ゼロになるからだ


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 覚和歌子氏の詩集「ゼロになるからだ」から

2015-07-24 青木弘行

 著者のCD「青空1号」に宮崎駿氏が一文を寄せ、その中で『"風に投げた麦藁に君は叫んだ 未来で待っててと"である。この詩が好きで、何度もかみしめようとしたのだが、判るようで判らない。この世とあの世の際を、はつらつと闊歩している覚さんの詩の本領で、つかまえようとするとスルリと逃げる・・・・』 
 これによっても、この詩人がこの世とあの世が隔絶していないと思って(あるいは感じて)いることが察しらレます。
 実は、物理学の立場で申し上げますと、アインシュタインの質量とエネルギーの方程式(波動エネルギー=質量×光速の2乗)が般若心経の「色即是空・空即是色」の数学的表現である事は、旧約聖書を信奉するユダヤ教徒あるいはキリスト教徒の物理学者(殆どが該当)以外の物理学者には数十年前から常識になっていました。これと質量不滅の法則と合わせますと、体は心とは同じ時空間の中で遊離出来ることになります。
 それをこの詩人は「ゼロになるからだ」と感じたのではないでしょうか。つまり、ここでの「ゼロになるからだ」とは「体」から抜け出た「心」が自分を客観的に見ている状態でしょうか。あるいは心が抜けた体を「ゼロのからだ」と感じたのでしょうか。
 アインシュタインは相対性理論で人間が見ている実時間に超越する時空間があると言っています。それによりますと「千の風になって吹き渡る」こともある、つまりこの世とあの世は同じ時空の中だというのです。時空という観念をご存じでない方でしたら「ゼロになるからだ」という表現を「あの世のような、この世のような」と不可解に思われることでしょうが、いずれにしてもこの詩人はアインシュタインの時空を感性的に知覚しているのでしょうか。