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第15回ショパン国際コンクール

「審査委員長アンジェイ・ヤシンスキ教授に聞く」

(ムジカノーヴァ1月号掲載)

楠 原 祥 子

楠原祥子:先生、コンクール中はいつにもまして気力が充実していらっしゃるご様子でした。

Andrzej Jasinski: あなたはいつにもまして洗練された装いですね。

K:先生はいつでもジェントルマンです。さて審査委員長として、またアンジェイ・ヤシンスキ個人としてお聞かせ下さい。まずはブレハッチの優勝について、ツィメルマン以来のポーランドが生んだ天才と感じました。

J:今回は総じて高いレベルが保たれていました。前回は本選に進むにしたがって準備不足という傾向が見られたのですが。しかし演奏者個人の観点では、エチュードで卓越した技量を披露したのに、ワルツなど舞曲は昨日習い始めたような(?!)演奏ということもあった。ブレハッチはどの段階、どの曲も、ショパンの演奏美学を深く吟味していました。自国の作曲家による自国でのコンクールというプレッシャーを克服する強さも備えていた。

K:久々のマズルカ賞ですが、作品56のあれほど繊細で洗練された演奏に接したのは初めてです。ことのほか2番は、魔法か手品にかけられた思いでした。

J:これまでに聴いた中でも最もすばらしいマズルカだった。

K:入賞者やファイナリストは、先生ご自身も選ばれた通りでしたか?

J:いや、私がこれはと思ったファイナリスト候補の半分は選外でしたよ。

K:フィンランドのムストネン、オーストリアのヴンデル、ウクライナのゴルラッチ、先生のクラスのバナシックといった、個性を持ったヨーロッパ勢がファイナリストに選ばれず、どうしてなのだろう?と思いました。

J:彼らは1次ではスゴイ!と思わせる存在だったけれども、ムストネンは2次で精密さに欠けた。ヴンデルは気まぐれな即興性が勝った。ゴルラッチはソナタで低音の粗雑さが目立った。バナシックは9月以来レッスンができず仕上がりがもう一つだった。それより日本人でこれは!と思う人がいましたよ。韓国勢はレベルが上がり、リム兄弟はじめテクニックが冴えて熱い情感もコントロールできていた。中国系ではハワード・ナも非常によかった。

K:背中に一筋長い髪を垂らした人ですね。

J:人間にしては珍しくしっぽがあった(笑)。今回は総じて個人の演奏能力は高かったが、解釈の面ではテンポが速すぎる、ルバートの過不足、個性的なことを重視しすぎる、大げさなゼスチャーなど、ショパンはそれを望んだかという疑問があちこちに見えて、審査員の評価が散ったのです。19人の審査員全員が名前を挙げたファイナリストはごく僅かでした。私も大仰な身振りや手振りは好まない。

K:その点ブレハッチの演奏はあるべき姿にすべてピタリとおさまり、満場一致の優勝だったでしょう。

J:しかし彼の場合聴衆をどこまで惹きつけるか。自分のためだけに弾いているようにも見える時がある。

K:版について、意外にもエキエル版ではないパデレフスキ版などの使用が多かったですね。

J:世界的にたくさんの原典版、校訂版が出版されており、どの版でも演奏には差し支えないのです。問題は楽譜の音楽をどう音に仕立てるかです。

K:予備審査をワルシャワで行い、全員ライブ演奏で審査するという革命的な試みが行われました。録音、録画を使わなかったわけですね。

J:演奏はたった1回しかできない、という本来演奏家が突きつけられる厳しい条件を課したのです。それをクリアした者がショパンコンクールのスタートラインに立てる。ヴィデオ録画は30回目にしてベストに弾けたとしたら、それを収録すればいい。しかしそれで演奏家として通用しますか? また2次予選の曲を予備審査で弾くことでプログラム全体の準備が必要になり、少なくともコンクールを渡り歩いて冷やかしで臨む人はいなかったはずです。

K:問題点はありましたか?

J:予備審査員はポーランド人だけで組織しましたが、今後国際チームを検討することになるでしょう。

K:アジア人によるコンクールと言われるほどの圧倒的な東洋人の多さ、ファイナリスト12名中9名が東洋系という結果をどう受け止めていらっしゃいますか?

J:日本人のコンクールといってもいいね。西洋の音楽文化が東に流れて確実に根付いたということでしょう。ユンディ・リの優勝で中国のピアノ人口は今や5千万人。私のマスタークラスやザルツブルグの夏期講習でも、近年は日本、韓国、中国人が断然多い。ヨーロッパ、アメリカの音楽大学のピアノ科学生の半数以上は東洋系。パリのエコール・ノルマルの修了試験では33名中2/3が東洋系、1/3はロシア系。このことは当然コンクールにも反映してきます。

K:鑑賞だけでなく演奏で東西の力が均一化したのですね。「借り物を着ている」と言われたのは一昔前のこと。文化のグローバル化ですね。

J:世界の主要コンクールでも東洋人が優勝していることがその証明でしょう。

K:ダン・タイソンが1980年に東洋人として初めて優勝し、東洋人のピアニズムが評価され始めたと思います。

J:25年前に彼の緻密で繊細なピアニズムは、東洋人の美的意識の高さや鋭い感受性、溢れる詩情を印象づけたのです。ショパンの音楽がなぜこれほどアジアで愛されるか、その答えを我々は彼の演奏から知ることになった。

K:今回ファイナリストの多くが審査員の門下生である、という批判の声が聞かれましたがノ?

J:ショパンコンクールの審査員は誰もが納得する人物でなければならない。入賞者、コンサートピアニスト、世界の主要コンクールの審査経験者、幅広い世代、これらが条件です。しかし世界的なコンサートピアニストはスケジュールが空かない、アルゲリッチはキャンセル、ツイメルマンは人の審査を拒む、となると誰が? 結局私も含めて審査経験豊かな教授陣が多く座ることになる。それら教授陣のクラスには、世界中から優秀な学生が集まっているのでこういう結果を招くのです。

K:1次で45分、2次で約50分、ファイナリストは12名、出場者にも審査員にもハードに改革されましたね。

J:候補者は多くのプログラムを弾くことができる。偏りのない審査も可能になる。ショパンコンクールは世界で最も難しいコンクールで、優勝者を安易に選ぶべきではないのです。誠意ある審査こそ私の責任でした。




アネグドータ・・・余計な二人の会話

J:30年前ツイメルマンが優勝したコンクールで、私は初めて審査員を務めたのです。

K:そうでしたか。そうそう、私が驚いたのは、一昨年富山で先生がえんじ色のネクタイを失くされて、妙に必死になって探されていました。そのネクタイこそツイメルマン優勝の時に絞めた30年前の記念のもの!

J:アージャ(奥様)は隙をみてはそれを捨てようと試みていた。ゴミ箱から取り戻したこともありましたよ。私のノスタルジーそのものをどうして捨てることができますか。

K:先生の信念と哲学のすべてがそこにあります。でも結局そのネクタイは富山に散った・・・・。

J:この世のものすべてには寿命があるということだね。