バーブラ・ストライサンド アルバム紹介


Butterfly(1974)


・・・なぜこんなに人気がないのでしょう?。取っ付きやすい/取っ付きにくいはあるにせよ、バーブラの魅力の一つは、曲に対する的確な解釈や洞察。いつもなら退屈に聴こえていた曲さえもが、彼女の手に掛かると今まで気付かなかった魅力に溢れ出す。それがバーブラだと思います。しかしこのアルバムは凡庸、カラオケ大会、醜女(しこめ)の深情け...。そう、このアルバムは恋に落ちて色に惚けてしまったバーブラが犯してしまった重大なミステイクなのです。

そのミスを犯させた張本人はジョン・ピータース(Jon Peters)。後に「フラッシュダンス」や「レインマン」「バットマン」の制作総指揮者として、またソニーが買収したコロンビア映画の社長として映画界に名を馳せることになる彼も、このときには一介の美容チェーンのオーナーでした。

バーブラが彼に出会ったのは1973年のこと。映画「またまたおかしな大追跡(For Pets's Sake)」で使うカツラを頼むために彼を自宅に呼んだのが初めてでした。撮影中、バーブラはロケ先のニューヨークにジョンを呼びます。1974年に入っても彼らの仲は続き、バーブラはジョンとアルバムを作ることを思い立ちます。イメージは「蝶(バタフライ)」。このアルバムを作るに先立って、ジョンはバーブラにダイヤモンドとサファイアを散りばめた蝶を贈っています。続いてインディアン細工の蝶も。ジョンにとって蝶はバーブラのイメージそのものだったのです。

レコーディングは映画「ファニーレディ(Funny Lady)」の撮影前の1974年3月に始まりました。彼らが最初に選んだ曲は"On Broadway","God Bless The Child","A Quiet Thing / There Won't Be Trumpets","You Lght Up My Life(by Carole King)","Everything Must Change"など。これらは会社からの「コンテンポラリーでない」という圧力で落とされてしまいましたが、後で"Just For The Record..."に収められた曲もあるし、そんなに悪い曲が集まっているようにも思えません。バーブラ自身、"The Broadway Album"の構想を得たのはこのセッション中だったと語っていることからも、失敗の責任をジョン一人のものにしてしまうのは不公平かもしれません。

しかしながら、あくまでもアルバムのプロデューサーはジョン本人。ジョニ・ミッチェルとの仕事で知られるTom Scott(#)やNeil Diamondとともにカモメのジョナサンの音楽を担当したLee Holdridge(*)、John Bahler(+)と云ったメンバーをアレンジャーに迎えながらも一本調子なのは否定できません。ミュージック・コントラクターを入れての外科手術がファニーレディの撮影が終わってからも続きます。ジョンをかばってかバーブラは「歌としては今までで最高のできだと思う。一番開放的で、自由に、幸せそうに歌っている」とコメントしています。

確かに声のコンディションは悪くありません。しかしセンスのなさはジャケットにも表れています。バーブラの才能を表すバターに、マスコミやしつこいファンを表す蝿が止まっているというメタファーらしいですが、ピーターズのアイデアは、隠喩というよりむしろおやじギャグと言うべきでしょう(ジョンはバーブラより年下ではあるのですが)。

ニューヨークタイムズがなぜか「バーブラのアルバムの中でここ数年で一番いい出来の一つ」と好意的なレビューを寄せてはいますが、ファンの中で人気がないのは前述の通り。バーブラ自身も1992年2月にラリー・キングに対し「私のアルバムの中でバタフライが一番嫌い」とコメントしています。

ビルボード最高位13位。ゴールドディスク獲得。

 1.Love In The Afternoon [4:05] (B. Weisman / E. Sands / R. Germinaro) #
のっけから漂う秘めやかな雰囲気はある種今までのバーブラにはなかったもの。作者の一人、Ben Weismanは1921年11月16日生まれ。エルビス・プレスリーの伴奏者・編曲者として有名な人のようです。 Evie Sandsはブルックリン生まれ。1965年にデビュー。後にThe Holliesやリンダ・ロンシュタットで大ヒットする"I Can't Let Go"はこの人がオリジナルのようです。"Love〜"についてはEstate Of Mindセルフカバー。Richard Germinaroの詳細は不明ですが、このトリオでDusty Springfieldに曲を提供したりしているようです。 1974年12月10日にシングルリリ−スされるもチャートインせず。

 2.Guava Jelly [3:15] (B. Marley) #+
スチール・ドラムの音がレゲエな気分を盛り上げるこの曲は、レゲエの王様、ボブ・マーリーの曲中、最もセクシーかつカバーされている曲の1つ(オリジナルは"Songs of Freedom"に収録。)。なんせ「アンタのグァバゼリーでアタイのお腹をこすって」ですからね。あはん。ボブ・マーリーことRobert Nesta Marleyは、1945年2月6日、白人の父と黒人の母の間にジャマイカの片田舎で生まれました。音楽の道を志して14歳でキングストンへ上京。1962年にレコードデビュー。1968年にThe Wailersを結成。1974年、"Burnin'"に収められていた"I Shot The Sheriff"をEric Claptonがカバーし、トップ10ヒットに。名声を確固たるものにします。政治的にも脅威とみなされていた彼は1976年12月3日に暗殺未遂に遭い、奇しくも一命を取り留めるも、1981年5月11日、36歳の若さで癌により命を失います。"Love〜"とカップリングでシングルリリ−ス。Quadraphonic LP(廃盤)にはボーカル違いのバージョンを収録。

 3.Grandma's Hands [3:24] (B. Withers)#+
1972年夏のNo.1ヒット、"Lean on Me"で知られる作者のBill Withersは、1938年7月4日、ウェストヴァージニア州生まれ。オリジナルは"Just I Am"に収録され、1971年の秋にR&Bチャートで18位まで昇るヒットになりました。祖母に対する強烈な思慕は、作者が早々に父をなくし、働きに出ている母の替わりに祖母に育てられたという生育歴に関係しているのでしょう。バーブラにも響いた部分、あったのではないでしょうか。この曲のバーブラの歌唱、かなりブルージーですが、一説にはアレサ・フランクリンの影響が感じられるそうです。Quadraphonic LPにはボーカル違いのバージョンを収録。

 4.I Won't Last A Day Without You [4:16] (P. Williams / R. Nichols) *
邦題「愛は夢の中に」。日本ではザ・カーペンターズで余りにも有名ですね。優しい夢見るような歌い方を聴いても、当時のバーブラの気持ちを一番よく表しているものと思われます。後に映画「スター誕生」でバーブラとタッグを組むPaul Williamsは1940年9月19日オマハ生まれ。高校時代から音楽と演技に興味を示し、1968年にバンドでデビュー、1970年にソロとして再デビューしますが鳴かず飛ばずでした。しかしRoger Nicholsとコンビを組み出した頃から運が開け、コンビを組んで間もなく書いた地方銀行のCFソングは後にカーペンターズにより"We've Only Just Begun"として大ヒットすることになります。1971年にはThree Dog Nightに提供したOld Fashioned Love Songが大ヒット。1974年にはJohn Williamsと組んで"Nice to Be Around(Cinderella Liberty)"で最初のアカデミー賞にノミネート。.1974年には俳優としてブライアン・デ・パルマ監督の「Phantom of the Paradise」にも主演。音楽もアカデミー賞にノミネートされます。そして1977年、バーブラと共作した"Evergreen"でアカデミー賞主題歌賞を受賞したのはバーブラファンなら誰もがご存知でしょう。80年代は薬とアルコールに明け暮れ、キャリア的にも低調でしたが、1989年に中毒を克服、以来、Truman Capote役でワンマンショーに主演したり、ミュージシャンを物質乱用から立ち直らせるNPOを設立するなど、現在でも幅広く活動中のようです。Roger Nicholsはモンタナ生まれ。バスケットで奨学金を得るほどの腕前でしたが、大学の半ばで音楽の道を志しました。1965年にバンドデビュー、Tommy LiPumaと仕事する機会を得、彼の紹介でA&Mレコードとソングライターとして契約、ウィリアムズとコンビを組みます。このコンビでのヒット曲は他にThe Carpentersの"Rainy Days and Mondays"やバーブラも「まどろみの昼下がり(Lazy Afternoon)」で取り上げている"I Never Had It So Good"など。1972年にコンビを解消した後は、Nicholsはときどきテレビの仕事をしながら悠々自適の生活を送っているようです。"I Won't〜"のオリジナルはCarmen Mcrae。アルバム"Ms. Magic"に収められています。カーペンターズのバージョンは"A Song For You(1972)"に収められ、 1974年にシングルカッ。11位まで上がるヒットになっています。

 5.Jubilation [3:52] (P. Anka / J. Harris)
作者のPauk Ankaは1941年にカナダのオタワ生まれ。1957年に当時ABCのプロデューサーだったDon Costaの目に留まり、自身のペンによる"Diana"でNo.1ヒットを飛ばします。他にも「君はわが運命 (You are my destiny)」などで50年代後半にアイドル歌手として大活躍。その後は俳優・大人の歌手として転向、映画「史上最大の作戦(A Longest Day)」のテーマ曲やフランク・シナトラに提供したMy Wayで名声を確立します。Jubilationは彼自身の歌唱で1972年に65位まで上がりましたが、1974年は"(You're) Having My Baby"でアンカが10数年ぶりにチャートトップに立った年。バーブラが注目したとしても不思議ではありません。ゴスペルフィーリング漂うearthyな歌唱は"Stoney End"以来の系統を踏襲するものですが、少しキンキンきばり過ぎな感じは否めません。バーブラバージョンはシングルとして1975年4月15にリリ−スされるもチャートインせず。Quadraphonic LPにはボーカル違いのバージョンを収録。

 6.Simple Man [3:01] (G. Nash)
ハープとピアノとチェロが奏でるシンプルな伴奏にまろやかなボーカルが軽やかにからむ佳曲。Graham Nashは1942年イギリスのマンチェスター生まれ。"The Hollies"やアメリカのスーパーグループ(というより気の向いたときだけ結成される"ユニット"と言うべきか)"Crosby, Stills, Nash & Young"でボーカルを担当。オリジナルは彼のソロアルバム"Songs for Beginners"より。

 7.Life On Mars [3:10] (D. Bowie) #+
邦題「火星の生活」。ボウイ本人からも"bloody awful"と酷評された曰く付きの曲。"Barbra Joan Streisand"に収録されたジョン・レノンの"Mother"の悪夢再びと云ったところ。デビッド・ボウイは1947年1月8日イギリス生まれ。本名はDavid Robert Jones。1966年にDavid Bowieと改名、その後ジギー・スターダストとしてグラム・ロックの旗手となります。1975年ョン・レノンらと書いた"Fame"が全米No.1ヒット。1983年、ChicのギタリストNile Rodgersをプロデューサーに迎えた"Let's Dance"が大ヒット(最近車のCFでよく流れてますね)。ロック界だけでなく、ブライアン・イーノアンディ・ウォーホールとの交流、また映画「戦場のメリークリスマス」などの俳優活動など、ミュージシャンとしての枠だけに収まらない活動を繰り広げます。現在でもあの映画「ムーラン・ルージュ!」のサウンドトラックに参加するなど精力的に活動を続けていますが、2004年6月に心臓手術を受け、健康状態が気遣われるところ。オリジナルはアルバム"Hunky Dory"に収録。フランク・シナトラの"My Way"をパロディ化したナンバーで、"My Way"と同じコードで作曲されているらしいですが、どうでしょう。訳詞はこちら。もともとは疑問符が付いてるんですね。Quadraphonic LPには全く違うバージョンを収録。

 8.Since I Don't Have You [2:52] (L. Martin / J. Rock / J. Taylor / J. Beaumont / J. Vogel / W. Lester / J. Verscharen) *
ピッツバーグ出身のボーカル・グループ"The Skyliners"1959年のヒット曲。当時は12位までしか昇りませんでしたが、1990年代に入ってもGuns N' Rosesに取り上げられるなど、息の長い曲となっています。1973年の映画「アメリカン・グラフィティ」に用いられたのが、バーブラが歌う直接のきっかけとなったのでしょう。 オリジナルはこちら。フィーリング的にはBarbra Joan Streisand収録の"Since I Fell For You"辺りを目指したのかもしれませんが、イマイチ高みに到達できていないようです。バーブラにしては曲がシンプル過ぎた?この歌唱にもアレサ・フランクリンの影響が見られるそうですが、筆者にはよく分かりません。Quadraphonic LPにはボーカル違いのバージョンを収録。

 9.Crying Time [2:51] (B. Owens) *
"Barbra Streisand...And Other Musical Instruments"で取り上げられ、"Duets"に収められたレイ・チャールズとのデュエット曲のソロ・バージョン。Buck Owensは1929年8月12日テキサス生まれ。カントリー畑出身ですが、ビートルズが1965年の"Help!"の中で"Act Naturally"をカバーするなど、その曲はR&B界・ロック界のアーティストにも好んで取り上げられています。大恐慌に見舞われたり、家族を手伝うために学校を中退したり、若い頃は恵まれなかったようですが、1959年あたりからヒットを連発、なかでも1963年に発表した"Love's Gonna Live Here"は16週間も1位をキープ、自分でラジオ局を4つも所有したり、テレビ番組のホストを務めるなど、大成功を収めました。この曲はRay Charlesが"Sweet & Sour Tears"の中で取り上げ、トップ10に入るヒットを記録しました。Owensのバージョンはこちらで試聴できます。Quadraphonic LPにはボーカル違いのバージョンを収録。

10.Let The Good Times Roll [4:54] (L. Lee)#+
男女の黒人ボーカルデュオ、Shirley & Lee、1957年のNo.1ヒット。曲自体も彼らが書いています。Shirley GoodmanとLeonard Leeはともに1936年生まれの同い年。ニューオーリンズでコンビを結成しました。バーブラの歌唱はとてもリラックスした雰囲気で、トム・スコットのフルートといい感じでからんでいます。ある意味、バーブラの今までの歌唱にはなかった肩の力の抜けようで、新境地と言ってもいいかもしれません。バーブラのバージョンはJubilationとのカップリングで1975年4月15にリリ−スされるもチャートインせず。オリジナルはこちらで試聴できます。




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