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■ 政治 経済 ■

名前

生年月日

出身地

出身校

略歴 業績 地元ネタ

田中角栄

1918年5月4日
(〜1993年12月16日)

刈羽郡西山町

二田尋常高等小学校(現・西山町立二田小学校)、中央工学校土木科

元内閣総理大臣。19歳のとき田中土建工業株式会社を開設。1947年、29歳の若さで衆議院議員初当選、以来16回連続当選。1957年、若干39歳で初入閣。大蔵大臣、郵政大臣、通産大臣や党幹事長などを歴任。1972年、自由民主党総裁、内閣総理大臣に。就任早々、北京を訪問し日中国交を回復させた。「日本列島改造」を打ち出し国土開発を進めたが、1976年、ロッキード事件収賄容疑で逮捕。1989年政界を引退し、控訴中の身のまま1993年に死去。
「コンピュータ付きブルドーザー」とあだ名されたほど頭の回転が速くかつ「土建」な人物で、自らが牽引役となって議員立法した建築士法で定められている1級建築士の登録第1号でもある。1953年には母校の中央工学校校長にも就任。西山町に田中角栄記念館あり。

田中眞紀子

1944年1月14日

東京都

日本女子大附属中学、日本女子大附属高校、米国Germantown Friends School、早稲田大学第一商学部

衆議院議員。元科技庁長官。故・田中角栄元首相の長女。高校在学中に、父の反対を押し切りアメリカの高校に留学。卒業後、帰国し早稲田大学入学。女優を目指し、在学中は演劇部に所属。その後、劇団「雲」に研究生として入団。1969年、故・鈴木直人衆院議員の三男直紀氏と結婚し、演劇をやめる。
1993年の衆院選で当選して以来、父親ゆずりの歯に衣着せぬしゃべり、性格を支持する人は県内だけにとどまらず、「総理大臣にしたい人」アンケートでは常に上位にランクイン。2000年6月の衆院選でも得票率68%(13万7866票)と圧勝し、議員生活3期目に。越後交通副社長(社長は夫で参議院議員の田中直紀氏)。2001年、小泉内閣の外務大臣に就任し、各方面に波紋を巻き起こし中。ファンサイトはこちら

大倉喜八郎

1837年9月24日
(〜1928年4月22日)

新発田市


明治の財界人。旧大倉財閥の創始者。日本初のホテル「帝国ホテル」創設メンバーの1人で、開業時には取締役会長に就任。他にも帝国劇場、大倉商業学校(現・東京経済大学)、大倉組(現・大成建設)、ホテルオークラ・・・などなど設立した会社、教育・文化施設は数十。その1つである大倉事業は第四銀行大光銀行の筆頭株主であったりと、県経済との関わりは今も深い。今年で創立90周年を迎えた東京新潟県人会の初代会長も同氏。札幌の大倉山ジャンプ競技場は、二代目の大倉喜七郎氏が建設し寄付したもの。

益田 孝

1848年10月17日
(〜1938年12月28日)

佐渡郡相川町


明治の財界人。旧三井財閥の形成、発展に貢献。1876年、三井物産を設立し、初代社長に就任。また、中外物価新報(日本経済新聞の前身)も創立。

堤 清六

1880年2月15日
(〜1931年9月12日)

南蒲原郡三条町(現・三条市本町一)

三条町立尋常高等小学校(現・三条小学校)

日魯漁業(現・ニチロ)創業者。ポーツマス条約によって日本が漁業権を獲得したロシア沿岸でのサケ・マス漁に着目し、1906年、新潟市東堀前通七番町に「堤商會」を創業。1910年、鮭缶詰(後の「日魯のあけぼの印の鮭缶」)の製造を開始。堤商會は「極東漁業株式会社」に組織を拡大、1914年「日魯漁業株式会社」を函館に設立し、会長に就任。その後、衆院議員を2回歴任。1931年死去、戒名は「淨雲院清譽慈海蒼龍大居士」。三条市本町三の極楽寺には業績を偲んだ石碑があり、篆額を書いたのは、陸軍大将、参謀総長を歴任し、当時枢密顧問官の職にあった三条出身の鈴木荘六。衆院議員・参院議員・新潟県知事を歴任した亘四郎は堤清六の実弟。
[情報提供:さくらうえあすかさん]

斎藤英四郎

1911年11月22日

新潟市

新潟中学(現・新潟高校)、東京大学

新日本製鐵名誉会長。経団連第6代会長(1986年5月〜1990年12月)。
[情報提供:mk1さん]

上山善紀

1914年9月21日

西蒲原郡分水町

京都大学

近畿日本鉄道社長、会長を経て、現在相談役。近鉄バッファローズ・オーナー。元・関西経済連合会副会長。91〜96年に新潟鳥屋野、長岡悠久山球場で近鉄の公式戦が開催されていたのは、上山氏の新潟県に対する思いから。氏も毎回、帰郷し観戦していた。関西新潟県人会会長。

米山 稔

1924年10月15日

三島郡越路町


スポーツ用品メーカーヨネックス創業者。現在会長。1946年、三島郡塚山村(現在、越路町に統合)で米山木工所として酒樽の部品など木製品の製造・販売を開始。1957年からバドミントンラケットの製造を開始し、米山製作所を設立。事業の拡大に伴い何度か社名を変更し、1982年から現社名に。創業の地には新潟生産本部があり、ヨネックスのラケット作りが地域の定番内職だったとのこと。また、隣接する長岡市にはゴルフ試打研究所とヨネックステニスクラブがある。三波春夫さんと1歳違いの幼なじみで「本屋の文ちゃん」「下駄屋の稔」と呼び合っていた仲。東京新潟県人会会長。
[情報提供:ケンタクさん,いんどさん]





※順不同・敬称略

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