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■ 往く人来た人 ■

「新潟県出身」とは言えないながらも、新潟に来て活躍した方や新潟県に一時在住していた方々。

名前

生年月日

出身地

出身校

略歴 業績 地元ネタ

荻野久作

1882年3月25日
(〜1975年1月1日)

愛知県八名郡下篠村(現・豊橋市下条町)

日本学園、東京帝国大学医科大学

医学博士。人工避妊を禁じているローマ法皇庁が唯一の避妊法として認めた「オギノ式」の発明者。1913年、新潟市の竹山病院産婦人科部長に赴任し臨床のかたわら、新潟医科大学で排卵と月経の周期を解明。ドイツの医学誌に論文「排卵日と受胎日」を発表し、「荻野学説」として世界的に高く評価された。博士の家が面していた道路は、博士の名にちなみ「オギノ通り」と名付けられている。新潟市名誉市民。
[情報提供:山際さん]

大杉 栄

1885年1月17日
(〜1923年9月16日)

香川県丸亀町(現・丸亀市)

旧制新発田中学、名古屋陸軍幼年学校、東京外国語学校仏語科

社会運動家。無政府主義者。軍人だった父親(新発田連隊長を務めた)の赴任地変更に伴い引越し、5歳から15歳までの10年間、新発田市で過ごしていた。大杉栄について資料にあたると、出てくる言葉は「赤旗事件」「大逆事件」「甘粕事件」と事件だらけ。しかし、既婚にも関わらず女性運動家の伊藤野枝、神近市子と恋愛問題でトラブり、神近に刺されたことは教科書には載らない事件。
[情報提供:出雲崎さん]

蒋介石

1887年10月31日
(〜1975年4月5日)

中国浙江省奉化県


中国の政治家、軍人。中華民国総統。1908年、清国から日本へ留学生として派遣され、中国留学生のための陸軍士官学校予備学校であった日本振武学校に入学。1910年に卒業し、高田の陸軍第13師団砲兵第19連隊に約半年間配属されていた。1911年、辛亥革命が起き帰国。

レルヒ少佐

1889年
(〜1945年)

オーストリア


日本にスキーを伝えたオーストリアの軍人。フルネームはTheodor Edler von Lerch(テオドル・エドレル・フォン・レルヒ)。日露戦争に勝った日本陸軍を研究するため、1910年に来日。翌年、陸軍第13師団視察のため高田を来訪。当時、帝国陸軍は「八甲田山 死の彷徨」事故を起こした直後だったため、アルペンスキーの基礎を築いたマティアス・ツダルスキーの直弟子であったレルヒ少佐のスキー術に目をとめ、指導が行われることに。1911年1月12日午前8時、高田歩兵第58連隊の営庭(現・上越城西中学校校庭)で将校を前にレルヒ少佐が「mettez les Skis!(スキーをはきなさい)」と号令をかけたのが日本のスキーの出発点とされる。1912年秋、高田を離れオーストリアに帰国。上越市に日本スキー発祥記念館あり。

野坂昭如

1930年10月10日

神奈川県鎌倉市

旧制新潟高校、早稲田大学仏文科中退

作家。第2次大戦中、神戸で空襲のため養父を失い、戦後、実父(新潟県副知事を務めた野坂相如氏)の住む新潟市へ。1967年『アメリカひじき』『ほたるの墓』の2作で直木賞受賞。ロッキード裁判で故・田中角栄元首相に実刑判決が下された直後の衆院選(1983年)では、“金権政治”に対するアンチテーゼとして旧新潟3区から出馬。

遠藤 実

1932年7月6日

東京都


作曲家。作詞家。小学5年のとき、母親の故郷である西蒲原郡西川村へ疎開。17歳のとき上京。手掛けた曲に『高校三年生』『星影のワルツ』『北国の春』など。日本音楽著作権協会(JASRAC)会長。日本作曲家協会常務理事。

宝田 明

1934年4月29日

旧満州ハルピン

豊島高校

俳優。1954年、東宝第6期生としてデビュー。『青い山脈』『あげまん』『ミンボーの女』など出演映画、ドラマ、舞台多数。戦後の一時期、本籍のある村上市に疎開。『徹子の部屋』での戦時中の体験談は、読むも涙のエピソード。
[情報提供:ケンタクさん]

阿刀田高

1935年1月13日

東京都

長岡高校、早稲田大学文学部仏文科

作家。国立国会図書館に勤務するかたわら発表していたコラムで頭角をあらわし、1978年『冷蔵庫より愛をこめて』で作家デビュー。1979年『ナポレオン狂』で第81回直木賞受賞。ミステリーやブラックユーモアあふれる作品のほか『ギリシア神話を知っていますか』など古典を軽いタッチで解釈した著書も。日本推理作家協会理事長も務めた。長岡には疎開で住んでいたものと思われる。
[情報提供:ひろしさん]

萩尾みどり

1954年1月14日

福岡県北九州市

熊西小学校(北九州市)、高田高校、千葉大学理学部生物学科

女優。映画『女王蜂』『病院坂の首縊りの家』『プロゴルファー織部金次郎2』やNHK『おしゃれ工房』、2時間ドラマなどに出演。
[情報提供:MRKAさん]

坂上みき

1959年2月15日

大阪府

関西学院大学文学部心理学科

黒柳徹子のような仕事がしたい」と1982年、テレビ新潟にアナウンサーとして入社。『宮尾すすむの嫁さんきなせや』などを担当。1985年、フリーとなり毎日放送『MBSナウ』ニュースキャスターを勤める。1989年、約4カ月間欧米を放浪。帰国後、TOKYO FM『FMソフィア』パーソナリティー(1990〜1998年)として復帰。現在、日本テレビ『金曜ロードショー』、フジテレビ『サタ☆スマ』のナレーションなどTV、ラジオで活躍中。
[情報提供:たむさん]

敷村良子

1961年

愛媛県松山市

松山東高校、東京スクールオブビジネス・マスコミ広報科

作家。1995年、『がんばっていきまっしょい』で第4回坊っちゃん文学賞大賞受賞。1998年、磯村一路監督・田中麗奈主演で同作が映画化。ほかに『明日は明日のカキクケコ』(マガジンハウス)など。現在、新潟市在住。
[情報提供:asoさん]

岡村靖幸

1965年8月14日

神戸市

新潟宮浦中学、新潟東高校中退

ミュージシャン。ファンの方のHPによると「父親の転勤により大阪・千里〜ロンドン〜太宰府〜新潟〜東京と渡り歩く」と。新潟東高では「俺はハングリーになるんだ」とメシ抜きで過ごす。そのハングリー精神が功を成したかどうかは不明だが、中退後に見事ミュージシャンに。
[情報提供:hさん,におさん]

金谷ヒデユキ

1965年10月4日

群馬県

黒埼立仏小? 黒埼山田小?

フジテレビ『ボキャブラ天国』では「地獄のスナフキン」のキャッチコピーで活躍。小学生時代の何年間か西蒲原郡黒埼町(新潟市に合併)に住んでいたことがあるとのこと。
[情報提供:たむさん]

加勢大周

1969年12月29日

東京都

新潟鳥屋野中学

俳優。1990年、映画『稲村ジェーン』で主役としてデビュー。鳥屋野中に転校してきて、イジメられていたらしい。
[情報提供:SOLD OUTさん]

竹本 恵

1981年1月12日

千葉県

仙台市立中山中学、宮城第一女子高校→新潟高校、東京大学在学中(教育学部3年)

東京六大学野球初の日本人女性選手。中1からソフトボールを始め、高1まで続けたが受験勉強のために中断。高3の春に新潟高校に転校。1999年、東大教養学部文科II類に合格し、東大野球部入部。1999年秋季新人戦で立大戦に登板し、日本人女性選手として初の公式戦出場となる(1995年秋季リーグに明大の米国人女性ジョディ・ハーラー投手が出場、竹本投手は女性としては2人目)。2001年5月28日に行われた東大−明大戦では、76年の歴史を持つ六大学野球初の女性投手対決として明大の小林千紘投手とともに注目された。





※順不同・敬称略

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新潟県出身の有名人!!