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ショパンのマズルカ

演奏のために    楠原祥子

 ショパンのマズルカとポロネーズ。対照的とも言える2つの舞曲は、ポーランドの土から生まれて最高の芸術まで出世した、もっとも幸運な民衆の旋律である。ポロネーズは男性の威厳や誇りを象徴し、力強いリズムが活気をもたらし、女性はかたわらに添えられた優美な花となる。

 しかしマズルカは違う。繊細で気ままと言えるほど変幻する気分は、むしろ女性的に表現され、ある時は憂愁の色濃く、たよりなく、寂しげで、時として高慢で、そして苦悩し、傷つき、すると今度はうぬぼれて、媚をうり誘惑の手を伸ばす。と思えば、恋慕にはにかみ、想いを隠そうとする。

 情熱と涙と汗にまみれた人間の営みの中にある、どんなわずかな心の動きもショパンは見逃さなかった。それらを和声の明暗を使って、光をあて影を落とし、色合いに変化をつける。現実と幻が次々現れるかのようだ。人の心に潜む、実と虚の二面性も聴こえてくる。陽気にステップを踏んでいるのに、足元の影に、不安や別れの悲しみがにじんでいる。踊りのリズムにのって、涙がつたう。その奥には蔑みが姿を見せる。入り組んだニュアンスのゆえに、マズルカを遠ざけてしまうことがあるが、マズルカは自分の心そのものだと想えばいい。いわば私自身なのだ。ショパンの時代も今も、変わることがない人間の心を、あるがままに微妙なひだまで映し出している。

 違うものがあるとすれば、それは、ショパンがポーランド語を使ったことだ。つまり、ショパンの肉体に流れる血を生んだ、母なる土地の声やリズムを用いて、音でつむいでいった。あえて難しい言葉を使わず、親しき友に話すような語り口で、燕尾服に盛装せず普段着でくつろいで、日記のように生涯書き綴った55曲のポーランド舞曲…それがショパンのマズルカである。

 マズルカ、そのさまざまな光景

大舞踏会で貴族が盛装して踊ったマズール

 ショパンの姉がパリにいる弟に宛てて、こう書いている。 「あなたのマズルカは、劇場でオーケストラが演奏して大人気です。ザモイスキ家の大舞踏会でも、夜通しこの曲が踊られたそうよ。あなたは心外に思う?だって、これは聴くためのマズルカでしょう。フレデリック、本当のところを言ってほしいのだけど、心の片隅にほんの少しでも舞踏用の意図があったのかどうか…」

民族色あるれる農村のマズール

 バセトラ奏者による空虚5度の伴奏で始まる。踊りが始まると、手を叩き、踵で床を踏み鳴らし、空中に高く跳び上がり、パートナーと腕を組んで右に左に旋回する。平行5度がパスに大胆に現れ、調子っぱずれの弦をはじく音が聞こえてくる。陽気な田舎の踊りを音で描写した、マズルカパノラマだ。

ユダヤ人のクヤヴィアク

 ショパンは14歳と15歳の夏、クヤヴィ地方の村に滞在し、農民たちの収穫祭や婚礼に参加し、村の居酒屋や村娘の歌と踊りを見聞きした。ユダヤ人が多く居住し、哀愁を帯びた独特の旋律を奏でていた。<ユダヤ人>と名付けた自作を弾き、「この種の音楽をこれから探究しようと決心した」と手紙に書いている。このマズルカは、後にその自作を書き改めたとされる。

終わりのないオベレク

 バセトラ8度の持続する低音伴奏で始まり、同じ旋律をエンドレスで弾く。旋回しながら踊り続ける田舎のオベレクをそのまま模した曲で、演奏者のファンタジーと創造力が求められる。"senza Fine"と書かれている。

 民族音楽としてのマズルカ

 Oberek(オベレク)、Obertas(オベルタス)、Kujawiak(クヤヴィーアク)、Okragly(オクロングウィ)、Mazur(マズール)など、テンポ、旋回の速度、雰囲気、地方によって名前も種類もたくさんある。

 特徴

 ・3拍子。マズルカ・リズムを持つ。
 ・歌、歌詞、踊りが一体化している。ペアで旋回する踊り。
 ・アクセントが弱拍につくが、強拍、複数にもつく。
 ・モティーフ、フレーズの連続性。即興性。
 ・五音音階の民族旋法も使われる。
 ・バセトラ(低音楽器)、ドゥディ(ヤギ皮のバグパイプ)、太鼓などの持続的伴奏音型をともなう。

 ショパンがマズルカで使った舞曲

 主にマズール、クヤヴィアク、オベレクという3種の特徴をとらえて、希なる美意識で芸術作品に仕立てた。なぜ、この3種類を使ったのか。異なるテンポ、リズム、アクセント、雰囲気、明暗を持つ3つの舞曲を組み合わせることで、あらゆる音楽的色彩や光景の表現が可能になるからである。

 最高の芸術的価値まで高められた民衆の旋律

 ショパンのマズルカが、どれほど芸術化されたものになっているか。リストが”虹色の手”と評したその作曲技術とセンスによって、土から生まれた時の姿とは似ても似つかないものになった。ショパンのマズルカから民族性を感じ取ることはできるが、逆に、土着の旋律からショパンのマズルカを想像することなど、まず不可能だ。田舎の歯が数本しかないおばあちゃんの口ずさむ歌と、ショパンのマズルカは、路傍の石ころと、まばゆくカットをほどこしたダイヤモンドほどにかけ離れている。

 踊りの様子が具体的に音に表われているマズルカ

■ヘイ!のかけ声、手を叩き、足で床を踏みならすステップ。


■オベレクの旋律が激しくなって、踊りの輪が散ってしまった。


■女の歌◯楽団。


 マズルカを演奏するために

○アクセント

 多様なアクセント記号が見られる。ちょうど、女性が装いに応じて、アクセサリーを身につけ、美しさを引き立てるように、マズルカも舞曲の個性に応じて、特徴的にアクセントをつける。3拍子のリズムを保ち、強弱、旋律線の流れを読みながら、探していくことが必要だ。

 マズール部分であれっば、2拍子目に大胆なアクセントをつけることができる。

 クヤヴィアク部分なら、アクセントはテヌートとして扱う。

 オベレク部分では、テンポが速いために、アクセントはくっきりさせるが重くつけることができない。

○モティーフの連続と即興性

 マズルカ全体に見られる特徴である。民族音楽としてのマズルカが、素朴な旋律を繰り返すことに由来している。踊り手や楽士たちは、即興的に、気まぐれな変化と創造性を持たせて踊りを楽しむ。例えば踊り手は、逆回りをしたり、帽子を手にしたり、踵を踏みならすなど。楽士は、粗末な楽器でできる範囲で装飾を加え、終止形を変えて変奏した。

 ショパンのマズルカにおいては、<強弱>、<アゴーギク・ルバート>、<ペダル>、<アクセントの強調と省略>、<雰囲気>、<音色>の変化を組み合わせて、田舎の楽士がするように、即興的に演奏者のファンタジーを加えることもできる。これはマズルカならではだが、突発的で大げさな変化ではなく、あくまでも自然な足運びで、舞曲であることを忘れずに。

■強弱で変化をつける。


■フレージングとアゴーギクで変化をつける。


■雰囲気で変化をつける。


 テーマは、「最初は田舎の居酒屋での騒々しさとざわめきを。再現では優雅なサロンの洗練された雰囲気で弾きなさい」とショパンは教えたという。

○付点音符

 リズムその1

 踊り手が軽く跳ねるステップのつもりで。リズムが甘くならないようにし、16分音符は次の音の前打音のように弾く。ただし左手は楽器による伴奏なので、踊り手と一緒になって跳ねない。

 リズムその2

 旋律性がある。鋭くならず、16分音符は次の音へ旋律を運ぶように弾く。

○ポリフォニーと模倣

 ポリフォニーと半音階的進行のマズルカ

 後期のマズルカである作品50、56、59では、舞踏的な面が姿を隠し、瞑想的な雰囲気が深く漂う。その中にあって憂いと翳(かげ)りが色濃く表現され、3種類すべての舞曲の特徴を持つ、もっとも豊かなマズルカには、ショパンの心の叫びを聞くことができる。

[作品50-3]

冒頭 クヤヴィアク:故郷ポーランドを遠くから想う。思慕の念は消えることはない。

◯17小節 マズール:現実の生活にも楽しみはある。しかし、過去の思い出に恍惚となる。

◯45小節 マズール風オベレク:幼かったころ、無邪気に姉妹と遊んだ陽気な日々が頭をよぎる。

◯61小節 クヤヴィアク:喜びと、切望の果てのあきらめが交差する。

◯93小節 クヤヴィアク:ふと我に返ってみると、心の内の小さな悲しみに気がつく。やがてそれは染みのように広がって悲痛な叫び声をあげる。その深い傷ですら、時とともに追憶の彼方に去ってゆく。

 故郷の歌を思い出せなくなったショパン

絶望のマズルカ

[作品68-4(遺作)ヘ短調]

 「私の心はどこへ消え去ったのだろうか?故郷で歌っていた歌が思い出せない」

 ショパンは死を迎える1年前に、友人に胸のうちをこう吐露した。ここにショパンの創作の本質がある。人生の半分をフランスで過ごし、フランスの洗練と明快な魅力を身につけた。しかし、作曲の源泉は、いつどんなときも故郷ポーランドに求め、ポーランドは、ショパンに誇り高さと悲哀の色を与えた。故郷の歌を忘れたショパンの創作力は枯渇し、人生が音楽そのものだったその人は、39歳で死を迎えることになった。

 絶筆とされる最後のマズルカは、完成することなく、手書き譜に苦悩の跡を残したままになった。



参考文献:
Korespondencja Fryderyka Chopina PIW/
Problemy Interpretacji Mazurkow Chopina W Aspeksie Polskich Tancow Ludowych Tadaisz Kemer/
Mazurki Chopina Janusz Miketta PWM/Jak grac Chopina -proba odpowiedzi Regina Smendzianka/
Chopin A Diary in Images/
ショパンの生涯(バルバラ・スモレンスカ=ジェリンスカ 関口時正訳 音楽之友社)/
ショパンのピアニスム(加藤一郎 音楽之友社)

(ムジカノーヴァ2004年7月号掲載)