2004年9月の日記

2004年09月01日

先週の検診結果を聞きに行って来たわ。結果、空腹時血糖=109,Hba1c=5.3で全くの正常値。おめでとう、アタシ、おめでとう、自分。って前にけーたが日記で書いてたようなフレーズだけどさ(笑)。このところカロリーも300〜400kcal増やして、体重も1.5kg増えてのこの結果だから、本当にコントロール、上手く行ってるみたい。他の値もぜんぜんOKだったから、バリでは思いっきり飲み食いするわよっ。

夜は新課長とサシで飲み。この課長、女課長と同期なのよね。今日も夕方、ちょっと女課長とのバトルがあったんだけど、アタシの言い分も新課長にはかなり納得してもらって、アタシとしてはかなり溜飲を下げた気分。明後日のプレテ資料も明日一緒に作成してもらえるということだったので、今日は鋭気を養った感じ?でも変な話、こんなことで気分よくなるんだから、アタシもかなり単純よね。

ところでめざめしテレビの新しい「僕らはみんな生きている」。フレンチ歌手のクレモンティーヌとその娘が歌ってるんだけど、朝からボソボソと気持ち悪いったらありゃしない。フランス語で唄えば点数5割り増しだなんて、今やもう古いわよ。早く新しいバージョンに変わらないかしら。



2004年09月02日

新しい課長と二日連続で飲みに行ってるんだけど、アタシ、周りからなんやら責任感のないヲンナと見られているらしいわ。その課長曰く。こんなに徹夜して、こんなに客先にも足繁く通って、こんなに休むのも我慢して、あげくは体まで壊して頑張ってるのにどうして?

つか「年に3回の海外旅行はもはや義務」だとか「ニューヨークはアタシの第二の故郷」だとか「OLたるもの習い事とエステにはお金掛けなきゃ」だのという若い頃の発言が、どうもアタシのイメージを形作ってるもよう。いや、今でも確かに「徹夜はしてても心はOL」とかなんとか言ってるけど、アタシがOLと掛け離れた生活を送っていることは、身近な人からすれば自明のこと。なのにどうして?、というより以前に、それだけイメージって拭いがたいものみたいね。キャリアOLじゃないかという話はあるにせよ。

確かに自分で意図的に作り上げたイメージではあるけど、一般職OLが毎年2億や3億のシステム開発を連続でリリースするかっていうの。ほんと、もっと本質を見て欲しいわね、と思いつつ、イメージ戦略を間違えたかという疑念も少しあり、みたいな。というか、結局のところ、ノンケおやじ達とオキャマの感覚は相容れないということかしらね。ユニーク=会社では冷や水、って昔なにかの記事で読んだように。イメージを変えるために結婚を勧められたけど、そんなにもノンケって「仲間意識」が大事なのかしら。ぐちぐち。



2004年09月03日

常務&取締役プレテ。

8時前に出社してストーリーを若干手直しして、9時半から自部署内のマネージャー陣に事前プレテ。やっぱり味方は多くしておかないとね。本番で身内が敵に回ると目も当てられないし。ストーリーを共有し、少し資料の手直しを指示されて、いざ敵陣へ。って別に「敵」じゃないんだけどさ。

プレテは11時から。建屋が違うので早い目にタクシーで移動して、まずは新課長と後輩を向こうの部署の取締役と部長に紹介して、事前の雰囲気作りにも奔走。そのお陰もあってか、プレテはとてもスムーズに進んだわ。やっぱり根回しって大事なのねと改めて実感。新しい課長、この辺りすごく長けてるので、ぜひとも吸収したいところね。

午後はすっかりボケ老人。午前中のプレテは、今のシステムのリリース報告という側面も兼ねていたので、なんか自分の中で一区切り付いちゃったの。もちろん開発の後片付けというかクロージングは残ってるし、システムというものは作ったら終わりじゃなくて常に手の入るものだから、その体制作りもしなきゃいけないんだけど、取り敢えずは後輩に考えさせようかな、と。

来週は組織変更に伴う宴会が目白押しだし、再来週は待ちに待った夏休み(バリ旅行)なので、この間になんとか鋭意を養いたいと思うわ。

夜は某アーティストのシークレットライブのドレスリハーサルに潜入。って本番さながらにやってくれたので、普通のライブと殆ど変わりなかったんだけど。「なんでもオーケストラアレンジにすりゃいいってもんじゃないでしょ」とか、「やっぱりクラシック専用ホールでPA使うと響きがおかしくなるな」とかいろいろ思ったことはあったけど、ラストの"You Go Your Way"はマジでよかったわ。というか○珍の声ってほんとにセクシー。声に魅力があるというのはああいう声のことを言うのね。

ライブを聴いてすっかり唄いたいモードになってしまったので、その後はカラオケになだれ込み(バカ)。そしてそれでも飲み足りなかったので、午前2時頃まで場所を移して飲み。正しい会社員生活だわ。



2004年09月04日

昨夜(今朝?)はしっぽり呑んでたので、起きたらもう昼前だったわ。

ご飯食べて洗濯物干して軽く掃除したらもう夕方、コーラスの練習に出掛けたわ。でも昨日カラオケでがなってたから声がガサガサだったのよね。それに楽譜開けるのも合宿以来1月ぶりだったから、音も忘れちゃってて。みんなに迷惑掛けちゃったので反省しきりだったわ。演奏会も10月と目前に迫ってきてるから自習に励まなきゃね。

その後は夕飯も兼ねて軽く飲んで帰宅。でもこのところなんだか、夜になるとふらふらと徘徊したくなるのよ。と云っても一人で飲みに出掛けるような玉でもないので、結局家に帰っちゃうんだけど。単にストレスを発散したがっているのか、深夜残業が少なくなったのに体が慣れてないのか、それともアタシの中に流れる夜鷹の血が目を覚まそうとしているのか。東電OLよろしく渋谷は円山町のラブホ街にでも立ってみようかしら(笑)。



2004年09月05日

なんだか肌寒いわね。しとしとじめじめと雨が降り続いて梅雨どきに戻ったみたい。というか、8月も終わったので秋雨前線というべきかもしれないけど。今年は例年以上に夏が早く過ぎ去ったように思うのは、やっぱり仕事が忙しかったせいかしら。でもアタシの夏はこれからよっ。とか言ってみたりして。

今日はSei子さんのお誘いで、サマンサ、キムラさん、Kさんと「NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE」を観賞。いやー、面白かったわ。かなりほろりともさせられたし。でもハッピーコーラ、あの伏線は一体なんだったんでしょう?香取くんの赤ふん姿は明らかに子供連れ奥様へのサービスカットで、さすが電通、マーケティング戦略は完璧といったところ。

その後はワタミでひとしきり飲んで帰宅。



2004年09月06日

地震、怖かったわねぇ。こちらではせいぜい震度1か2ってところだったと思うんだけど、とにかく長く揺れてて、震源地付近の大変さが容易に想像できたわ。アタシ、阪神淡路大震災のとき、大阪市の南部に住んでたんだけど、震度4でもベッドから起き上がれなかったから、震度5だと推して知るべしだわよね。

去年だったかの東京直下型地震の予言が外れてから、アタシ、飲料水の買い置きとかもやめちゃったんだけど、やっぱり準備しておくべきよね。取り敢えず枕許の懐中電灯&ラジオとお風呂への水の備蓄だけは始めたわ。



2004年09月07日

新しいグループの結成会。

1次会は焼鳥屋、二次会はオーセンティックバーというごくごく普通の宴会の流れだったのに、二次会のバーで同じ部署の同僚に会ってしまい、3次会でダーツバーに行く破目に。

まぁアタシの身体能力については自分も含めて誰も期待していないので、まぁいいと言えばいいんだけど、いい点数が出ないのはやっぱり悔しいわね(正直)。

今日の宴会、少なくとも1次会は課長プラスメンバー4人という少人数のグループだったので、割としっぽり話せたのはよかったけど、二次会で女課長の悪口を出しちゃったのは失敗だったかも。まだ年端も行かない若い連中もいたし。

でもそういうディープな話をしたお陰で、女課長のせいで退職に追い込まれたOLの話とかも聞き出せたので、ある種の収穫は得られたかも。女課長の更迭、実行に向けて粛々と計画進めなくちゃだわ(腹黒)。



2004年09月08日

久しぶりに社外のセミナーへ。

途中で退屈な局面もあったけど、今話題になっているトピックを俯瞰的にまとめて聞くのは、やっぱりいいものよね。というか、開発に没頭してると、やっぱりどうしても「持ち出し」の部分が多くなっちゃうのよ。現場の仕事そのものから学ぶことが多いのは否定しないけどさ。だからたまには自分に栄養を与えてあげないとね、枯れてしまうというか。

それに、何事にも先人はあらまほしきものというか、今の仕事を次のステージに上げるには、近視眼的になっていたら駄目で、人の意見聞いたり、他社の事例を見たりすることが本当に参考になるのよ。だからいい機会を与えてもらったなと思って。今週末も大阪でセミナーだから、今のうちにいろいろたっぷり吸収しておきたいと思ったわ。

夜は元同僚達とカラオケ。出向先でシステム開発している後輩が、「雨ニモ負ケズ」とか"Happy Birthday"とかやけにマキハラを歌うので、これは落ち込んでいるのだなと判断、カラオケの後、ガス抜きしにバーに連れて行ったわ。悩みはいずこも同じというか、結局は人との関係に尽きるのよね。2時過ぎまで飲んで帰宅。



2004年09月09日

昨夜慣れない「ガス抜き地蔵尊」を演じたので、今朝はさすがに眠かったわ。

遅れないように出社してしばらくしたら、新課長から休暇中の連絡先を教えるようメールが入ったわ。いや、弊社、9/17に大規模な異動があるのよね(恒例の秋の人事異動)。前にも日記で書いたように、上海行きはなんとなく免れたと思うんだけど、ウチの部署内で見ると、かなりバランスが悪いグループもあるし、それに他部署への異動もありうる話だわ。

先週のプレテのときの常務の発言からすると、来年は来年で大きな開発が回ってきそうな感じもあるので、一概に異動と決まったわけではないけれども、こういう「前振り」があると、やけにどきどきするわよね。どうでもいいから、もし異動なんだったら、夏休み前に言ってくれー。



2004年09月10日

大阪出張。

弊社の工場長の講演を聞いたんだけど、システム部門って要は「工場」なのよね。とりわけ運用に関してはそういう色合いって濃いと思うんだけど、その割に日々安全に質のいいものを生産しつづけることについては恥ずかしながら無頓着だったんだなと思ったわ。

こういうことに気付いたからって、すぐに品質がよくなるわけではないけど、これを機に一歩前進したいわよね。というか、外部にノウハウ頼まなくても、同じ会社の中でもいっぱいいいナレッジがあるんだなぁと感心したりして。なかなか表に出て来ないのは問題だけど。

夜は同僚と飲み。この前の日記で、後輩に障害を持った子が生まれた話は書いたけど、今度は同期の奥さんが病気で臥せっているという話を聞き。独身は独身で自分のことがいろいろ心配だけど(老後のこととか)、家族持ちの心配ごとに比べたら、やっぱりお気楽なのかなと思ったわ。そいつらの悩みに比べたら、女課長のことなんかで腹立ててたら罰が当たるわよね。



2004年09月11日

京都で合唱の練習。

最近合唱してるせいもあって、声はだんだん出るようになってきたけど、なんというか、クラシックの「ノリ」を忘れちゃってるな、と思って。

学生のときから、声質・声量的にはアタシより上手いやつも沢山いたけど、曲の解釈やセンスのある歌い方に関しては人後に落ちなかったアタシが、曲の表情付けに関して注意を受けるとはねぇ。まぁ卒業以来15年にわたって、ギミックたっぷりにカラオケしか歌ってこなかったんだから仕方ないとはいえ、やっぱりちょっと落ち込むわよね。人生を否定されたとまでは言わないけどさ。

夜ははやかわさんと焼肉をつつきながら、バリ旅行の打ち合わせ。向こうでは基本的に「しないしない夏」(古いね、アタシも)がテーマなので、エステ行こうとかプールでくつろごうとか、バロンダンスやケチャを見ようといったざっくりした話に終始したわ。

でもほんと、夏休みが取れるような身分(?)になれたのね。この前ジャカルタで爆発事件があったところでテロが怖くはあるけど嬉しいわ。



2004年09月12日

やっぱり京都の食べ物って美味しいわねぇ。今日は朝から、唐辛子とじゃこの炊いたんとかお揚げの焼いたんとかを食べて、至福の食生活だわ。って材料的にはむしろ貧乏臭いと云ってもいい代物だけど(笑)。

今日は特に外出の約束もなかったので、コーラスの復習して、散髪行って、あとは背広を仕立て直しに出したわ。中学のときの同級生の親がやっているテーラーがフェアをやってたので。いや、新しいスーツ買うのも楽しみではあるんだけど、昨年仕立てたやつがもう着れないのは、正直しのびないのよね。廉い話で申し訳ないけど。大幅に痩せたせいもあって、1着につき11,000円掛かったけど、買いなおすよりは安いわよね。

で、そこのオヤジさん(同級生の父親ね)としゃべってたんだけど、やっぱり高校まで地元の学校に通ってると、地元でいろいろつながりができるようなのよね。ウチの弟見てても分かるけど。アタシなんて高校から京都市内に出ちゃったから、里に帰っても親を除いては誰も会う人もいなくて。あの高校に行ったから今の自分があるんだけど、地元にいなかった寂しさを少しだけ感じたわ。



2004年09月13日

旅行に行くとなるといろいろ慌しいわね。まぁこの後楽しいことが待ち受けているんだからへっちゃらだけどさ。

夜は「バーブラの館」現地特派員のけんを迎えて、新宿の「黄金の豚」という居酒屋で飲み。メンバーはけん、Suzuさん、しーさーさん、アタシの4人。levieさんは体調を崩されたとのことでお休み。残念。

メンバーがメンバーだけに、今日は割りとマッタリしたオフ会だったんだけど、けんの成長ぶりには今回も驚かされたわ。アタシもあの歳からビジョンというものを持っていたら、また違う人生を歩んでいただろうな。というか、ビジョンがなかったからのこの体たらくというか(爆)。後悔先に立たずだけど、人生に対して、もっと鷹揚に、かつもっと覚悟を決めて生きてたらな、と改めて思ったわ。って今からでも遅くないか。

でもなんだかアタシもすっかりアウティング状態で(笑)。アタシとけんはこれ以上はないというくらい清い関係なので、その辺りご心配なく>けんのご両親。

二次会はお約束でカラオケへ。けんの枯葉のフランス語に腰を抜かしちゃったわ。別口で今までも韓国語やらスペイン語のカラオケも聴いてきたけど、ここまで本格的なのは初めてね。素敵ざましたわん。



2004年09月14日

朝からミーティング尽くし。でもその間でふと開いた2時間の時間はかなり閑だったりして。日々の回しは後輩がやってくれるようになりつつあるし、それになによりトラブルが減ってきているのよね。いいことだけど、やっぱりアタシ異動かしら。

夜はその後輩と大阪から出張して来た後輩女子と一緒に大森でタイ料理。味は締まったところがなくてもう一つだったけど、店員のタイ人青年がかなり可愛かったので、もう一度行ってもいいかも(笑)。

その後は後輩の新居(マンション)にお邪魔。さすが16万円の物件だけあって広々として素敵だったわ。それに彼、映像に凝ってるから、部屋に100インチのスクリーンとか備えてるのよ。小澤征爾指揮のラプソディー・イン・ブルーのDVD見せてもらったけど、大迫力で素敵だったわ。あとハイビジョンの画質の美しさにも驚愕。アタシもAVルーム欲しくなっちゃったわ。

明日からはいよいよバリ旅行。思いっきり羽を伸ばしてくるわよ。



2004年09月15日

バリ旅行1日目。

羽田に朝8時5分に集合だったので、6時前には起きたんだけど、ぜんぜん眠れてなくて辛かったわ。と云うと、「また遠足前の小学生じゃあるまいし〜」という声も聞こえて来そうだけど、そういうワクワクしたもんじゃなくて、17日の異動内示が気になっちゃって。気にしても仕方ないんだけどさ。

それにしても関空までの便、不便なの押さえ過ぎ<ホワイト・ベアーファミリー。フライトの時間確認せずに放っておいたアタシも悪いんだけど、国際便まで往きは4時間待ち、帰りに到っては関空に朝8時に到着後14:50まで約7時間も待ちぼうけ状態なのよ。パッケージで押さえてるからフライトの変更も効かないし、仕方ないので関空での待ち時間を利用して、伊丹発羽田行きの航空券を自腹で押さえたけど、値段は12,300円。こんなことだったら全部自分で手配した方がよかったわ。

そんなアタシに気を遣って、はやかわさんも11時頃のはるかで関空に到着するようにしてくれてたんだけど、彼女は彼女でJRの事故に巻き込まれちゃって結局到着したのが12時前。なんだか波乱含みの始まりだったわ。

でもその後は極めてスムーズで。昨年のバンコク旅行で飛行機をゴーカにも待たせてしまったアタシは(9/23参照)、今回はそうなるまいと早い目早い目の手続きを心掛けてたんだけど、関空の出国カウンターにはアタシとはやかわさんしかいないような状態で(爆)。こんなことならもう少し外でぶらぶらしてた方がよかったと思うくらい難なく手続きを終えたわ。

でも今回改めて思ったのは、関空って使い易い空港だなってこと。乗り継ぎ便さえ充実してれば、羽田発関空経由の方が絶対海外脱出も楽だと思うんだけど、いかがでしょ?>首都圏お住まいの皆様。でもこの「乗り継ぎ便さえ」ってところがポイントなのよね。神戸空港ができるとかいう愚策の話もあるけど、関空開港当時は関空にシフトしていくはずだった国内線も、結局伊丹に戻っていってるそうで。ハブというからには国際線と国内線の乗り継ぎが鍵なんだから、ここのバランスを間違えたら宝の持ち腐れになるわよ。関西出身者として憂えてあげるわ。

今回のフライトはJAL713便。15年前の卒業旅行以来、乗客のマナーの悪さとスチュワーデスの慇懃無礼な態度が嫌で避けてた日本航空だけど、今回はそんなに嫌な思いもしなかったわ。日本人も海外慣れしたってことなのかしら、それともリストラの嵐でスチュワーデスも真のサービスに目覚めたのかしら。おそらくその両方なんだろうけど、意外と快適なフライトだったわ。

バリのデンパサールに着いたのは夜の19:30くらい。現地スタッフのジャッティさんに迎えに来てもらって、いざ今日の宿泊ホテル、ザ・リッツ・カールトン バリ リゾート&スパへ。ホテルの素晴らしさは噂には聞いてたけど、到着時に首に掛けてもらったプルメリアのレイにもう心はノックアウト状態。ウェルカムドリンクをいただきながらチェックインして、その日はホテル内のタイレストランで食事して就寝。テレビではNHKの放送やってるし、部屋はひろびろ、ベッドもひろびろでぐっすり休めたわ。



2004年09月16日

バリ2日目。

乾季だけあって朝からいい天気で。昨夜はもう暗かったので景色はよく分からなかったんだけど、庭先に咲き乱れているブーゲンビリアの向こうにプールの水色が広がって、さらにその水色が彼方のインド洋に溶けていくように眺めがデザインされているのよね。そこに爽やかな風が吹き抜けて、もう朝からうっとり三昧よ。

朝食はビュッフェ形式だったんだけど、海が見下ろせるレストランでノンビリといただけるのよね。それにデニッシュやチョコクロワッサンなどのペイストリーが美味しくて、ああ幸せ。アタシ、糖尿病予備軍だから、ホントはちゃんとカロリー制限すべきなんだけどさ、こんなところに来てそんな野暮なこと言ってられないじゃない?それにこういうところで破目を外せるようにの節制だったんだからさ(ホントか?)。だから基本的には並んでる料理の数々、取り敢えずぜんぶいただいちゃった(爆)。

でもその代わり、食後の運動は完璧よ。ここのホテル、敷地が70ヘクタールもあるんだけど、その中をくまなく散歩。くまなく行き過ぎてプライベートヴィラの庭にまで入り込んじゃって、ホテルの従業員の人に注意されたりもしたけどさ(笑)。アタシ、基本的にリゾートというのには慣れてなくて、去年の沖縄旅行のときなんかも、どうやって時間を潰すかに汲々としてた面があるんだけど、ほんとのリゾートだと散歩という楽しみ方というのもあるんだなと感心したわ。

そしてホテルのメインプールで一泳ぎ。ここのメインプールは二つあって、上の方のプールの水が滝になって下のプールに落ちていくような造りになってるんだけど、上の方ではプールとインド洋の風景のコンビネーションが、下の方では水族館(ニモで有名なカクレクマノミも多数)が楽しめるようになってて、アタシとはやかわさんは両方を満喫したわ。

そしてお約束のプールサイドでの読書。アタシは先日直木賞を受賞した奥田英朗の「空中ブランコ」というのを読んでたんだけど、想像を絶する面白さで。なんというか話のテンポが漫画的なのよね。絵が浮かぶというか。声を上げて笑ってたので、はやかわさんに怪訝な顔されたけど、これ、パパイヤ鈴木とMEGUMI辺りでドラマ化したら、絶対ウケると思うなぁ。甲羅干し中のカットパイナップルのサービスも何気にウットリ感をくすぐられちゃったわ。

お昼はホテル内のサミサミというレストランで海を見ながらイタリアンを食べて(パスタはもう一つだったわ。ピザとパンは美味しかったけど)、そのあとは心待ちにしていたスパへ。一旦全裸にさせられて紙のショーツを身に着けるのはちょっと恥ずかしい、というより情けない感じがしたけど、施術自体はもう夢心地。全身コースは予約が一杯とのことで受けられなかったけど、ヘア・トリートメントとリフレクソロジーの二段攻撃で心身ともにトロトロに。いやマジで鼾掻いて寝ちゃいましたです。

夜はタクシーでクタへ。結局こちら来てからインドネシア料理を口にしてなかったので、まずは「クトゥパット」というレストランで腹ごしらえ。店の名前にもなっている、お米を8時間も蒸して作ったクトゥパットという食べ物が名物らしいんだけど、食べた感じは五平餅みたいとでも言えばいいのかしら、なんだか要領を得ない貧乏臭い(爆)食べ物だったわ。

まぁこの旅行で全体的に感じたんだけど、こと食事に関しては、タイ料理ほどの洗練を求めてはいけないのかもね<インドネシア料理。いや、マズくはないし、サテなんかも肉の種類によっては木の串ではなくてレモングラスを芯にして焼いたりしてバリエーションはあるものの、強大な王朝を持たなかったことが食文化に顕れているのかもとか思ったわ。

その後はクタの町をブラブラ。お土産も適当に買いつつ。でも思ったより道も狭いし、明るくもないのね。って勝手にバンコクのパッポンみたいなのを思い描いてたアタシの勝手なんだけどさ。でもマジな話、この電灯の暗さはなんなのかしら?昭和40年代の公衆トイレの明かりみたいというか(分かりにくい喩えねぇ、我ながら)。昨晩・今晩と夕食もなんやら闇鍋みたいな状況だったし、電圧が低いとかそういうインフラ的な問題以前に、バリの人の闇/明かりの捉え方みたいな話なのかしらね。難しいことはよく分からないけど。

帰りはホテルでタクシーを掴まえようとハードロックホテルの中をぐるぐる。途中で猫の親子に出会って顔をほころばせたのも束の間、エントランス付近でイスラム女性を発見して恐怖のどん底へ(マジ)。急いでその場を離れて、結局街中でタクシー拾ってリッツに帰って来たわ。イスラムの人だからって必ずテロリストというわけではない、というか、殆どの人がそうじゃないのは頭では分かってはいても、時期が時期だからねぇ、心は正直だわ。



2004年09月17日

バリ旅行3日目。

8時頃に起床。そういえば今日は内示日なのよねとか考えながら朝の身支度。はやかわさんに9時(日本時間では10時)までに電話が掛かってこなければ異動はないからなんて話をしてたら、8時55分頃に掛かってきましたよ<電話。新課長から「事務連絡ですまんが、10月1日付で○○部△△へ異動。課長は××さん。日本に戻ってきたら一緒に挨拶に行こう。じゃ後の旅行は楽しんで。」みたいな軽い感じで。

アタシとしては、意外と冷静、というか、やっぱり来たかという感じだったけど、電話切ってから徐々に心がざわつき始め。バリバリの文系として入社したものの、SE稼業を14年間も続けていたので、果たして今から他の仕事が勤まるのかしらん、とか。それに今度の部署は英語をバリバリに駆使しそうだし。読むのはいいけど、書いたり話すのは大丈夫か?>自分、などと、仕事の内容をきちんと聞かないうちからいろんな思念、つか不安が頭を駆け巡り...。

と、あやふやなものに心を奪われていても仕方が無いので、朝食を摂ってチェックアウトしてからホテルのプライベートビーチへ。でも長い階段を通って崖を降りたにもかかわらず、そこには「遊泳禁止」の旗が。いやーん、というか、バカンスに来てまでせっせと泳ぐのなんて日本人とガキだけなのかしら?他の人たちは大人しく甲羅干しなさってたけど、泳げない海に用はないアタシ達は踵を返してホテルに戻ったわ。

そして昨日と同様ひとしきりプールを楽しんだ後、シャワーを浴びて、本膳というレストランでランチを取って(ここも味は取り立てて、というほどでもなかったわ)、リッツカールトンにお別れ。ああ、どうしてもっと長く泊まるよう旅程を組まなかったのかしら。目に鮮やかな熱帯の花、ガムランの音色、捧げものを作る家族。ホテルの従業員の皆さんも天下のリッツ・カールトンに勤めているというプライドが溢れんばかりで。それに何よりインド洋の青い海。内陸育ちのアタシにとっては海は何よりの癒しなのよね。

でも過ぎたものは仕方ない、次のホテルに期待しましょということで、マヤウブドリゾート&スパへ。というか、アタシ、確かバリに行く前は「海はいいの、濃い緑に抱(いだ)かれたいの」とか抜かしてたので、どちらかというとこちらが本命ではあるんだけど。

で、車で一時間強揺られて着いたホテルはこれまたゆったりと涼しげな素敵なところ。吹き抜けになったロビーからはライステラスと熱帯雨林の両方が一望できて目に優しいことこの上なし。それに何かの南国のフルーツとスイカで作られたウェルカムドリンクがとても美味しくて。この時点でこのホテルが正解であることの予感がしたんだけど、部屋の方もホテル棟かと思いきやヴィラを用意していただいてて。それに今回はリッツと同じ轍は踏まないと意気込んだスパの予約も順調に取れて初日からスパ三昧。アタシがインドネシアンマッサージを受けている間、はやかわさんはルルールというバリ風全身パックを試して垢を3cmほど除去、その後はフラワーバスで渓谷美を楽しんだようだわ。蚊にも食われたみたいだけど。いい気味、ほほ。

夜はホテルのメインダイニング(maya sari mas)でビュッフェ。で、またここのビュッフェが激ウマで。アタシ「しょせん食い放題は食い放題でしょ」というのが持論で、いくら高級ビュッフェでも、やっぱりコースなりアラカルトで注文した方が美味しいものが食べられると思ってるんだけど、ここのはマジで美味しかったわ。いや、もちろんパスタとか焼き飯とか、そういう「置いておいたらのびる」ものは仕方ないとして、肉のステーキだとか魚のパイ包みだとかそういうメインデュッシュ系のものに加熱による劣化が殆ど見られなかったのよね。それにデザート類の充実ぶり(笑)。いや、こういうのアタシには毒なんだけどさ、やっぱりここは食べておかないとまずいでしょ?だからはやかわさんと半分分けしながら、殆どの種類を制覇したわ(いいのか?)。その中に餅米をブラウンシュガーで炊いたインドネシアのデザートがあったんだけど、これなんかほんと日本のおはぎにそっくりでね、懐かしくもおいしかったわ。

でもあれね、バリってヒンドゥーの島だから、確かに表向き日本と文物が違ってたりもするけど、同じ稲作文化圏、似てるところも多いのかも、と思ったわ。ガムランのメロディーも基本的には沖縄音階だし、音色も祇園祭のお囃子と共通点多し。ヒンドゥーの神様だって特に密教には色濃く反映されてるし、何にでも精霊が宿っているという考えも日本の八百万神と通じている。稲作とかアニミズムといったベースの上に、仏教とかヒンドゥーとか儒教とか中華思想(?)を独自の配分で変えて混ぜれば、それがアジアの国それぞれの文化になるのかもなんて漠然と思ったわ。

ホテルの庭を歩きながら南十字星を探したけど、赤道を少々超えた程度では見えないのかしら。でも夜が暗い分、星は降るように沢山見えて、かなりの時間空を見上げてたわ。



2004年09月18日

バリ旅行4日目。

異動の件だけど、やっぱり夜になって独りになるといろいろ考えちゃって駄目ね。ダブルベッドだったのではやかわさんに遠慮しちゃったのもあるけど、なかなか寝付けなくて、結局睡眠導入剤(レンドルミン)の助けを借りることに。でも飲んだのが明け方の3時過ぎだったので、その分目覚めるのが遅くなってしまって、起きたら9時過ぎだったわ。因みに眠りに就いた後は、はやかわさんに遠慮することなく、すべてのシーツを体に巻きつけて寝てたらしいわ。腹の上に足も載っけてたらしいし(爆)。

朝食を摂ってその後はまたプール三昧。ここのホテルにもプールは二つあるんだけど、場所が離れているの。で、今日は手前側のメインプール。ここのプールもなかなか趣向が凝らしてあって、プールの浴槽(?)の上のほうが透明アクリルになってるのね。だから水の中を泳いでると、なんだか森の中を泳いでるような気分になれるの。けして広いプールではないんだけど、縦の長さは充分に確保してあるので、ちゃんと泳いだ気分に慣れるし、とても気持ちよかったわ。あ、そうそう。ここであの大阪を代表する女性タレントの山田花子を発見。お忍び、ってほどではないだろうけど、プライベートだったのかしらね。一人で泳いでたわ。

スパ近くのriver cafeで軽く昼食を取って(ここの食事もvery nice!)、午後からはアユン川でラフティング。ピックアップが半時間ほど遅れてやきもきしたけど、なんとか無事にチャレンジできたわ。でもなぜかアタシ達の組はアタシ達だけでさ、インストラクタのオジサン含めて3人で漕いでたからキツいのなんのって。と言いつつも、途中で他所のボートと水の掛け合いに興じたり、川面を飛ぶツバメを眺めたり、フルチンのバリの少年にボートを乗っ取られたりと楽しさ満点でさ、「しないしない夏」を標榜しながらではあるけど、何かこういうエキサイティングな催しを入れておいてよかったと思ったわ。

夜はウブド市内でケチャ&トランスを観賞。屋外でそれなりの雰囲気はあったんだけど、会場裏手の車の騒音がひどくて、かなり辟易したかも。それに男数十人とはいえ、やっぱり人間の声って音量的に小さいのよね。ホテルに帰ってからみたバロンダンスが迫力満点だっただけに、改めて声の非力さを感じたわ。それにケチャと云っても基本となるリズムや音階は一緒なのよね。だから時間的にも1時間持たせるのは厳しいというのが率直な感想ね。



2004年09月19日

バリ旅行5日目。つか最終日(号泣)。

朝のうちにもう一つのプールの方へ。こちらはスパやriver cafe近くにある方で、渓谷がほんとに近くに望めるの。でも寒くて(笑)。朝あんなにお日様が照ってたのに一体どうしたのかしら。というか、午前中と夕方は曇りがちで、正午〜真昼がカンカン照りというのがバリの乾季の典型なのかも。

と思ったらお仲間発見。一つは二人組でもう一つは一人の単独行動。二人組みの方は白ビキニとか穿いててさ、それだけでもかなりギャラリーの衆目を集めるところだったんだけど、なんかお互いに写真の撮りっことかしてるの。おそらくフォトメ用の撮影会かなんかなんでしょうけど、隣のデッキチェアで甲羅干ししてた日本人OLが「あの人たち何してるのかしらね?」とマジで不思議がってたわ。つか、アタシ的にはぜんぜんイケなかったんですけど。もう一人はアタシの方をニヤニヤジロジロと見ててね、その様がなんだかナマズに似ていたので、アタシはさっくり無視(偉そう)。はやかわさんもいたので、思いっきりノンケの振りしておきましたわん。

その後は速攻でシャワーを浴びて、泣く泣くホテルをチェックアウト。昼から町へ出てお土産探しに精を出すことに。ウブドでは適当なワルン(食堂)に入って腹ごしらえ。クタでも思ったけど、ホテルじゃなくて町で食べると安いわね。これがもっと現地の人向けの食堂だったらもっと安く上げられるんでしょうけど、まぁそこまで挑戦する必要も無く(苦笑)。

街歩きはモンキー・フォレスト通りからハヌマーン通りを通ってウブド市場に帰ってくるというコース。こちらってほんとテキスタイルが素敵で。はやかわさんなんて何枚も体に巻きつける布を買ってるし、アタシも負けずにクッションカバーやランチョンマットを物色。それにもちろんお土産定番のバリ猫とインスタントラーメンもね。ガムランの楽器、あるいは竹や木の風鈴も欲しかったけど、大きかったのと持って帰ったとてどこで使うのかのイメージができなかったので購入を断念。その代わりガムランボールというガムラン風の音が出る銀製の鈴を買ったわ。早速キーホルダーに付けて楽しんじゃいましょ。

ホテルの送迎のシャトルバスの時間ギリギリまで街歩きを楽しんだ後はいよいよ空港へ。うぇーん、帰りたくないよー。というか、仕事したくないよう、みたいな。空港では職場へのお土産に「お約束」のチョコレートを買い、それでも時間が余ったのでCD屋でガムランのCDを2枚購入。なんだか妙に癒されるのよね<ガムラン。ここしばらくアタシのお目覚めミュージックになりそうな予感。

搭乗前にマック・キオスクというところで腹ごしらえ。これ、メニュー的にはマクドナルドなの。でも注文してからモノが出てくるまでに15分掛かるという代物で。インドネシアではマクドナルドもスローフードなのねん(笑)。おまけにアタシ達はビッグマックとフィレオフィッシュを頼んだのに、出てきたのはポテトだけで(爆)。最終的にはちゃんと出てきたのでよかったけど、結局注文してから20分くらい掛かったわね。

でも基本的にはインドネシアの人って超マジメ。タイみたいに「マイ・ペン・ライ」みたいな言葉もないし、時間もすごくきちんとしてる。タクシーの運転手さんもホテルの従業員の人も声を揃えて「もっと日本語を勉強したい」って言ってるし、政情が不安定なことさえ克服されれば、かなり伸びる国民性なのでは、と思ったわ。

それにバリに来てる日本人旅行者も他の地域と比べるとマナーがいいのね。これはどういうことかしら?確かにアメリカやバンコク・香港辺りと比べたら、ある程度旅慣れた人のデスティネーションという感じはするけど。

4泊というとリゾート的には充分な日数のようにも思うけど、美術館は行ってないし、バリダンスもまだまだ見てないの多いし、ビーチでも泳いでないし、なんだかまだまだ一杯やり忘れたことがあるような感じ。次に来るのはいつか分からないけど、ここならまた再訪しても充分楽しめそうだと感じたわ。



2004年09月20日

日本帰着。

テロ事件のさなか、ジャカルタ経由というのは正直怖くはあったけど、無事帰ってこれてよかったわ。あと、羽田までの飛行機も09:55発のANA便をゲット。関空→羽田の便、9/15時点ではJALしかないと思ってたけど、ANAもあったのよね。盲点だったわ。今日の購入だったので特割は使えず18,800円掛かっちゃったし、もともとのJAL便のキャンセル料も掛かったので、都合20,000円ほど余計に出費したことになるけど、もともとの便だったら家に辿り着くの17時くらいになってたものね。時間を金で買ったと思えば安いものだわ。事実12時過ぎには家に着いてたわけだし。

家帰ってからはひたすら旅行の後始末。この旅行記も含めてね。お金の清算はまだだけど、これはまた週末にでもゆっくりやりましょう。

でも明日、どんな顔して出社すればいいのかしら?なんか旅行中の内示って気まずいわね。アタシが言う前にみんなアタシの異動知ってるわけだし。

まぁとにかく、会社3日間も留守にしてたので、メールも溜まってるだろうし、少し早い目に出社しようかしらね。



2004年09月21日

夏休み明けなので殆ど仕事が手につかず。うそ。仕事が手につかないのはやっぱり異動ショックよね。

普段より早めに出社して、未読メールを片付けるも、内容はほとんど頭に入ってこず。「発つ鳥後はよろしく」と責任を放棄しているわけではなく、なんかそぞろ神に取り憑かれてしまったようで。

朝から前の所属長や今の所属長、部長に次々と呼ばれて、アタシを外に出すに当たっての理由や外に出て行ってからの心構え、向こうでの仕事の予測なんかを聞いたけど、そんな想いや期待だなんて、向こうに行ってしまえば向こうの論理で掻き消されてしまうことなんて、一度出向したことのあるアタシには一番よく分かってるし。

今回の異動の件をはやかわさんに漏らしたら、「高学歴で高収入得てるんだから、異動なんて当たり前のことじゃない」とニベもなかったけど、やっぱりそれだけじゃ割り切れないものってあるわよね。確かに高学歴=ポテンシャルの高さと日本の会社では看做されているわ。でもアタシ、14年半もSEを「させられて」来たのよ。いくら学習能力が高いと云っても、やっぱり年齢的なディスアドバンテージってあると思うの。それに会社員にとっては避けて通ることのできない「考課」というものもあるしね。習熟の低い業務で高い評価が勝ち取れるわけないじゃない。

2000年に一度出向したとき、アタシのSE人生は終わったと思ってたの。実際、出向先では広報活動やISOの取得推進など事務方の仕事をしてたわけだし。それが1年も経たないうちに元の職場に呼び戻されて、新しいビジネスの大規模開発を立て続けに2つ任されたということは、もう腹を括ってシステム屋としての人生をまっとうしなさいという会社の方針だと思っていたの。だから他の部署に移るだなんてぜんぜん考えていなかったのに。人生ってなかなか思い通りにはいかないものね。

夜は今の部署の歓送迎会があったんだけど、さすがに万感胸に迫るものがあって。自分のスピーチは硬軟取り混ぜて冷静にしかも熱く語ることができたけど、前の所属長の送辞を聞いてると、この14年半のいろんな想いが去来して目頭が熱くなり。堪えるのに苦労したわ。

最後は恒例のカラオケへ。〆にスピッツの「チェリー」を大合唱したけど、マジで「想像した以上に騒がしい未来」。歌詞の余韻がいつまでも胸に残る一夜だったわ。



2004年09月22日

新しい部署の歓送迎会。

何の仕事をするのか結局昨日は聞けなかったんだけど、どうやらある農作物の輸入を担当するみたい。ウチの主力製品の主原料の一つだから、責任重大だなぁ。それにその農作物、先物取引らしくって。最もバクチから遠いヲンナのアタシが、そんなギャンブル性の高いもの、取り扱ってもいいのかしら。為替相場の方の話は、今までも外貨預金とか旅行とかでなんとかイメージ掴めなくも無いけど、先物なんてほんと「投機」って感じがするわよね。

それにアタシ実は、その原料を使った商品、ほとんど口にすることなくて。正しい輸入はまずは正しく原料を知ることからのようなので、これからはその原料を使った製品、飲むように心掛けなきゃなんだけど、その製品、必ずと云っていいほど、殆どの製品に砂糖が使われているのよね。糖尿病予備軍のアタシとしてはかなり辛いわ。

心配してた語学の方は思ったよりハードルは低いらしく。まぁ英語のレター読むくらいのことはありそうだけど、普段は日本語で充分なんですって。ただ農作物の生育状況を見るために毎年中南米には飛ぶらしく、なんだか世界を股に掛けるヲンナって感じ?>アタシ。

新しい部署の雰囲気は、システム部門よりもさらに技術っぽい雰囲気ありぃの、反対にもっとゴーカイな雰囲気もありぃので、いろんな人が入り混じってて面白い感じ。二次会はカラオケだったんだけど、さすが世界を相手にしている部署だけあって、英語はもちろんのこと、スペイン語やドイツ語の歌まで飛び出して、アタシ的にはとても楽しめたわ。

新しい仕事という意味で、正直不安は沢山あるけど、仕事もある程度見え、部署の雰囲気も少しは掴めたので、だいぶ無駄な「恐怖」みたいなものは消えたかも。こうなったら思い切って世界に羽ばたくしかないわね。



2004年09月23日

リゾート満喫で体調万全のはずなんだけど、さすがに二日連続で午前様だとさすがに朝が辛く。取り敢えず目は8時半頃には覚めたんだけど、10時半くらいまで布団の中でグダグダしてたわ。というか、昨夜は緊張の余り、ほとんど何も喉を通らない状態で酒だけ飲んでたので、かなりの量のアルコールを消費していたのかも。

夕方からは末ちゃんと飲み。アタシ、特に友達が多い方でも少ない方でもないと思うんだけど、こういう会社の中でのゴタゴタ(?)の話、「会社」というもののダイナミズム(?)を押さえつつ話ができるゲイ友って末ちゃんくらいしかいないのよね。なのでお土産を渡すという口実(?)でメールで呼び出し。アタシも彼女も揃って二日酔いだったので、アルコールは一滴も飲まないという健康的な宴会だったけど、いろいろ話聞いてもらって楽になったわ。ありがとう>末ちゃん。

で、二人で飯食った後、今回アタシが輸入することになった原料を用いた飲料(まどろっこしいわね)を飲みに新宿の「(音が出るので注意)」という店へ。コーヒーにしては1,050円(消費税込み)という驚きの高さだったけど、正直アタシにはその値段の価値があるのかどうかはよく分からなかったわ。美味しいコーヒーだったとは思うけど。それにアタシはコロンビア、末ちゃんはブラジルを頼んで飲み比べてみたけど、その違いをぜんぜん言い当てられないの。新しい仕事のこの先が思いやられるわ。取り敢えずamazonでコーヒーの図鑑と先物取引入門のマンガを頼んだので、とにかく最初は勉強勉強ね。



2004年09月24日

今日は後輩が休みだったのでピンチヒッター(?)でユーザー部署に駐在してたんだけど、午前中はなんとか仕事があったものの、午後はホントに閑で。

あまりに暇なので、今月の過勤申請とかしてたんだけど、今月の残業、なんとたったの9時間なの。ぎゃふん。いや、確かに祝祭日も多かったし、バリ旅行なんかで有給休暇も取得したわ。でも先月・先々月は60時間コースだったし、その前はおそらく100時間コースだったと思うの。それから比べたらほんと落ち着いたわねぇ、とか思って。

ユーザ部署の女課長や仔犬も休んでるし、仕事から抜けるにはマジで潮時だったのかもね。といいつつ、夜の6時くらいからトラブルが発覚して9時頃まで残業しちゃったけどさ。それにしても結構ゆったりモードで。

で、暇に任せて、今回仕事を一緒にする奴の予定表をExchange Server越しに見せてもらってたんだけど、例の海外出張、なんかすごいスケジュールだったわ。ほんとのところ、どのくらいみっちりと仕事が詰め込まれてるのかはよく分からないんだけど、日本→ドイツ→エチオピア→ドイツ→メキシコ→コロンビア→グアテマラ→ブラジル→ロスアンジェルス→日本、みたいな世界一周で。旅程もしめて22日間だったかな。それに結構海外の方との会食も多いらしくて。為替相場の報告会というのも結構不安が大きいけど、やっぱりベルリッツくらい通った方がいいのかも。

その一方、需給会議の連絡とかも早速来たけど、こちらの方はかなり顔馴染みのメンバーが多くて。システムとはいえ、需給回りの仕事しておいてよかったわ。だって仕事なんて結局人間関係だものね。



2004年09月25日

このところいくら眠っても眠りたいないわ。ここ4,5年の疲れが吹き出てるのかもしれないけど、眠り自体が浅くなってるのかもね。で、時間自体も長時間にならざるをえない、みたいな。

夕方からはコーラスの練習へ。東京での自主練習は今日が最後だったんだけど、なかなか濃い練習が出来てよかったわ。というか、やっぱり表情付けには音取りが前提なのよね。改めて身に染みて感じたわ。

4時間ぶっ通しで歌った後は打ち上げも兼ねて近くの居酒屋で飲み。今、練習付けてもらってる指揮者、学生のときにお世話になった1年上の先輩なんだけど、久しぶりに音楽談義で盛り上がれて楽しかったわ。長らく話をしていないせいもあってか、なんとなくわだかまり(?)みたいなものも感じてたんだけど、最後は一緒に練習できて楽しかったと握手までいただき。なんかこれで練習終わりにするの、非常に残念に思ったわ。

で、今日びっくりしたのはね、アタシが振付けた踊りが、なんと8年下の後輩にまで伝わっているという話で。8歳年下といえば、アタシが卒業してから4年以上たってるということよ。新陳代謝の激しい学生サークルでは1世代も2世代も変わっているはずというか。伝わってること自体も驚きだけど、なんか改めていいサークル生活を送らせてもらってたんだなぁとか思って。だって嫌な先輩がやってたことだったら、誰も伝えていかないわけでしょ。変な話、今の職場でもそんなふうにアタシがやってたことが今後も「伝統」として伝えていかれることがあれば、すごく幸せなことなんだけどな、とか思って。って、そんな伝えられるような伝統を自分が会社で作ってきたかと云われると、はなはだ心もとなかったりはするんだけどさ。ま、夢としてね。



2004年09月26日

部屋のプチ模様替えを決行中。心を落ち着けるために、というのもあるけど、反対に今までの諸々、これを機会に整理したいというのもあって。と云っても、この6月の引越しやらダイエット、婦人病騒ぎなんかで、結構いろいろなもの、始末してきてはいるんだけど。

まずは大阪時代から使っていた14型のテレビ(推定年齢5歳)を25型に買い替えること決意。せっかくバーブラのDVDとか持ってても14型じゃ画質がいいんだか悪いんだか分からないものね。迫力もないしさ。それからこのところ音飛びどころかCDの認識すら覚束なくなっていたミニコンポ(推定年齢10歳)もついでに買い替え。MDへのダビングも結構な手数が掛かっていたんだけど、これでストレスなく録音できるわね。

ミニコンポは明日、テレビは10/2の午前中に届くことになってるので、なんとかホームパーティーには間に合いそう。大画面での「恋のドラッグストアナイト」、楽しみだわ(苦笑)。

その他は電子ピアノの位置を入れ替えたり、布団のカバーを新しいのに変えたり。はやかわさんの言うとおり、かなり気分転換できたわ。

そんなこんなで今日は家の中にこもっていろいろ作業してたんだけど、掃除も終わったのでさきほど24時間スーパーまで散歩がてら行ってきたら、蕪が半額で売ってて。なんか急に思い立って、今お揚げと薩摩揚げと一緒に炊いてみたところ、まだ味が馴染んでないけど、明日の朝が楽しみだわ。



2004年09月27日

昨日変な時間に居眠りしちゃったせいかなかなか寝付けなくて、週末のホームパーティーで上映するビデオの選別とかしてたら、急にビデオが動かなくなっちゃって。テープがヘッダーに巻きついちゃったのが原因だったんだけど、2本連続でテープを巻き込んじゃったので、これはもう寿命かな、と。まだ5年くらいしか使ってなかったのに、最近のものは故障するのが早いわね。修理に出そうかなとも思ったんだけど、修理代って結構バカにならないし、それに今週末は映像パーティーでしょ?だからもう買っちゃえとか思って。

アタシのニーズからしたらHDD内蔵+VHSという種類のがよかったんだけど、世の中的にあまりニーズがないらしくて、結構割高なのよね。世の中的に売れてるのはDVD+VHSみたいなんだけど、DVDの録画方式ってまだ統一されてないという話も聞くし、なんかまだ手を出すのは時期尚早かな、とか思って、結局ごくごく普通のVHSだけのやつを買ったわ。ちょっとケチ臭かったかしら?

そんなこんなで朝起きられなくなっちゃってさ(駄目じゃん)、課長に電話して時差出勤。ま、もう引き継ぎモードだから、そんな緊迫した事情があるわけでもないんだけど、だからといって休むわけにもいかないのが辛いところね。

夜はエンドユーザー主催の送別会。ま、エンドユーザと云ってもシステム部門の同窓生だから、純粋にはエンドユーザーとは云えないかもしれないけど、ほんとの利用者から送別会してもらえるってことは、ある意味SEとしての勲章だと思うのよね。今回の異動の件についてもいろいろ聞かれたけど、マジな話、エンドユーザーはエンドユーザー側でアタシをリクルートしようとしてたみたいなのよね。なんか先手を打たれて(?)購買部門の方に異動になっちゃったけどさ。会社の異動ってなかなか「売り時」と「買い時」が合致しなくて、なかば「時の運」みたいなもんだけど、嘘でも「次はウチの部署に来いよ」と言ってもらえたのはマジで嬉しかったわ。先方部署の取締役への挨拶も算段してくれることになって、ほんといいエンドユーザに恵まれてよかったなと思ったわ。



2004年09月28日

新部署のミーティングに初参加。いわゆる需給調整会議というやつだったんだけど、最前線の営業と生産現場が丁々発止と遣り合ってて、刺激的な1時間だったわ。こういうの目の当たりにすると、システムがいかに「奥の院」で仕事をしてたかがよく分かるわね。って面白がってばかりもいられないんだけどさ。

夜はミニコンポとビデオデッキが届くので早々に帰宅。と云っても20時は回ってたけどね。でもなんか黒猫ヤマトの担当者の態度が悪くてさ。いや、確かに今日の配送は再配達ではあったの。で、担当ドライバーに21時頃に持ってきてくれって言ったら、そんな遅い時間に配達を言われても困るとか言われてさ。こちらとしてはヤマトのサービス時間なんて知ったこっちゃないし、何時まで配達を頼めるのか聞いたら21時ってことだったので20時半を指定したわ。でも21時って結局のところサービス時間なんでしょ?一体どうして無理なのかしら?

それに荷物を持ってきたときのそのドライバーの言い草がまた気に入らなくて。「ここの近所に配達所があるんで、再配達じゃなくてもお客さんが自分で取りに来てもいいんですよ」ですって。一体お前は何のための運送会社やねん。自分で取りにいけるような荷物やったら、最初から店に出掛けて商品を持ち帰ってくるっちゅうねん。おそらく何度も再送に来るのが邪魔くさかったんだろうとは推測してあげるけど、それはこちらの責任ではなくて、配送時間の指定ができないヨドバシ・ドットコムの問題でしょう。当たる相手が違うっていうのよ。ぷりぷり。



2004年09月29日

昨日の日記に書くの忘れたんだけど、新部署でのミーティングに出てきてた弊社員、ものの見事に今までアタシが一緒に仕事してきてた人間ばかりで。前々から思ってたことだけど、仕事ってほんと狭い世界で回ってるわ。アタシがロジスティクス関連の仕組みを作ってきた人間だっていうのもあるだろうけど、とにかく最初に出たミーティングが顔見知りばかりで、そこに温かく歓迎してもらえたというのは幸せなことだったわ。いつまた誰と一緒に仕事するか分からないから、ほんと人間関係はよくしておかないとね。

自分の仕事の引継ぎは順調に進捗中。今日は今までの開発の契約関連を整理して(いろいろと契約が漏れているのも若干あったわ(爆))、その後は手で毎日流していた処理をスケジューラに載せて自動化する作業に着手。今や時代遅れとなった汎用機(メインフレーム)の処理なんだけど、まさにアタシが入社して配属された当初にやってたような仕事だったから、プログラミングしてる間も懐かしいような切ないような気持ちにときどき襲われてね、何度も手が止まってしまったわ。

明日は籍的には今の部署で最後の日になるので、朝から挨拶メール書くのに忙殺されそう。多分またちょっとセンチメンタル(by 岩崎宏美)になっちゃんだろうな。



2004年09月30日

朝から挨拶メールで忙殺。

いろんな人から返事もらったけど、最初にメールが返ってきたのが、アタシを新人のときから可愛がってくれてた前の部長(一時期出向していたときの社長)で。おまけにこの人、IT部門のトップだったくせに、ほんとPCに弱くて、滅多に電子メールとか書く人じゃないのよね。そんな人から返事もらって、ああ、アタシはやっぱりこの人に報いるために今まで頑張ってきたのだなぁと。反対に言うと、この人が人事権を失った時点で、他の部署に出るべきだったのかもしれないのよね。だって他のマネージャー陣とは馬が合わないんだもの(爆)。

あと目頭が熱くなったのは、新人の頃にお世話になった協力会社のSEさん達からのメール。アタシ、ほんと彼らにいろいろ育ててもらったのよね。コンピューターの知識だけじゃなくて、社会人としてのマナーまで。30歳超えるころからは協力会社の方達との関係もビジネスライクなものになってしまったけど、20代の頃は仲良くさせてもらってて、家に呼んでもらったり一緒に遊びに行ったりしてたわ。そんな方達からのメール読んでると、入社当時の心細いながらも一生懸命に頑張ってた自分というものが思い出されてね。タロー、ほんとよく頑張ってきたわね、って自分で自分を褒めてあげたい、そんな気分になったわ。

夜は前のグループの解散会に出席。居酒屋行ってカラオケ行ってダーツに行って。そうこうしているうちにIT部門最後の夜が終わり。真夜中にタクシーに乗って家まで帰ったけど、皇居の前を通りかかった頃に、「ああ終わったのね」ってしみじみ感じて。2,3ヶ月前にも何かが終わって行くような感じを覚えたけど、あの感覚は正しかったのねって改めて思ったわ。お疲れ様>自分。





戻る