「雪国」という如何ともしがたい自然のハンデを背負い、甲子園でも県内出場校が勝ち進むことは稀。そんな新潟県からのプロ野球選手は少数かと思いきや、意外と存在。むしろ、降雪・寒さがプラス方向に働くウィンタースポーツや屋内スポーツでの活躍者が少ないかも。プロ野球、高校野球の話題のみならず新潟県の球場まで深く斬り込んでいる「niigata-boro.net」は野球ファン必見サイト! Jリーグ昇格を目指すアルビレックス新潟、2002年に控えるワールドカップで注目が高まるサッカー界では、若手選手の今後の活躍が期待される。
シドニーオリンピックでの中村真衣選手の銀メダル、銅メダル獲得によってこれまでの新潟県人のメダリストは7名、金9個・銀6個・銅4個となった。
プロ野球 | ||||
名前 | 生年月日 | 出身地 | 出身校 | 略歴 業績 地元ネタ |
|---|---|---|---|---|
鈴木 實 |
1929年10月15日 |
新潟市 |
新潟中学(現・新潟高校) |
野球(巨人)。投手。実業団・鐘ヶ渕化学工業から巨人へ。 |
ジャイアント馬場 |
1938年1月23日 |
三条市 |
三条四日町小学校、三条実業高校(現・三条商業高校)中退 |
|
三輪 悟 |
1945年9月18日 |
新潟市 |
野球(広島)。投手。 |
|
関本四十四 |
1949年5月1日 |
糸魚川市 |
糸魚川商工高校(現・糸魚川白嶺高校) |
野球(巨人 68〜75年、太平洋 76年、大洋 77、78年)。投手。1971年新人王獲得。1974年、セ・リーグ最優秀防御率。現在、野球解説者。名前は「しとし」と読む。 |
今井雄太郎 |
1949年8月4日 |
長岡市 |
坂之上小学校?、長岡東中学、中越高校 |
野球(阪急 71〜88年、オリックス 89、90年、ダイエー 91年)。投手。1978年、完全試合達成。雪が嫌いなのか、奥さんの実家のある九州へ。現在は、福岡のFBSで『ナイトシャッフル』という番組にレギュラー出演。
[情報提供:リンゴジュースさん,WAOさん]
|
大滝信孝 |
1950年2月9日 |
村上市 |
村上高校 |
野球(ロッテ)。投手。 |
掛布雅之 |
1955年5月9日 |
三条市 |
習志野高校 |
野球(阪神)。1974年、ドラフト6位で阪神入団。1979年、48本塁打を放ち本塁打王に。以降、阪神不動の4番打者となる。本塁打王3回。打点王1回。1988年、引退し野球解説者に。お母さんが三条市の出身で、帰省して掛布氏を出産。通常、プロフィールでは千葉県出身となっているが、ベースボール・マガジン社の出版物では「出身地/三条市」と表記されているものもあった、と大の掛布ファン氏からの情報。
[情報提供:たむさん,ねじ式さん] |
黒坂幸夫 |
1955年10月8日 |
糸魚川市 |
糸魚川中学、糸魚川商工高校(現・糸魚川白嶺高校) |
野球(ヤクルト)。投手。1973年秋のドラフトで巨人から2位指名されるも入団拒否(この年は1位指名の小林秀一選手も入団せず)し、実業団・鷺宮製作所に。後にヤクルトに入団。
[情報提供:不時夜さん] |
藤岡康男 |
1956年9月5日 |
三条市 |
三条商業高校 |
野球(大洋)。投手。 |
中山信博 |
1958年1月13日 |
村上市 |
関東第一高校 |
野球(日本ハム)。捕手。 |
青島健太 |
1958年4月7日 |
新潟市 |
春日部高校、慶応義塾大学 |
野球(ヤクルト 85〜89年)。初打席では初ホームランを放ち注目を浴びる。引退後の充電期間中に東京・広尾の図書館でオーストラリア人と知り合ったことがきっかけとなり、日本語教師としてオーストラリアへ渡る。その間に、厳しいプロ生活の中で忘れていたスポーツをする喜び、楽しみを思い出し、それを伝えようと決意、帰国後スポーツライターとなる。現在はスポーツキャスターとしても活躍中。
[情報提供:いぬいぬさん] |
川村一明 |
1962年5月4日 |
中蒲原郡村松町 |
愛宕中学、松商学園 |
野球(西武 84〜89年、ヤクルト 90、91年)。1980年夏の甲子園出場。1回戦で簑島に敗れる。その年、阪急に1位指名されたが、プリンスホテルへ。1983年、ドラフト4位で西武入団。その後、ヤクルトへ移籍。1991年引退。
[情報提供:こばさん,たむさん,KANさん]
|
渡辺浩司 |
1963年8月9日 |
白根市 |
新潟商業高校 |
野球(日本ハム 82年〜)。81年、入団テストを受けドラフト外で日本ハム入団。87年、開幕1軍メンバーに選ばれる。97年引退。現在は2軍打撃コーチ。旧名、浩(94年改名)。
[情報提供:たむさん] |
古川利行 |
1963年9月24日 |
新潟市 |
北越商業高校(現・北越高校) |
野球(中日)。投手。1981年夏の高校野球県予選では下馬評通りの快投で北越商業を決勝に進出させたが、決勝戦前日に同校生徒の不祥事で辞退となった悲運な選手。その秋、中日からドラフト6位指名されるも日本鋼管に入社。3年後のドラフトで再び中日から3位指名され入団。ケガなどのため3年間で現役生活に終止符。現在は新潟に戻り、少年野球の指導者をしているそうです。
[情報提供:不時夜さん,こばさん,たむさん] |
猪俣 隆 |
1964年6月27日 |
長岡市 |
長岡中島小学校、長岡東中学、堀越高校、法政大学 |
野球(阪神 87〜97年、中日 98年)。投手。98年引退? 足掛け3年(88〜90年)で「79打席連続無安打」(“相手チームからヒットを打たれなかった”ではなく、“バッターとしてヒットを打てなかった”)という不名誉な記録を持つ。
[情報提供:WAOさん]
|
吉田篤史 |
1970年9月29日 |
日本文理高校 |
野球(ロッテ)。投手。 |
|
小林幹英 |
1974年1月29日 |
新潟市 |
新潟藤見中学、新潟明訓高校、専修大学 |
野球(広島) 。明訓時代、甲子園に出場(柳ヶ浦に敗退)。専修大学ではエースとして東都大学を一部昇格させ、ドラフト上位候補に。記者会見席も設けられていたにも関わらず指名に漏れ、プリンスホテルへ。ドラフトにかかり広島カープ入団。98年、高橋由伸、坪井、川上と稀に見る新人王争いを展開し、オールスター戦にも出場。奥さんも新潟出身(同じ明訓高校)だそうです。
[情報提供:YASUさん] |
栗山 聡 |
1974年6月15日 |
新発田中央高校、東京農業大学生産学部 |
野球(オリックス)。投手。 |
|
星野順治 |
1974年6月18日 |
西蒲原郡吉田町 |
吉田粟生津小学校、新潟商業高校 |
野球(ダイエー)。1999年の日本シリーズでは先発し、見事勝利を収めた。 |
本間 忠 |
1977年8月5日 |
新津市 |
日本文理高校 |
野球(ヤクルト)。 |
加藤 健 |
1981年3月23日 |
北蒲原郡聖籠町 |
新発田農業高校 |
野球(巨人)。捕手。1998年、ドラフト3位で入団。 |
サッカー | ||||
名前 | 生年月日 | 出身地 | 出身校 | 略歴 業績 地元ネタ |
|---|---|---|---|---|
古俣健次 |
1964年3月5日 |
新潟市 |
新潟内野中学、新潟工業高校、大阪商業大学 |
サッカー(ジュビロ磐田 93〜95年、アルビレオ新潟 96年、アルビレックス新潟 97、98年)。新潟県初のJリーガー。 |
神田勝夫 |
1966年6月21日 |
新潟市 |
新潟南浜中学、新潟工業高校、東京農業大学 |
サッカー(セレッソ大阪 94〜97年、横浜マリノス 98年、横浜Fマリノス 99年、アルビレックス新潟 2000年〜)。DF。95年には日本代表にも選出。 |
川口信男 |
1975年4月10日 |
三条市? 加茂市? |
新潟工業高校、順天堂大学スポーツ健康学部 |
サッカー(ジュビロ磐田 98年〜)。FW。99年、元TeNYアナウンサー・関純子さんと結婚。純子さんも新潟県内の出身(1969年10月21日長岡市生まれ、新潟中央高校、立教大学文学部)。2001年3月、新潟市内の病院で双子の女の子が誕生。
[情報提供:YASUさん] |
神田貴樹 |
1975年8月14日 |
新潟工業高校 |
サッカー(名古屋グランパス 94、95年) |
|
池田 誠 |
1977年7月8日 |
東京学館新潟高校、アップルスポーツカレッジ |
サッカー(アルビレックス新潟 99年) |
|
峯森耕道 |
1978年6月12日 |
東京学館新潟高校 |
サッカー(ベルマーレ平塚 97、98年)。FW。96年新潟県高校選抜。98年シーズン終了後引退し、国際武道大へ進学。 |
|
小林高道 |
1979年1月3日 |
東京学館新潟高校、アップルスポーツカレッジ |
サッカー(アルビレックス新潟 99年〜)。MF。 |
|
本間 勲 |
1981年4月19日 |
北蒲原郡中条町 |
中条中学、習志野高校 |
サッカー(アルビレックス新潟 2000年〜)。MF。 |
小林浩孝 |
1981年7月18日 |
新潟工業高校 |
サッカー(ジェフ市原 2000年〜) |
|
清野智秋 |
1981年9月29日 |
北蒲原郡水原町 |
水原小学校、水原中学、秋田商業高校 |
サッカー(ジュビロ磐田 2000年〜) |
相澤貴志 |
1982年1月5日 |
新潟江南高校 |
サッカー(川崎フロンターレ 2000年〜) |
|
大相撲 | ||||
名前 | 生年月日 | 出身地 | 出身校 | 略歴 業績 地元ネタ |
|---|---|---|---|---|
羽黒山政司 |
1914年11月18日 |
西蒲原郡中之口村 |
大相撲。土地相撲で活躍した家系の生まれ。銭湯経営を志して上京し、叔母が経営する両国の「旭湯」で奉公。その隣にあった錦嶋部屋の立浪が体格を見染め、毎日、背中を流させながら勧誘し入門。1934年初土俵。1941年、第36代横綱昇進。12年という長期に渡り横綱をつとめた。優勝7回。なかでも1952年の1月場所では37歳で全勝優勝。1953年現役引退。余談ながら、東京の銭湯経営者には新潟県出身者が多く、昭和40年代には都内にあった銭湯およそ2700軒のうち約1200軒が新潟県人によるものだったとの話も。
[情報提供:aoさん] |
|
時津風親方 |
1937年8月18日 |
新発田市 |
新発田農業高校、東京農業大学 |
大相撲。元大関豊山。日本相撲協会理事長。高校時代は野球部で投手、一塁手として、また円盤投げ、砲丸投げの選手として活躍。巨人や中央大学からの誘いもあったが、東農大相撲部出身の高校の先生からの勧めで東農大入学。1961年初土俵。大学出身者として初めて大関に昇進。史上初の連続3賞同時複数受賞の記録も持つ。1968年現役引退。生涯戦歴413勝245敗8休。殊勲賞3回、敢闘賞4回。 |
湊親方 |
1947年10月22日 |
北蒲原郡加治川村 |
新発田農業高校、東京農業大学 |
大相撲。元小結豊山。高校時代から相撲部に所属し、全国高校相撲選手権で優勝。東農大相撲部でも11の大会で優勝。同郷で大学も同じ時津風部屋に入門。1970年初土俵。1981年現役引退。生涯戦歴491勝505敗。殊勲賞1回、敢闘賞2回。 |
元関脇黒姫山 |
1948年11月12日 |
西頸城郡青海町 |
青海中学 |
大相撲。同郷の知人が序二段優勝した新聞記事を見て「体格で上回る自分も力士になれる」と立浪部屋に入門。1964年初土俵。1982年現役引退。生涯戦歴677勝691敗2休。殊勲賞4回、敢闘賞3回、技能賞1回。四股名の由来は長野県の黒姫山ではなく、青海町にある黒姫山から。 |
元小結大錦 |
1953年9月11日 |
佐渡郡 |
羽茂中学 |
大相撲。中学では野球や陸上で活躍。その体格を相撲ファンの近所の味噌工場社長に見出され、「佐渡の怪童」と角界に名が知れる。修学旅行から帰宅したところに元出羽ノ花が勧誘に訪問、一晩で決意し親の反対を押し切って出羽海部屋入門。1968年初土俵。1973年新入幕。このとき、史上初の新入幕での3賞独占の快挙を。1988年現役引退。生涯戦歴750勝745敗28休。殊勲賞1回、敢闘賞1回、技能賞1回。
[情報提供:桃太郎さん] |
元小結大豊 |
1955年3月29日 |
北魚沼郡堀之内町 |
大相撲。時津風部屋に入門し、1973年初土俵。1987年現役引退。生涯戦歴383勝347敗42休。 |
|
元関脇大寿山 |
1959年4月8日 |
新津市 |
大相撲。二子山部屋に入門し、1975年初土俵。1980年新入幕。1991年現役引退。幕内連続在位10年以上を讃え、相撲協会から表彰された。引退後は花篭親方として、弟子の育成にあたっている。
[情報提供:YASUさん] |
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プロレス | ||||
名前 | 生年月日 | 出身地 | 出身校 | 略歴 業績 地元ネタ |
|---|---|---|---|---|
ジャイアント馬場 |
1938年1月23日 |
三条市 |
三条四日町小学校、三条実業高校(現・三条商業高校)中退 |
|
キラー・カーン |
1947年3月6日 |
西蒲原郡吉田町 |
元プロレスラー。“戦うモンゴリアン”として名を馳せる。ご実家は薬屋さん。現在は芸能活動のかたわら、東京・中井でスナック「カンちゃん」を経営。
[情報提供:燕市民さん] |
|
シャドウWX |
1969年6月11日 |
十日町市 |
グレート小鹿率いる大日本プロレス所属。95年デビュー。必殺技「旋回式フェイス・クラッシャー」。本名、志賀悟。
[情報提供:asoさん] |
|
保坂秀樹 |
1971年8月5日 |
糸魚川市 |
大仁田厚率いる「ZEN」に所属。91年デビュー。必殺技「スパイン・ボム」。
[情報提供:asoさん] |
|
近藤有己 |
1975年7月17日 |
長岡市 |
長岡大島中学、与板高校 |
ハイブリッドレスリングを標榜する団体パンクラスの次期エース。小学生の頃から習っている少林寺拳法を活かした打撃を武器に大活躍し、2度のKING OF PANCRAISIST王者に。2000年5月、“400戦以上無敗の男”ヒクソン・グレイシーの1番弟子サウロ・ヒベイロを22秒、グラウンドパンチでKO。今はヒクソンに狙いを定め、修行の日々。本名、有(たもつ)。
[情報提供:たなちんさん,Mさん,あおまささん] |
里村明衣子 |
1979年11月17日 |
西蒲原郡黒埼町(新潟市に合併) |
黒埼中学 |
元クラッシュギャルズ(現・クラッシュ2000)の長与千種率いるガイアジャパンの次期エース候補。14歳でプロレスラーを志し、黒埼中学在学中にオーディション合格。入門のため特例で早期卒業し、旗揚げ戦では史上最年少レスラー(当時15歳)として注目を集める。小柄ながらもダイナミックなプロレスを展開し、アジャ・コングをいつもいいところまで追い込むが、未だ勝ち星なし。今度こそは!と期待がかかる。
[情報提供:たなちんさん,ネコノミヤコさん] |
池田麻奈美 |
1980年10月27日 |
十日町市 |
JWP所属。98年、デビュー。
[情報提供:asoさん] |
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その他の競技 | ||||
名前 | 生年月日 | 出身地 | 出身校 | 略歴 業績 地元ネタ |
|---|---|---|---|---|
川合俊一 |
1963年2月3日 |
西頸城郡青海町 |
大田区立出雲中学、明大付属中野高校、日本体育大学体育学部体育科 |
元バレーボール日本代表。ロス五輪(1984年)では、学生からただ1人のメンバー選出。ソウル五輪(1988年)にも出場。1985年、フジフィルムに入社しチームの主将を務める。1990年引退し、タレント、スポーツキャスターとして活躍。フジテレビ『こたえてちょーだい!』出演中。ご実家はとんかつ屋さんとのこと。
[情報提供:リンゴジュースさん]
|
清水雅之 |
1971年1月3日 |
西蒲原郡吉田町 |
吉田南小学校、吉田中学、法政大学第二高校、法政大学 |
バレーボール選手。Vリーグサントリー・サンバーズのセッターで主将。全日本のメンバーにも。2000年6月に弥彦中学校で清水選手らサンバーズのメンバーによるバレーボール教室が行われた。
[情報提供:kさん]
|
金井清一 |
1940年7月24日 |
東頸城郡牧村 |
プロゴルファー。20歳からゴルフを始め、25歳のときサラリーマンを辞めプロ入り。1972年、日本プロで初優勝を飾る。以来、レギュラーツアー16勝(うち海外1勝)。シニアツアーでも17勝し、1993〜96と4年連続シニア賞金王となる。 |
|
宇佐美彰朗 |
1943年5月31日 |
西蒲原郡吉田町 |
吉田中学、巻高校、日本大学経済学部経済学科、日本大学文理学部体育学科、日本大学大学院文学研究科教育学専攻 |
陸上(マラソン)。オリンピックに3回連続出場(メキシコ、ミュンヘン、モントリオール)。1970年には当時の日本最高記録2時間10分37秒8を。現在、東海大学体育学部教授。日本陸上競技連盟強化委員。 |
佐藤 恵 |
新潟市 |
新潟木戸中学、沼垂高校、福岡大学体育学部 |
陸上。ソウル五輪では、女子跳躍系日本人選手として史上唯一の決勝進出。1987年、1990年(5月、7月)と3回記録した女子走り高跳び1.95mは、現在も日本記録。中学3年のときには800Mを除く全種目で県ベスト10に入り、うち走り高跳び、三種A及びBで全中記録を。福岡大卒業後、福岡県教育委員会を経て、現在は西新発田高校で教員を務めている。
[情報提供:こばさん] |
|
加藤澤男 |
1946年10月11日 |
中蒲原郡村松町 |
愛宕中学、新潟南高校、東京教育大学(現・筑波大学)体育学部、東京教育大学大学院 |
体操。“体操ニッポン”を支えた一人。大学4年のとき、メキシコ五輪(1968年)に出場し、団体、個人総合、床運動で金メダルを、つり輪で銅メダルを獲得。続くミュンヘン五輪(1972年)では団体、個人総合、平行棒で金を、あん馬と鉄棒で銀。モントリオール五輪(1976年)でも団体、平行棒で金、個人総合で銀。総獲得メダル数金8個・銀3個・銅1個、計12個という記録でギネスブックに載ったことも。現在、筑波大学体育科学系教授。
[情報提供:こばさん]
|
鈴木陽二 |
1950年3月9日 |
村上市 |
順天堂大学体育学部 |
オリンピック水泳日本代表コーチ。1984年ロサンゼルス大会から5大会連続でオリンピック水泳日本代表コーチを務める。1988年ソウル大会ではバサロを通常より5m延ばす作戦により鈴木大地を100m背泳ぎで金メダルへ、1992年バルセロナ大会では200m平泳ぎで岩崎恭子を金へと導いた。他にもシドニー五輪代表で中村真衣とともに女子100m背泳ぎ決勝に挑んだ稲田法子、世界水泳福岡2001代表100m背泳ぎ7位の伊藤華英も指導。順天堂大4年生当時からセントラルスポーツで指導にあたり、現在、同社の常務取締役。ご実家は岩船地方名産の「岩船麩」を製造販売する「古金屋麩店」。
[情報提供:ケンタクさん,わきゅうさん,「なんと!そうだったのか」さん,佐渡66さん]
|
中村真衣 |
1979年7月16日 |
長岡市 |
長岡宮内小学校、長岡宮内中学、帝京長岡高校、中央大学 |
水泳。シドニー五輪背泳ぎ100m代表。アトランタ五輪(1996年)では、女子100m背泳ぎで惜しくも4位だったが、今季世界ランキング1位で臨んだ今大会では1分0秒55の日本新記録で銀メダルに輝いた。また、女子メドレーリレーでも日本チーム初の銅メダルを獲得し、日本女子水泳選手で初めて1大会2個のメダルを受賞した。水泳で国体に出場したこともあるお母さんは長岡駅から程近い場所でスナックを経営。 |
金子繁治 |
1931年8月13日 |
西蒲原郡燕町(現・燕市) |
燕尋常高等小学校(現・燕東小学校) |
元ボクサー。1949年、笹崎ボクシングジムに入門するため上京。1953年、対戦者ラリー・パターンに勝利し日本初の東洋フェザー級チャンピオン獲得。1958年、網膜剥離のため、6回の防衛を果した王座を返上し引退。71戦54勝(33KO)。現在は1966年に創立した金子ボクシングジム(東京都世田谷区)会長。
[情報提供:kさん] |
風間 淳 |
1965年? |
入広瀬村 |
只見高校(福島) |
バイアスロン選手。自衛隊所属。アルベールビル五輪(1992年)、長野五輪(1998年)出場。1995年世界選手権団体6位、1997年世界選手権スプリント9位。バイアスロンはライフル銃を使用するため競技者が限られ、日本における競技人口は40人ほどらしいが、その中でベテラン格にあたる。 |
笠原 茂 |
レスリング。メルボルン五輪(1956年)にてレスリング・フリースタイルライト級で銀メダル獲得。 |
|||
中村多仁子 |
体操。1962年世界選手権で団体3位、個人総合29位。東京五輪(1964年)にて体操女子団体総合で銅メダル獲得。1964〜65年にはNHKテレビ体操のアシスタントもしていた。現在、東海大学体育学部体育学科教授。 |
|||
宗村宗二 |
1943年9月1日 |
西蒲原郡黒埼町(新潟市に合併) |
巻農業高校、明治大学 |
レスリング。メキシコ五輪(1968年)にてレスリング・グレコローマンライト級で金メダル獲得。 |
和田喜久夫 |
三島郡寺泊町 |
寺泊中学 |
レスリング。ミュンヘン五輪(1972年)にてレスリング・フリースタイル68kg級で銀メダル獲得。寺泊中学にはメダルを持った写真と在校生へ向けたメッセージが飾られている。寺泊町本山の出身。
[情報提供:ふじたさん] |
|
野瀬清喜 |
新発田高校、筑波大学 |
柔道。ロサンゼルス五輪(1984年)にて柔道86kg以下級で銅メダル獲得。アトランタ五輪(1996年)では日本女子柔道監督を務めた。現在、埼玉大学教授。シドニー五輪ではNHKで柔道の解説を行なった。 |
||
高橋百合子 |
1973年7月28日 |
新潟市 |
騎西高校(埼玉)、埼玉短期大学 |
重量挙げ女子58kg級でシドニー五輪出場。1996年世界選手権(ワルシャワ)3位を花道に結婚引退。しかし女子重量挙げが五輪種目に採用されたことを知り、1997年8月の出産から1カ月で練習を再開し現役復帰。2000年6月の日本選手権ではスナッチ85kg、ジャーク115kgを挙げトータル200kgの日本新記録で優勝。高校時代には柔道で埼玉県大会優勝したことも。自衛隊体育学校勤務。
[情報提供:なるしさん] |
村田一誠 |
1978年12月20日 |
柏崎市 |
競馬騎手。松永勇厩舎所属。1997年3月デビュー。同年4月12日、トーシンオペラ号で初勝利。1999年12月、グラスベンチャー号でG1(朝日3歳ステークス)初騎乗。2000年度の成績は28勝(通算82勝)で関東リーディング15位(2000.10.16現在)。
[情報提供:クーちゃんさん] |
|
※順不同・敬称略