句あれば楽あり ?

「第二芸術」を読む

至遊(しゆう)



 色々な文献に引用されたり、解説として載せられているのを見ている間は、桑原氏の言うことは当たっているし、反論する必要もないと思っていた。自分が俳句をやっているだけで芸術家呼ばわりされるのは嫌だったし、私も俳句を芸術だと言い張る積りもなかったからである。それというのも「仲間うちでしか理解できない文芸」という個所だけが強調されており、しかも「作者=鑑賞者」であるという点で当たっているからである。

 しかし一般論として、どんな分野にも秀作と駄作があり、分野そのものに優劣はないというのが持論でもあった。例えば映画でも小説でも秀作と駄作の宝庫である。同じ映画監督が作れば全部傑作かというとそうも行かない。小説にも失敗作はある。いいものは残り、悪いものは忘れ去られて、淘汰されて残ったものが古典になると思っている。逆にいいものは残す努力を我々もしなければならないと思っている。

 「第二芸術」で桑原氏は非常に多くのことを言っている。むしろ言い過ぎていて、論点が明快でない恨みさえある。タイトルに「第二芸術」という刺激的キーワードが付いていなかったら、看過されてしまった論文かも知れない。氏の論点をいくつかに纏めてみると、

@俳句と作者
 ・大家と言われる人の俳句が必ずしもいい俳句ではない
 ・俳句をやっている仲間しか分らない(作者=鑑賞者)。 解説が必要になっている
 ・俳句の一人歩きを許している。

A俳句の矛盾
 ・離俗脱俗と俗談平語の大衆芸術という矛盾
 ・芭蕉崇拝のあまり形を守って沈滞している
 ・人生は詠みこめない
 ・絵に学べなどと言う意見が出ている

B芸術と芸
 ・余技であって芸術ではない

C俳句亡国論
 ・俳句のように手軽な芸術があるから日本は芸術軽視になる

という流れになる。@の第一点はその通りで大家も駄作をいっぱい詠む。だから人で選ぶのではなく句で選ばなければならないが、雑誌や新聞にはどうしても大家の名が多く出る。商業主義を責める訳にはいかないが、せめて無名の俳人のいい句を残す工夫をしなければならない。生前全く顧みられなかったゴッホの絵が世に出たのは、残っていたからであり、作者の努力も含めて残す工夫が必要である。

 また大家と呼ばれるのは世俗的な力によっていて、俳句の力ではないと言われる。そんな現象も確かにある。組織を纏めていくのに長けた人や、文章で活躍している人も、それなりに貢献していると言ってもいいが、多分その人の作品は死後まで残るものは殆んどないと思う。

 第二点は抽象度の問題と見る。小説はすべてを説明し、解って貰わなければ目的を達しない。俳句は読者にかなりの自由な解釈を任せる。だから第三点の一人歩きも出てくる。これは必ずしも俳句の欠点だとは思わない。色々な解釈をされながらも、俳句仲間の中で生き残ったものが、俳句界以外の人にも膾炙されていくようになる。桑原氏は解説と言っているが、これは解釈である。あくまでも筆記者の自分なりのものであり、別の人は別の解釈をする。

 この抽象度の問題は桑原氏が度々例に挙げられるロダンの彫刻にも言える。確かに出来上がった像そのものは具象であるが、ロダンが何を主張したかったかは、すぐに伝わってくるものではない。タイトルが付いていなければ「カレー市民」かどうかも我々には分らないし、またタイトルを付けても、カレーで何が何時起こったかを知らなければ、理解の入口にさえたどり着けない。また「地獄の門」の中央上部に居る小さな一人だけを取り出して、「考える人」として独立させたのは何の意味だろう。そんなこんなで彫刻も見る人の解釈に委ねる芸術である。

 Aの第一点、俳句は連歌から生まれている。連歌は遊びとはいえ、まだ短歌と同じ世界である。俳諧の連歌と呼ばれるものが、その雅の世界に閉じこもっていた文芸を、俗の世界に開放した。だが花を愛で、月を見るという行動が急に変わるものではない。ただその表現は大きく変わって、俗なものになっている。いまでは離俗脱俗という意識はなくむしろ俗の中にいる。

 第二点は確かに韻律という意味では守っている。しかしその短い韻律の中に籠める内容は大きく変わっている。形を守らないと、俳句という文芸そのものが消えうせる。碧梧桐の生涯がそれを暗示している。俳句をなくす必要は全くない。俳句の大衆化のお蔭で平均的な質は落ちたかも知れない。ただそれらの人たちが勉強途上であるか、または桑原氏のいう余技止まりであるかは俳句という文芸には大した影響はない。下手な絵も認めて裾野が広がって行くように、俳句も裾野が広がるのは悪いことではない。

 第三点に至っては言語道断である。秋桜子は俳句界の一部の意見に過ぎない。桑原氏のこの論文が出されたのが昭和二十一年だから、京大事件や俳句弾圧の歴史も知っているはずである。そして楸邨の俳句も目にしているはずである。楸邨は当時から花鳥諷詠ではない。俳句に対する大いなる誤解である。

 第四点の他の芸術に学べと言い出すと、その芸術は滅びるというのはどんな論理から来ているか分らない。アランが何を言おうとも、過去芸術同士が刺激しあって悪い結果を出したことがあるだろうか。印象派の画家は浮世絵に心を惹かれた。手法はまったく異なるが、そこから新しいものが芽生えて来たのでありマイナスには決してなっていない。まして子規が写生を強調した流れとして、俳句は絵になぞらえて説明されることが多かった。虚子の「立子へ」などを読んでも頻繁に絵との比較が出てくる。これが俳句を駄目にした現象は今でも見つからない。

 Bについては芸術と芸とか余技とかいう定義には別にこだわらない。俳句が芸術か文学か文芸か、または単なる芸かと問われても、まずその定義が明確でない。また確かに作者の心の持ちかた次第で少なくとも文学や文芸と呼ばれるものになったり、芸にもならない暇つぶしの余技になったりする。これはどの世界にもあり、寂しさを紛らわすためにピアノを弾く人を、誰が芸術では無いからと言って止めさせることが出来よう。俳句の世界にも色々な人が居るというだけの話である。

 Cの俳句を芸術軽視の悪者に仕立て上げるのは、日本文化が否定されていた当時ということを差し引いても、的を射ているとは言えない。まず本当に日本は芸術軽視の国だろうか。歴史的にみて万葉集に始まり、紫式部のような女性が知識人として顔を出すのは、世界で最初だろうし、室町から江戸時代には多くの日本独自の芸術を生み出している。明治になって今度は一転して西欧を追いかけ始めたのも、国策とはいえ多くの新しいものを日本に持ち込んだ。ここでもし日本の古来の芸術が一時的に力を失ったとしても、それは俳句のせいでは全くない。

 俳句は大衆的であるがために、むしろ芸術に親しみ易さを憶える人を増やしてきたというプラス面が大いにあったと思う。何かをやりながら俳句もやるということが出来るので、政治家に文化を考えるゆとりを与え、小説家に歯切れのいい文章を与え、役者に人や自然を見る目を与えている。手軽に出来る故に悪いという論調はおかしい。桑原氏が指摘されたように、俳句は先ず俳句界の中で鑑賞される。いくら手軽にと言っても、必ずその座にはリーダーが居り、必要最小限のことは教える。桑原氏はそこで教え過ぎまで指摘されているから、手軽に始めた人が、そのまま放置されているわけではないことも十分承知のはずだ。

 前にも書いたように桑原氏の論文は昭和二十一年に出たものであるが、終戦直後という見通しの効かない時点だったとはいえ、俳句が益々その人口を増やし、特に海外にまでファンを作る結果になっていることで、俳句が衰退するという予想は見事に外れた。ただだから俳句の文芸としての質が上がったとは必ずしも言わない。ただ本来文学・文芸と呼ばれている分野は、短歌隆盛の平安時代から、一般教養であると同時に楽しみ方でもあったはずで、その使命などと肩肘張ったものではなかったはずだ。特に俳句の場合は句会という座を通じての楽しみ方になるので、多くの小さいグループが出来ることは自然の成り行きである。これは俳句の限界であり、本やホームページにして発表しない限り、それ以外の人の目に触れることはなくなる。

 一つ気になることは、俳句の傾向に大きな違いは無いにも関わらず、それらの句会のいくつかを纏めたような、結社があり、それが家元制度のようになりつつあることである。本来結社は一代限りのものとされてきたし、蛇笏と龍太の親子は厳密にそれを守ってきた。しかし「ほととぎす」に見られるように世襲になったり、一の弟子が跡を継ぐという形になると、権力意識が生じてきて、俳句が自由と言ってきたものとは違う世界になってしまう。「万緑」や「寒雷」が結社としては継続しながらも、主宰を置いていないのは、ぎりぎりの良識であると同時に、結社を作った初代への愛着の強さと言えよう。ただこれらの結社も、直接初代の師に接したことのない人の代になれば継続すべきではない。残るのは利害関係か惰性での結びつきだけだからである。

2001/9/24 福山至遊

 本論文は俳句フォーラム「集」第2号(2002年1月刊)に載せたものです。他から見たいと言う要望があったので、発行者の承認を得て転載致します。