収録されている。「馬酔木」を去るなんていう大きな問題ではなく、もっと小さな葛藤があったのかも知れない。

   月下の猫ひらりと明日は寒からむ

 初期に戻ったような耽美主義的な句である。戦後の句だろうが最初に挙げた句同様、言葉の使い方には憧れは感じるが、こんな句はあまり詠みたくない。「寒さ」を詠んでいるので、深読みすれば色んな読み方が出来るだろうが、そこまでする気は起こっていない。

   小説の発端汗の捨切符

 今日採り上げる最後の句である。これからの物語がどう発展して行くのか、つい引き込まれそうになる句である。社会性俳句全盛の頃の句で「汗の捨切符」にはそれらしい匂いがする。しかし前半に「小説の発端」と持ってきたがために、暗さは微塵もなくなった。勿論、小説にも暗いものと明るいものがある。でも取りあえずはフィクションであり、それ程大騒ぎをする必要もない。この先の見える明るさは当時の俳壇の中で(特にこの年代の俳人の中で)は出色のものだったに相違ない。やはり彼の長所と捉えていいだろう。




目次に戻る

050321