句あれば楽あり ?

4T+1H

至遊(しゆう)



 虚子の門下に4Sと呼ばれた人たちがいた。水原秋櫻子、山口誓子、高野素十、阿波野青畝の四人の俳号のイニシャルを取ったものだが、何故か男性の俳号にはSのつくものが多い。子規、楸邨、青邨等数え上げればきりがない。かく言う私も至遊だが、所属する葦の会には際立って多い。申牛、三周、尚草、青嵐、湘風、征衣、真峰と私を入れると八人も居る。全体で男性は十四人だから、過半数である。その上本名で通している人に尚紘さんという人が居り、音で読めばSである。

 この4Sに合わせたのだろうが、女流俳人の先駆者を4Tと呼び、星野立子、中村汀女、橋本多佳子、三橋鷹女の四人である。でもどうしても先駆者として外せない人に杉田久女が居るので1Hをプラスせざるを得なかった。では竹下しずの女はどうだ、という意見も出てくるが、ここまで広げると語呂が悪くなるので損をしている。

 その4T+1Hという本が出た。正式には「現代女性俳句の先覚者」である。ソフトカバーの雑誌調のものだが、結構読みでがある。この五人に共通して言えることは当時の高女(今なら大学)を出た、良家のお嬢さんである。しかし俳句の世界での浮沈はそれとは無関係にやってくる。一番興味があったのは久女であった。その1Hのために買ったようなものである。

 この本は単に俳句を並べただけではなく、本人の評論・エッセイや子孫・第三者による評論・思い出等も載っている。そのうちこの五人、またはそれに竹下しずの女を加えた六人を取り上げることになると思うが、まだ読み始めたばかりなので詳しくは述べられない。面白いことにこの六人のうち四人までが九州ゆかりの人たちであり、立子と鷹女だけが殆ど九州に縁がない。

 客観的に言えることは立子は虚子の娘として、その庇護の下に順調に人生を全うし、鷹女は一匹狼として誰の庇護も受けずに生涯を送っている。一方久女は精神的に複雑である。虚子を尊敬しその下で俳句を詠もうとするが、自我の強さからか余り好かれてはいない。かと言って鷹女のように一本立ちもしていない。多佳子はその久女に俳句の手ほどきを受けたが、一度は距離を置いて良家の奥さんに甘んじている。ご主人の没後、この久女からの教えが役に立つことになる。

 このように見て来ると久女に続いて鷹女、多佳子と興味が出てくる。立子は恵まれ過ぎた環境だけに、人生にも俳句にもドラマがない。汀女はその中間というところか。長谷川かな女という人は零余子と結婚し、虚子のもとを離れたが零余子没後は、零余子の発刊した俳誌を継続しながらも、虚子との縒りも戻している。こんな器用なことが出来ないのが久女であり、自信と評価のギャップにストレスが溜まってくる。最後には虚子からホトトギス同人を除名されることになるが、この事件については、どちらを悪者とするか相半ばしている。除名後に

   
虚子ぎらひかな女嫌ひの単帯    杉田久女

という名指しの俳句まで残している。そうでなくても結婚生活にも不満はあり

   
足袋つぐやノラともならず教師妻  杉田久女

という有名な句を詠み、結局気は強いが古いタイプの女だったことを白状している。

 もう故人になってしまった飯島晴子が久女について一文を残している。これが一番客観的に、しかも俳人として久女を見ているような気がする。これについては別途述べることになると思う。久女自身の文も沢山残っている。松本清張が短編で取り上げ、田辺聖子も書いている。実は虚子自身が久女からの便りを元に、一編の小説を書いている。一応フィクションの形を取っているのでどこまでが本当だか分からない。

 この五人または六人について書くとすれば、気になる存在の久女から書くべきか、一番気にならない立子から書くべきか迷うところである。衝動としては気になる存在を当然書きたい。でもそうすると立子を取り上げる頃はもう興味は失せているかも知れない。だからまだ決め兼ねている。

 今回は予告編のようなものになってしまった。ご勘弁いただきたい。



040214