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■ 歴史 ■

戦国時代、明治維新、第2次世界大戦、いわゆる日本の動乱期には新潟県出身者も時代のキーマンとして登場。歴史や文学界で名を残した人物の業績をたたえる記念館、記念碑は県内各地に建造され、名所らしい名所の少ない新潟県の観光スポットとしてガイドブックや各市町村のサイトで紹介されている。

名前

生年月日

出身地

出身校

略歴 業績 地元ネタ

上杉謙信

1530年1月21日
(〜1578年3月13日)

上越市


戦国大名。長尾為景の子として生まれる。1548年、家督を継ぎ越後を統一。川中島の戦など武田信玄との5回に及ぶ激戦が有名。

堀部安兵衛

1669年
(〜1703年2月4日)

新発田市


『忠臣蔵』でおなじみの「赤穂浪士」主要メンバーの1人。大石良雄らとの書簡などを編集した『堀部武庸筆記』は赤穂事件の貴重な史料となっている。赤穂浪士ではもう一人、中村勘助が村上市生まれ。

良寛

1758年
(〜1831年1月6日)

三島郡出雲崎町


禅僧、歌人。18歳で出家し仏門に。地元の人々から「良寛さん」と呼ばれ、親しまれた。

河井継之助

1827年1月1日
(〜1868年8月16日)

長岡市


長岡藩家老。司馬遼太郎の長編小説『峠』の主人公。戊辰戦争では中立を説いたが、新政府に認められず、官軍と戦い戦傷死。

小林虎三郎

1828年8月18日
(〜1877年8月24日)

長岡市


佐久間象山に学び、その非凡な才能から吉田松陰(寅次郎)と共に「象門の二虎」と言われた。戊辰戦争で困窮に陥った長岡を救援するために三根山(巻町)藩主が送ってきた米百俵を分配せずに「食えないときこそ教育が必要」と国漢学校の設立にあて、長岡の教育の基礎を築いた。その「米百俵の精神」は小泉純一郎首相の所信表明演説で引用されたのを機に全国的にブレイクし、2001年の「新語・流行語大賞」にもなった。

前島 密

1835年1月7日
(〜1919年4月27日)

上越市


郵便の父。近代郵便制度の創設に力を尽くした。「郵便」「切手」といった用語や〒マークを制定したのも前島密。1円切手に肖像が描かれている。生家跡は前島記念館となっている。

白峰駿馬

1847年5月5日
(〜1909年4月1日)

長岡市


坂本龍馬の結成した「海援隊」の1人。長岡藩士・鵜殿瀬左衛門の三男として生まれる。1862年、江戸に行き、異父兄の鵜殿団次郎(後に幕府から請われて幕府御目付役になった)と交流のあった勝海舟の門下生となる。1864年、長岡藩を脱藩し、勝海舟の神戸海軍塾に入塾。そこで龍馬に能力を認められ後に海援隊へ加わる。明治維新後は造船・機械について学ぶため6年間アメリカに留学。帰国後、1878年に日本最初の民間造船所「白峯造船所」を横浜に設立した。海援隊ではもう1人、橋本久太夫も越後出身だが詳しい経歴は不明。

井上円了

1858年2月4日
(〜1919年6月6日)

三島郡越路町

新潟学校第一分校(現・長岡高校)、東京大学文学部哲学科

哲学者。哲学館(東洋大学の前身)を創設。東京・中野に哲学堂を建てたり『妖怪学講義』を著したりし、“妖怪博士”と称された。

北 一輝

1883年4月3日
(〜1937年8月19日)

佐渡

佐渡中学(現・佐渡高校)

普通選挙と経済革命、世界連邦を提唱した理論的指導者。『日本改造法案大綱』を著し、皇道派の青年将校に影響を与え、直接の指揮はしていないが226事件の首謀者として銃殺刑に処された。最期の言葉は「座るのですか、これは結構ですね」

山本五十六

1884年4月4日
(〜1943年4月18日)

長岡市

長岡坂之上小学校、長岡中学(現・長岡高校)、海軍大学校

旧日本海軍連合艦隊司令長官。長岡藩に仕える儒学者・高野貞吉が56歳のときに生まれたので、五十六と名付けられた。太平洋戦争で海軍の総指揮をとり、真珠湾攻撃やミッドウェー海戦などの作戦実施。ソロモン諸島バレラ島に向かう途中、米軍機に撃墜され戦死。





※順不同・敬称略

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