ボストン、ニューヨーク見聞録


 1998.10 茶谷 達雄

schaya@ba2.so-net.ne.jp

 1998年9月22日から9月29日まで、米国のボストン、ニューヨークを回ってきた。この見聞録は、独断と偏見に富んだものだが、そのときの土の香りを記録したものである。ご笑覧いただければ、幸いである。

安全・清潔なニューヨークに驚き  ニューヨークは、12年ぶりの再訪だったが、安全でゴミの少ない清潔な都市に変身しているのには、全くの驚きであった。
3年前から、急速に改善されてきたとのこと。これには現地での意見で、信頼のおけそうなものに、つぎのようなのがある。
もともと治安のよいボストンの警察署長を、ニューヨーク市警にスカウトし、これまで見向きもしなかった小さい犯罪事件を、徹底的に取り上げ解決していったそうである。そうしたら、その筋から大物まで引っかかって、徹底的に検挙できたそうとのこと。これまでと、全く逆の方策をとったそうである。 また、安全はタダではなく、金がかかるとの意識もあり、警察官も増員し、税もあげている。そういえばボストンの消費税は5%でしたが、ニューヨークは8.25%であった。 地下鉄も落書きはなくなり、線路を含め整備を進めているとのこと。あの悪名高い危険視された地下鉄も、安全になったそうである。 黒人の多い街ハーレムにも、ただ座っているだけの人は、本当に少なくなっている。(このへんは、米国の好景気の影響が強いかもしない。)車でいったら、ウインドウを勝手に拭いて、金よこせと迫る姿は、過去のものになりつつある。
そこでの驚きは、 ハーレムに、企業進出のためのビル建設が進んでいることである。これは地価が安いこと、交通の便はもともと良いこと、市の補助があることで、21世紀初頭には、きれいな都市に生まれ変わろうとしている。そのため空いて廃墟になったビルは、入口をコンクリーでしかり閉めて、入れないようにしてしまい、将来に備えていた。
 
不景気で旅行者はご満悦  ボストンへの日本人旅行客は、この不景気で40パーセント減で、現地の旅行会社は青息吐息。成田からサンノゼまでの、航空機の利用率50パーセント。そのため座席は、一つおきに指定。お陰でゆとりは、エコノミーでもビジネスクラス並。われわれ夫婦も、通路を挟んで座席を割り当てるという、いきな計らいをしてくれる。新婚旅行者だったら、気毒。  ツアーの申込みに、成立最少人員2名とあった。われわれ夫婦で申込んでいるから、このツアーは成立まちがいなし、と踏んで予定を立てていた。当日、成田へ行ったら、われわれ2人だけ。これでは、現地でお抱えのガイド付きとなり、高級旅行者並。  旅行会社では大赤字だろうが、旅行者にとってはやや心細いが、度胸をきめればこんなまとまりのよいツアーはない。不景気のお陰で、旅行者はご満悦。

うそとユーモアのハーバード大学 「ノーベル賞世界一、ボストンのハーバード大学」これが私の理解だったが、ハーバード大学は、実はボストン市にはない。チャールス川を隔てた対岸の、ケンブリッチ市にある。ただ、ボストン首都圏に包含されているので、丁度、「千葉県にあっても東京国際空港というが如し」のようなものであろうか。 卒業生の雅子さんが、わが皇太子妃になられたことは、 ハーバード大学の名誉だと、たいへんな喜びようだったそうである。ご成婚式の時刻に合わせて、鐘をならしたそうだが、時差13時間であり、真夜中に打ったのであろうか。
大英帝国と戦い、独立を果たしたのに、地名や川の名前が権威そのものだし、卒業生が皇族の一員になることを、ことのほか喜ぶとは、アメリカの自由主義と権威主義の、矛盾と相克の一面を表しているようである。
ハーバード大学の構内にある創立者の記念像が、三大うそで有名とのこと。まず、創立者の顔は誰も知らないので、作成のとき最も美男な学生を、モデルにして作ったうそ。次ぎに、そこに彫られている創立者の名前は、後で違っていたことが分かったうそ。更に、建学の年月日も彫られているが、これも誤りであったうそ。 こんな像なら、日本なら撤去されるかもしれないが、ハーバード大学では人気があり、その像との記念写真が、たいへん多くとられているようである。特に、像の左の靴先に手をつけて撮ると、ノーベル賞がとれるくらい優秀になるそうとのこと。靴先だけ手で触るので、そこだけノーベル賞のように光り輝いていた。 記念写真をうながされたが、今更と、撮らなかったが、日本に帰ってきてから、シマッタと思った。今からでも、遅くないのに。やはり記念写真は、なんでも撮っておく方がよさそうである。

小型車を愛用するアメリカ  2人前もあるサンドウィチ。3人分の大きさのジュース。2キロのステーキを食べる底力。米国横断ジェット機で5時間、丁度東京からタイのバンコックあたりか。とにかく大きいことに価値を見出すアメリカ。それが乗用車となると、小型車とくる。奇妙な組合せだ。 いわく「オイルショックを契機の省エネ、排気量を抑えて環境保護」と伝えられ、さすがアメリカと、敬服していた。ところが、それは結果であって、原因でないことに気がついた。 真の原因は、ボストン、ニューヨークの市街地のように、駐車場がないことによるようだ。ニューヨークでは、アベニューといわれるメインストリートは別として、それと交差しているストリートは、道路の両側は、路上駐車でいっぱいである。それもハモニカの孔のように、ぎっしり詰まって並んでいる。ボストンでも同じである。驚くことに、それも場所によっては、片側だけでも2列駐車で、合計4列である。こうなると広い道路も、車が1台、ようやく通れる広さしか残っていない。当然に、一方交通に規制してあるのも、うなずける。 考えてみれば、ボストンもニューヨークも、モータリゼーション以前にできあがった都市である。駐車場は、とても作ることはできない。駐車するには、路上の少しの空きを探して、そこに強引に入れていくことしかない。その運転技術は、相当なものである。ボストンで運転できれば、全米のどこでも運転できると豪語しているが、本当にそう思わせるものがある。 ニューヨークから、高速道路を時速150キロで飛ばして、1時間のところにあるアウトレット(ブランド商品の安売り市場)に行ったとき、行き交う自動車は、圧倒的に小型車が多かった。胴長の乗用車は、数台すれ違っただけである。助手席には、マリリンモンローのような女性に、ネッカチーフをなびかせて座らせ、超長のリンカーンを運転するというアメリカンドリームは、少数のエグゼクティブが乗り回していたときの話だ。そんな胴長の車で、都市に一旦入ったら、止めることはできないだろう。要するに、小型車でなければ、生活と仕事ができないのだ。 そういえば、イタリアのフェレンツェに行ったときもそうだった。フェレンツェは、もっと古い都市である。そこでも同じように、路上駐車が当然である。しかし、イタリアは、アメリカよりすごい。駐車するとき、ブレーキをかけてはいけないことになっている。つまり、ニュートラルにしておく。それはお互いが駐車するとき、前後の車を自動車で押しのけ、場所を作り、入れることができるように、しておくというもの。当然バンバーは、傷だらけである。バンバーはそのためにあるから、へとも思っていない。日本でバンバーに傷をつけたら、弁償を求められるのとは大違いである。 古い都市では、駐車場はできず、路上駐車は当然としている外国。日本から見ると、なんと無策な都市と思わせるが、これも理解できるというもの。むしろ日本にも輸入して、いま寂れている地方都市の旧市街地商店街に、路上駐車歓迎の地域を作ったら、起死回生の手となるかもしれない。

ボストンの真善美 (真)
ボストンの人口の、19%が学生だそうだ。ボストン大学は、全米第3位の大きさとか。市街にも、やたらとカレッジが目につく。最後は不幸に終わったが、若きジョン万次郎も、ここで学んだそうである。まさに学生の街である。
ヨットの浮かぶチャールス川辺の、緑豊かな公園のベンチで休んでいたら、学生らしいのが、ジョギングやキャタピラのついたローラスケートで、走り去っていった。若さに溢れていて、頼もしい。
ちょうど、友人らしい2人づれの学生がきたが、2メートルほど各人が離れて、芝生に横になり、それぞれが持ってきた本を、お互いが邪魔にならないように、読み出したのが注目された。それぞれ励まし、環境を作り合いながら、真理の追究に努めている姿が、なんとも新鮮に見えた。 いつも日本では、茶髪、女子高生の白のずっこけ靴下、駅や電車のなかでの床にとぐろを巻いて、しゃがみ込んでいる若者を見ている人間にとって、ボストンの若者の姿は、別天地のように思えた。日本の将来は、どうなってしまうのだろうか。 (善) ニューヨークが導入した、ボストンの善良な治安システム。帰国してから、ボストン市長のインターネットのホームページを見ていたら、つぎのような、メッセージが目に入った。 Public safety
"Public safety is the cornerstone of urban life. Thanks to the devoted men and women of the Police Department and the Fire Department, Boston has become a model for the nation."
-Thomas M. Menino, Mayor of Boston
これによれば、警察と消防は、全米のモデルになっているようである。なるほど、治安の良さが、実感できたわけである。やがて全米が、ボストンやニューヨークのような治安の良い都市になって、旅行が安心してできるようになることを祈りたい。 (美) ボストンの街は、美しい。ヨーロッパ風の赤レンガの建物が、よく保存されている。内部の改造は自由でも、外観は厳しく保存するように、規制されているそうである。公園も多く、緑も豊かだ。 ボストン交響楽団は、これから約半年は地元で公演するそうだ。その小沢征爾の信頼は、抜群だそうである。18年間も常任指揮者をやっているのは、史上はじめてとのこと。 ボストン美術館は、日本の作品の収集規模でも有名である。ちょうど、ボストン美術館では、画家クロード・モネの特別展をやっていた。水面に咲く蓮の花(題名Water lily)がボストンによく似合う。日本室に入ってみたら、さすが日本人好みの落ち着きと品格があり、岡倉天心の努力が偲ばれる。 しかし、広い展示室に、ひと気はなく、すでに、日本ブームが去っていることを、肌身に感じてきた。中の日本庭園の手入れは、「横浜そごう」がやっているとのこと。デパートも不況だが、やめないで欲しい。わが家の庭を見ても、手入れをしない日本庭園ほど、見るも無残なものはない。 最後に、美食を一つ。アメリカの食事ぐらいまずいいものはない。チキンは、紙を食べているよう。ステーキも大味。そこで、ボストンは港でもあるので、昼食をガイドさんに一緒にと誘い、シーフードとしゃれこんだ。ロブスター、カニ、カキ、カイの盛り合わせを注文した。注文してから、シマッタと思った。海外旅行では、なま物は慎まなければならないのに、早くも禁を破ってしまった。食べたあと、二三日は心配だった。幸い、ことなしにすんで、胸をなで下ろした次第である。「虎穴に入らずんば、虎子を得ず」か。 ボストンは、はやくも秋を迎えていた。梢も心なしか色づんで、秋の陽光と美しく調和していた。今後も、ボストンは落ち着いた雰囲気のなかに、真善美を兼ね備えた都市として、活き続けていくだろう。

アメリカン航空 今回のアメリカ行きでは、別な楽しみが一つあった。それは、アメリカン航空(AA)で行くことを、旅行会社から伝えられたからである。 AAは、かねて戦略的情報システムをいち早く導入し、アメリカの航空業界の覇権を、握ったところである。そこが、どのようなサービスをしてくれるのか、実体験できるからである。 結果は、サービスはサラットとしているが、まず十分といっていいだろう。一般的に、外国では日本と逆で、スチュワーデスに乗客が合わせなければ、サービスが受けられない傾向がある。AAでは、そのような感じはない。機内も清潔であり、さすがである。成田発の機では、日本語がわかる乗務員は、5人いるとアナウンスしていた。 スチュワーデスを見ると、高齢化が進んでいるようだ。これはアメリカの先任権により、リストラ時には新しい人から辞めるからだろう。ノースウエストでの話しだが、スチワーデスの高齢化がすすみ、上の棚の蓋が開いていたとき、乗客に閉めるように、指示したとか。成層圏の高齢化社会といえよう。 必要にして十分なサービスを受けつつ、いよいよ帰国の途についた。シアトル発12時50分発の予定で、乗り継ぎ便を待っていた。ところが、航空機の整備のため14時40分発になるとの、アナウンスがあった。機械の調子が悪く、これはヤバイなどと話していた。 乗り継ぎを世話をしてくれるアメリカ在住のガイドの人が、航空会社の顔なじみに聞いてくれたら、予定の機長が急病になり、変わりを手配しているので遅れるとのことで、安堵の胸をなでおろした。 この遅れのため乗客に、ちょうど昼どきであり、15ドル以内で、自由に食事をとってくれとのことで、好きなもので、昼食をすました。機長の手配も順調にいったのだろう、14時20分ごろ出発することになった。
ところが機内で、また昼食が配られた。さすがに、ハシがすすまない。少し手をつけて、残してしまった。かたつけのとき「I'm sorry.」と、丁重におわびして返した。取る方も悪かったが、配るほうもどうか。
帰りの機は、満席であった。日本語を話す乗務員は、どうも2人ぐらい。あの恒例の機長のポイントごとの状況説明で、あるとき、機長が早口でながながと説明していたが、日本語での追加説明が「機長によると、ベルトを締めてくださいといっています」だけには、思わず苦笑してしまった。「行きはよいよい、帰りはこわい」である。 ボストンでの話しだが、ユナイテット航空が利用客数で、ついにAAを抜いたそうである。これまで覇権を握ったAAは、どこに飛んでいくであろうか。

したたかな商法 旅行には、ショッピングはつきものである。ニューヨークを回っているうちに、首をかしげたくなる商法にぶつかった。
朝から、ニューヨーク郊外の、今はやりのアウトレット(名前ウッドベリー・コモン・プレミアム・アウトレット)に行ってみた。東京・三島間ぐらいの距離であろうか。
日曜日であったので、午前中は、がら空きであった。昼近くなってから、家族づれがおおぜいになり、活気がでてきた。おそらく教会で、礼拝を済ましてきたのだろう。
土地の安いところに、工場直送と、少し流行が過ぎたブランド商品をおき、家族で楽しんでもらいながら、廉価で提供しようというものらしい。
品物を冷静に見ると、掘り出し物もあるようだばが、ブランドもので、どう見てもブレザーの肩の部分が紫外線で焼け、少し色がうすくなっているのがある。古さが、わかるというもの。日本ならいくら安くても、新品としては売れないだろう。やがて、この企業は、日本にも商社と提携して進出するそうだが、ご用心ご用心。 五番街を締めくくるような場所に、ティファニーの本店がある。広い1階の商品ケースのものは、ほとんど正札が見えないように、隠して飾ってある。たいへん、買いにくい。防犯のためか、買い物心理をあおるためか、はたまた、経営があやしくなったテファニーを買収(?)した三越の商法か。 経営の透明性とか情報公開にうるさい米国で、こんな商法がまかりとおるのは、矛盾もいいところではないだろうか。
五番街の銀食器を売っている店に入ったら、年寄りの店員が、われわれにプロマイドを見せて、この人知っているかと聞いてきた。見たら、美川憲一のである。これはミカワケンイチだといったら、フウンといっていた。こんなところにも、彼のプロマイドが流れているのはおもしろい。世界の美川になったのか。あるいは、日本人の客を迎える商法か。
いずれにしても米国商法は、したたかのようだ。

レストラン ヒッチハイクでない限り、必ずお世話になるのが、レストランである。
「更科、立ち食いそば、寿寿司、天海、瀬里名、かつ濱、浪花、おたべ、どさん子、新橋、節句、伊勢、めんちゃん亭、おい川、元気すし、はまや、まるちゃん、田能久、梓、築地寿司清、スナック圭子、梓、濱、ひょうたん日本、鬼が島」
これらの店は、日本でのものではない。れっきとした、ニューヨーク五番街周辺のものである。観光の案内図の中から、かって日本で聞いたことのある料理店の名前を、ピックアップして見た。日本料理店は、これらを含めてざっと50近くあった。なかには「回転ずし」まである。食事に関しては、外国に来た感じはしない。それが、ニューヨークである。 2店ばかりに行ってみたが、うっかりすると気付かず、通りぬけてしまいそうな店構えである。しかし、中に入ると、きれいに装飾されており、日本とほとんど変わらない。こんなに、五番街周辺に日本のレストランが集中しているのは、旅行者、ビジネスマン、在留の日本人(約5万人とのこと)のためか。あるいは、ヘルシーを求めるアメリカ人のためか。ついに判らずじまい。  ニューヨークでは、世界各国の料理が食べられるようだが、アメリカ料理店は、聞いたことがない。恐らく、マクドナルドに代表される、立ち食い文化だろう。 インドカレーが食べたくなったので、日曜の夜、インドレストランに行ってみた。例によって、入り口は貧弱だが、なかは立派な装飾がされ、インドの雰囲気がいっぱいである。店内には、慇懃なインド人のボーイが制服をまとい、忙しそうに動いていた。客には、美しいサリーをつけたご夫人をともなった、家族連れが多かった。おそらく、祖国の感触を味わっているのであろう。 日本のレストランも、もしかしたら、同様な利用のされ方が、なされているのかも知れない。

アングロサクソンはどこに行った アメリカは、人種の万華鏡といわれている。しかし、今回の旅行では、米国建設の立役者、アングロサクソン系らしい人には、めったに会わなかった。アフリカ系、ヒスパニック系、そして、われわれのモンゴロイド系などが目についた。
旅行者が接する相手は、ホテル、ショッピング、レストラン、エンパイヤステートビルなどの観光名所でである。いわば、サービス産業だ。アングロサクソン系の人たちは、この分野には、従事されるのが少ないのかもしれない。
ディズニーグッズの店で、アングロサクソンらしい客が、おもしろい品を持っていたので、どこのコーナにあるか聞いたら、「I don't know English.」と流暢な英語で返ってきた。あれ!。やっぱり違ったか。アングロサクソンの人たちは、どこへ行ってしまったのであろうか。

パスポートではまだ旅行中 「入り鉄砲に、出おんな」日本は伝統的に、入出國は厳しいものがある。ところが米国は、入国は検査があるが、出國は検査がない。航空会社に、紙切れを渡すだけである。生活と知識を求めて、集まり過ぎる米国では、出るを拒まずのようである。 そういえば、パスポートを見ると、日本では出國と入国の両方のスタンプが押されている。しかし、米国では、入國時の一つのスタンプしかない。パスポートを見る限りでは、まだ、アメリカを旅行中である。こんな思いを残して、無事日本に帰国した次第である。